むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、宿木 ⑭

2024年06月11日 07時38分33秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・この近くの薫の所領の、
荘園を管理している者たちが、
料理を詰めて献上してくる。

弁の尼のほうにも差し入れたたのを、
姫君の一行にも食べさせ、
弁の尼は姫君の部屋へ行った。

さきに女房がほめていたが、
なるほど弁の尼は、
小ざっぱりと美しく、
老いても眉目よく品がある。

のぞき見している薫はそう思った。

年配の女房が姫君を起こすと、
やっと姫君は起きた。

尼君にはにかんで、
顔を脇へ向けている。

その横顔が薫の方からよく見えた。

(大君そのままじゃないか)

全体の感じがまことに、
大君のおもざしそのまま・・・

薫は涙が出た。

尼君に受け答えする声は、
中の君にもよく似ている。

限りない喜びが湧きおこり、
薫は胸がせきあげた。

姫君の姿が大君にかぶさる。

(ああ、この世に生きていらした。
あなたはやっぱり、
生きていて下さったのですね)

尼君は少しばかり、
姫君と話して、
そそくさと退いた。

日も暮れたので、
薫もその場を離れ、
弁の尼を呼んで、
一行のありさまなどを聞いた。

「いつか頼んでおいたことは、
伝えてくれましたか」

「承りましたこと、
この二月、初瀬詣での時、
対面いたしました。
あなたさまの思し召しを、
それとなく伝えましたところ、
大君さまにそえて頂くのは、
勿体ないこと、
などと申しておりました。
ちょうどその頃は、
あなたさまもおめでたの所とて、
ご遠慮しまして、
報告はいたしませんでしたが、
この四月にまたお詣りで、
今日お帰りになるのです。
初瀬詣での行き帰りは、
ここを中宿りにして、
親しくお泊りになりますのも、
亡き父宮さまの御ゆかりを、
慕わしくお思いになっての、
ことでございましょう。
母君はご都合悪く、
このたびはおいでになれませんで、
姫君お一人でご参詣のようですから、
あなたさまのおいでのことも、
先方にお話するわけにもいかず」

「さて、どうしたものか。
私の忍んだ姿を見られたくない、
と思って口止めしたのだが、
姫君お一人なら却って、
気兼ねなしにお話できる、
というものじゃないか。
伝えてくれないか」

「また、急なこと」

弁の尼は笑って、

「それじゃお伝えしましょう」






          


(了)

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