・雨脚の烈しくなった歩道にいるのは、この私しかいない。
そのおっさんは、背広の上からジャンパーをひっかけ、
目つきのいやな男で、傘の骨が一本折れているのをさしているが、
ズボンの裾はしとどに濡れている。
あるいは「おばはん」と言ったのかもしれないが、
もうこうなっては、どっちだって同じだ。
「何ですか」
「××小学校はどこや」
人にモノをたずねるのに敬語さえ使えない。
「まっすぐ、信号で左へ折れてさらにまっすぐ」
「遠いか」
「すぐですよ」
礼も言わずに男は私が教えた道へ小走りに走る。
ふっふっふ・・・
あんなところに××小学校があるものか。
教えた方角は旧い町内で、家がぎっしり建て込み、
迷路のような道でいったん入りこんだら出て来られない。
私はニッコリしスーパーへ入って行く。
意地悪というのは、老人のボケ防止によろしいようで、
お婆ンを生き生きさせる。
~~~
・長男が電話してきた。
「何でっか、豊中がこのあいだ電話してきたけど、
オカーチャン、しぐれにひょこひょこ起きて、水飲んで、
誰も来おへんて、赤うなってむくれとったんやて?」
よくもそこまでスカタンを聞くものである。
この息子らは、私のことにつき、
よく連絡しあっているようである。
「もしかしてボケて、そんなことになったら恥や。
ワシも肩書、いうもんがおまっさかいな」
私もボケたりしたら、息子らに迷惑かけるとは思うものの、
肩書にかかわるなんて出方をされると、
(それがどうした)と言いたくなる。
私は、自分の体面と肩書ばかり考えている息子たちを脅すべく、
吉田夫人の話をする。
「私もその奥さんみたいに、
ぽっくりはかなくなるかもしれへん」
「オカーチャンは、そんなタマと違いまんがな。
トシ取るには、円熟するとか、侘び、寂び、とか、
相応の厚み、いうもんがおまっしゃろが」
私は何もしないで、じっと思いにふけっているという楽しみを、
八十になって発見したが、それは枯淡というようなものではない。
雨の冷たさ、山頭火、ローズ色の服、
桜の春を待つ心弾み、今月のタカラヅカ、
(おお、そういえば、あの宝塚大好き少女だった、
九十一の叔母も去年の春、こっとりと大往生をとげた)
楽しいものはなんぼでもある。
長男と言い合っているうち、廊下が騒がしくなる。
長男は電話の向こうで何か言っているが、
「ちょっと、急ぐよって切りまっせ」
私はそっとドアを開けてみた。
上杉夫人がドアから半身を現し、
「さっき、病院から連絡があって、
吉田さん、とうとう、だったんですってね」
「ま、それじゃ、811号室でお通夜を・・・」
「いえ、病院から、焼場へ直行なさるそうよ」
それでは、今の811号室の大盤振る舞いは祝宴なのか。
酒店、寿司屋が次々と811号室へ。
狼婆の不幸者の子供らを、咎め立てする気も起こらない。
そこへ、いかにもせっかちに忍びやかにドアを叩く音がする。
上杉夫人だった。
「山本さん、大ニュース!吉田さんが・・・」
「えっ」
「生き返ったの、先生はご臨終です、と言われたのに、
そのあと、大きな欠伸をして生き返ったんですって!」
あの業つくばりの狼婆が、
とても素直にくたばるはずはない、と思っていた。
(むははは、ぐわっはっはは)
モヤモヤさんの大笑いが聞こえる気がする。
吉田夫人は蘇生して以前より健康そうに見える。
811号室に集まった連中は汐をひくように散じ、
一人の訪問客もない、灯もつかない、倹約(しまつ)な一人暮らし。
~~~
・ボーイフレンドの滝本さんにそんな話を電話でする。
「女の人にとって、意地悪がボケ防止やとしますと、
男には、やっぱりオナゴはんだす」
「ははあ」
「ただし、酒飲み友達として、ですよ」
氏はちょっとはにかんで、
「歌子さん、どうです、今夜、駅裏の赤提灯で」
「結構ですわね」
「じゃ、六時にしましょか」
私は楽しく電話を切った。
いま、三時。
六時までの間に私も叔母のように、こっとり逝くかもしれぬ。
この三時間のいそいそする心弾みこそ、
生きる花やぎだと思うのであった。
(了)