むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

16、猫怖じの男  ②

2021年08月09日 08時42分30秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・「ま、お待ちなされませ。
納めぬ、払わぬ、という気では決してございません。
殿には決してそのようなことはせぬ、ということでございます。
殿がご在任のあいだは滞納の、未納の、と、
そのままにしておく所存ではございません。
必ず、必ず、仰せの通り、計算通りの滞納分をすっくり、
お払いいたします。お約束いたします。
それにしましても、手前がのらりくらりとごまかすとはとんでもない。
そのお疑いこそ、くち惜しく存じます。
こう見えましても手前、それ相応の貯えもございます。
たとえ千万石であろうとも、払うべき税はすっぱり払うて、
うやむやにはしたりはいたしません」

そう言いつつ、にやにや笑うところを見れば、
清廉の心の内がわしには読めた。

この煮ても焼いても食えぬ男は、
こう思うているに違いないのだ。

(この木っ端役人め、何をぬかす。
お上の権威におどろくおれだと思うのか。
伊賀国の東大寺の荘園の中へまぎれこませてしまえば、
どんなに威勢のある国守でも、責めたてることは出来まいて。
大和には大寺の荘園がおびただしいわい。
東大寺、興福寺、それらの寺がきちんと税を払うというのか、
そんなことは暗黙のうちにみな了解しておること、
いったいどこの阿呆が、
大和の税を計算通りに取りたてるというのだ。
第一、この守も、大和あたりに任命されるところをみれば、
たいした程度ではあるまい。
したり顔に税を取ろうというのがおかしいわい)

そこでわしはきっとしていうた。

「すっぱり払うというても、家へ帰ったら最後、
おぬしはもはや使いにも会わず、
支払いの手配りもする気はあるまい。
今日、この場で払わせるぞ。
納めぬ限りは家へ戻れぬと思え」

「ま、殿、ご冗談を・・・
ひとまず家へ帰りまして、この月じゅうには必ず」

「いや、ならん。
わしはおぬしを信じられん。
というて、庁に下してどうこうというつもりもない。
年来の知り合いであり、不人情なことはせぬが、
おぬしもこの際、とっくりと性根を据えて分別し、
納めるべきものは納めるがよい」

「なんでここにいて納入できましょうや、
家に帰って帳面を調べまして・・・」

「あくまで今日納めぬというのか」

わしは声をはげまし、目を怒らせた。

「わしを見くびるなよ。
わしは今日、おぬしと刺し違えても責めとるつもりだ。
おい・・・者ども、用意したものをこれへ」

わしは侍どもを呼んだ。


~~~


・「おう」

と部屋の外で声がする。清廉は、

(何としたとて、自分に指一本させるはずがないものを)
と見くびったのか、まだにやにやと笑っていた。

そこへ侍が五、六人、どやどやと入ってきて、
わしの「よし、中に入れよ」という声に、
「はっ」とばかり遣戸を開ける。

清廉、何気なくうしろを見やって、真っ青になった。

灰色のぶちの大猫、眼は琥珀のように黄色くぎらぎら光る猫が、
大声あげて部屋をめぐりにめぐる。

続けて五匹、走り入って清廉のまわりを跳ね、
袖へじゃれつき、膝に乗り、帯に爪をかける。

清廉はというと、目から大粒の涙をこぼし、

「殿、お助けを・・・」

と手をすり合わせてわななき震い、失神寸前のありさま。

わしはこれを見て憐憫を催し、
侍を呼んで猫を部屋の外へ追い出させたが、
遣戸の側に紐を短くしてつないでおかせた。

つながれた猫は互いに鳴き合い、暴れて、

「にゃあ」「ぎゃあ、わあ」「にゃーん」・・・
そのかしましい鳴き声、耳も聾するばかり。

清廉は水を浴びたように汗をかいて、
目ばかりぱちぱちさせて、恐怖に口もきけぬあり様。

「これでも官物を納めぬというのか」

わしがいえば、清廉は声も震えて、

「は、はい・・・仰せのままに。
何ごとも仰せのままにいたしまする」

「期限は今日だぞ」

そこへまた「にゃおーん」と猫の鳴き声。
清廉、飛び上がり、わなわなと震え、

「命あっての物種、あとのことはあとのこと、
払いまする・・・」

わしは硯と紙を持って来させ、

「納めるべき米は五百七十余石になっておる。
七十石は家へ戻って計算して納めよ。
五百石はこの場で下し文(出納命令書)を書け。
ただしにせの下し文を書いて逃げようとするなら、
またさっきの猫を入れて、わしは代わりに出る。
おぬしを猫と共に、この壷屋にとじこめるがどうだ」

「そんなことをされては、清廉、生きた心地はいたしません。
書きます、書きます」

わしは下し文を書かせ、
その場から郎党を清廉につけて取りにゆかせ、
首尾よう、五百石を取りたてた。

清廉め、わしのやり方が理不尽じゃと訴えてまわったが、
誰に訴えても腹を抱えて笑われるばかり。

業を煮やした清廉、わしに向かって、

「殿、なんぞお嫌いなもの、怖いものはございませぬか」

と問う。

「わしは美しい女人が怖い。
たおやかで品が良うてやさしゅうてみめかたちすぐれた女人が怖い。
そういう女人と、壷屋へ閉じ込められたら、
生きた心地はせぬであろう」

とわしは笑いながら答えた。






          


(了)

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