・朝、珍しいことに白いものがちらちらしたと思ったら積もり始め、
見る間に小さい庭が白くなり、しかもなお降ってくる。
屋根も木々も白くなり、「わが庭に大雪降れり・・・」
と万葉集でもうたいあげたいような、格調高き風情になった。
ところが、あっち向いてこっち向いてるうちに、
雪は雨となり、たちまちべちょべちょに溶け、
品位も格調も消え失せ、何が万葉集やねん、
というざまになってしまった。
まことに私の住む町は、
気候まで、格調から縁遠くなっている。
しかし寒いことは寒い。
そこへ東京から若い女性が来た。
この新鮮微笑少女を伴って寒さしのぎに、
「鉄砲でも食べに行きますか」ということになる。
「フグですか、いや~~、
あれ食べるとオバンになるんじゃありません?」
新鮮微笑少女はためらう。
なんでや?と聞くと、
東京少女の間では、
「これをするようになるとオバン」
という定説が広がりつつあるそうで、
一つは、お寿司屋のカウンターに坐って握ってもらう、
一つは、てんぷら屋のカウンターに坐って揚げてもらう、
一つはてっちりを食べる、
と、こういう三つであるそうな。
ま、高価い、ってこともあるが、
そういえばそうね、私も、ほん、この年になってからである。
カウンターに坐って、すし屋のお兄さんに、
「トロ握って、それからお酒一本つけて」
なんて、いえるようになったのは。
「今日のおすすめ品ってある?」
「タイでんなあ」
「ほんならそれ、握らんとアテにして」
なんていえるようになったのは、
四十六、七ぐらいからか、
そうか、バッチリ、オバンになってからである。
若い女の子がそんなこというてるのは、いやらしい。
尤も、男に連れてきてもらってそれをいうてる子もいるが、
これは、よけい、いやらしい。
少しぐらい、自分の稼いだ金で食べろ~~っ!
男にたかるなんて志がない。
しかし、てっちりは大丈夫。
大阪のてっちりは安いから、若い子もたくさん行ってる。
道頓堀へ行く。
ニッパチの枯れも寒さも関係なく、
格調に縁のなさそうな、楽しげな大衆が三々五々、
群れている。
格調と楽しさは、別に相反するものではないと思うが、
しかし浪花庶民は別々に考えるのが好きなようである。
じんじんと寒く、
「うわ、早よヒレ酒でぬくもりまひょ」
カモカのおっちゃんはいい、
「づぼらや」へとびこむ。
二階へ案内されて畳敷の入れこみ、
せまいところへ坐って窓の外は中座、
松竹新喜劇がかかっている。
寛美さんの顔看板があって、
道頓堀はネオンピカピカである。
店内は若いもんがぎっしり、それ向きの値段で、
「う~ん、これじゃ、オバンにならずにすみますね」
新鮮微笑少女も納得、ホッとしたようである。
「てっちり追加二人前!」「熱燗二本!」
なんて声が乱れ飛び、私たちもイソイソしてしまう。
ヒレ酒に白子の塩焼きなんてのを食べつつ、
「ズボラって何ですか」と聞かれて、
これは大阪弁では、じだらく、とか、だらしがない、
という意味であるが、そこから図太い、横着な、
という感じもある。
これが店の名になると、
気取りがないとか、肩がこらぬ、という意味合いも含まれる。
私は「づぼらや」の「づ」が気に入っている。
「ず」より「づ」の方が。センスがある。
いや、格調がある。
私たちは「・・・をやったらオバン」というのを言い合う。
「グリーン車へ乗ろうという料簡を起こすとオバンやね。
あ、これは男も。若くてもオジン」
「年末年始なんかにシティホテルへ泊まるとうのもオバン、
というのはどうでしょう。紅白見ながらひとり、
マニキュア塗ってるとか。トマト色の」
「タクシーの運転手さんにチップをやり出したらオバン」
「旅行に行って、どこも見ず、部屋にこもって飲んでるだけ、
というようになればオバン」
「ちょっと待って。一発で決まりというのがある。
水子霊が・・・といわれても、何とも動じないのがオバン」
「いやいや、それよりも」とおっちゃんはいう。
「つま楊子が要るようになればオバン・オジン」
ほんと、新鮮微笑少女はもちろん、
まわりの若者、誰一人としてつま楊子使ってないのに、
おっちゃんは「姐ちゃん、つま楊子おまへんか」
なんて叫んだりして。
てっちりは、鍋の中身をすっかり食べたあと、
ごはんを入れて雑炊を作る。これがおいしい。
その際、鍋の中身の残りをすくい、
皿へあけて捨てるのはオバン。
若い子はすっかり食べてしまう。
くたくたに煮えた白菜、透き通って煮崩れた大根のきれっぱし、
フグの皮のひとかけら、骨にまだちょっと肉のついてるの、
煮えすぎて半分溶けた椎茸、
とにかく杓子にひっかかったゴモクのような残りも、
若い子はきれいに食べ、涼しい顔で片づけて、
「では雑炊にしましょう」という。
卵と青葱でとじて、海苔ももんだのを振りかけて食べ、
「あ~~、術(ずつ)ない」とおなかをさするのはオバン。
すっかり鍋の底をさらえて、更に、
「この近くにおいしいお好み焼き屋がありましたね」
というのは若い新鮮微笑少女である。
「あと、ちょっと飲みまほか、
しかしここで、明日がエライと断ったら、
オジン、オバンやが・・・」
とおっちゃんはいうが、
これは誰も断る者はなかった。