・今回は食べ物の名称。
私は結婚して神戸へ移り住んで十年余、
ここの家族は、亭主と舅、姑が奄美生まれの鹿児島育ち、
小姑たちと子供たちは神戸育ちで、大阪語に縁がないので、
私の大阪語に家族はよく笑った。
病気の子供に「おかいさん食べる?」というと、
それはなあに、と聞く。
「おかいさん」
「何の貝?」
「貝ちゃう、おかゆ!」
そこで一同ゲラゲラ笑う。
大阪では「カユ」といえば「おかいさん」
「お」や「さん」をつけていう。
しかし、私にはどうしておかしいのかわからない。
神戸では小さい子でさえ「カユ食べる」などと言い、
実に愛想がない。
「カユ」を呼び捨てにしては、
おかいさん怒らはらへんか、という感じ。
それより、一同をびっくりさせたのが「おみい」であった。
主人の叔母(この家には実にたくさんの人間がいた)が飼っていた、
猫の名が「ミイ」というので、私がある時、
「今日は寒いから、お昼はおみいを食べようね」と言うと、
みんな猫なべかとびっくりした。
これは標準語でいう雑炊である。
家族たちも私の作った「おみい」を見て、
「何や、雑炊やないか」と叫んだ。
雑炊、などと言われては、
戦時中のどろどろの離乳食みたいなのを想像する。
「おじや」という語もあるが、
私は「おみい」といい慣らして育ってきた。
味噌汁の中へ飯をぶちこんで炊くのを「おじや」というが、
私は味噌は使わない。
また、おかいさんのように米からとろりと炊くのでもない。
冷や飯があればそれでよい。
湯をさしてうすく削った花がつおを入れ、
醤油味で炊く。この時、ネギを入れる。
ご飯粒がやわらかくなると卵でとじる。
この「おみい」は「御所ことば」によると、
「おみみ」という語があり、そこからきたらしい。
小学館の「日本国語大辞典」には「おみい」が載っていて、
「御味」の字が当ててある。
「おみいにしましょう」といっても、
別に猫なべかと驚くに当たらない。
・関東と関西で取り違えるものに煎餅がある。
せんべいは大阪では「おせん」といい、
砂糖の入った甘いものである。
東京では塩せんべいを指すが、
それは大阪では「おかき」という。
「おかき」は「御欠」である。
かきもち(欠餅)は鏡餅を欠いたのに始まる。
大阪で「おかき」というと、
醤油をぬりつけポリポリと歯ごたえのいいの。
活動写真(映画)を見に行くと、
合間に首から箱を下げて渋い声の男が売り歩いていた。
「え~、おせんにキャラメル、おかきにあられ・・・」
昭和十年代の映画館で売っていたものは他に、
酢こんぶがあった。
小さな短冊形の板こんぶに味付けがしてある女の愛好物で、
祖母など歌舞伎を見に行く時、必ずビーズの信玄袋に収めていた。
祖母は帰ると何に金を使ったか、
鉛筆をなめなめ書いていた。
「一、すこん
一、おかしん
一、まめさん
一、おまん
一、けつね」
昔の女のぜいたくはこんな程度。
「すこん」は酢こんぶ、
「おかしん」はなぜかお菓子のことをそう呼ぶ。
「まめさん」は小さな塩豆で「おまん」はまんじゅうのこと。
「けつね」は狐で、きつねうどん。
祖母は外出の時はきっと「ほな、行て参じます」
と祖父に挨拶していった。
・尤も、豆さんは町方の呼称。
御所ことばでは「お豆」という。
町方は「うどん」だが、御所ことばでは「おながもの」
素麺は「いともの」、梅干しは「おしわもの」
・・・もの、をつけるのは女官言葉の特徴。
餅のことを祖母や曽祖母など老女は「あも」といっていた。
歯の抜けた老女たちが、「あもを沢山(ようけ)いただいて」
などと笑い合う。
私が学校から帰ると、曽祖母は火鉢で餅を焼き、
「あも、食べなはれ」という。
しかし私は、年寄りたちの食べ物をもらうのがなぜかすすまなんだ。
婆さん連中のすることは、小学生の私が見ても、
何やら汚らしく、小さな妹に魚など、まず自分の口に入れて、
小骨のないのを確かめてから、箸で口へ運んで食べさせる、
自分の口で「あもあも」してまた運ぶ。
見ている私は子供ながら、不潔な思いであった。
今思うに、「あも」は旨いという意味もあったかもしれない。
・大阪弁で「旨くない」というのを「もみない」と言い、
祖父などは箸を一箸つけて「もみない!」と皿を押しやったりした。
昔の男は威張っていた。
今の女に「旨くない」と言ってみるがよい。
「そんなはずないわよ!」と一喝される。
「旨くない」→「もみない」となり、
旨い、甘い、から「あも」になった。
私が考えたのは、
老婆たちが箸でまずしわだらけの自分の口へ運び、
「あもあも」とそしゃくし、のち幼児の口へ運ぶ、
丁度、小鳥の親が子へ餌運びをするような記憶があった。