「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

26、姥芙蓉  ②

2021年11月14日 09時23分24秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「治子さんや道子さんも行くのんか?」

「いや、あんまり関心あらへんなあ。
箕面の女房(よめはん)に至っては、
天神サンて、どこの細道にありますのん、言いよんねん」

私は大いに心動く。
私は元来が、天満天神サンの氏子なのだ。

お神輿はお船に召して、夜の大川を渡御なさる。
昔は大川を西へ下られたが、今は川底が浅くなり、
橋をくぐれないので、反対に桜宮まで川をさかのぼられる。

沿岸はかがり火で昼のように明るく、
打ち上げ花火に催し太鼓がド~ンド~ン、
だんじりのお囃子の賑やかさ、コンチキチン、コンチキチン・・・

天神祭りはいくつになっても浪速っ子の心おどらせる。
お祭りはコンマ以上のもの、これは嬉しい。
それにしても当面の楽しみが二つになった。

京都の小旅行と、七月の天神サンのお祭りと、
コンマ以上が目白押しというのは嬉しい。


~~~


・またもや、ドアホンが鳴り、今度はお政どんの来訪。
うしろにお政どんの息子がいて、大鉢の植木を運び込んだ。

「これは芙蓉でござりま。
これから夏の間、朝々、開きますよって、持って参じました。
ベランダの片隅になど、いかがでごあっしゃろ」

お政どんは、昔、
船場のウチの店に奉公していた上女中の一人である。

戦前に婚家が親元になり、嫁入らせたが、
戦後、在所の河内でそのまま農業を継いでいる。

従って、お政どんは頑丈な田舎婆さんになっている。
連れ合いは亡くなって、十三回忌を済ませ、
一人息子はサラリーマンでお政どんにやさしいようだ。

ついでにいうと、お政どんの「どん」は「殿」のなまりで、
昔の船場では、女中さんたちや丁稚さんを呼ぶのに、
みな「どん」とか「とん」をつけ、呼び捨てにはしなかった。

四十五、六の息子は私に挨拶して先に帰っていった。

芙蓉は青々として、手のひら形の葉をよく繁らせ。
ポンと風船のようにふくらんだつぼみをいくつもつけている。

「これは酔芙蓉でござりま。
朝開くと真っ白な花でおますけど、
夕方になるに従うてほんのり薄紅になって、
やがて濃い桃色になってしぼみます。
紅の染まり具合がまるで酔うたように見えますよって、酔芙蓉」

「おやおや、この花も晩酌する、いうわけか」

お政どんも天神祭りに誘うと、ただちに賛成する。
ウチの嫁たちと大違いだ。

これはまた嬉しい。
コンマ以上が出来た。

お政どんと見る何十年ぶりかの天神祭り、
これはモヤモヤさんの粋な計らいであろうか。


~~~


・しかし、京都にもぱ~っとしたことはあった。

京都は雨であったが、
私と山永夫人は覚悟の上だから愚痴は言わない。

山永夫人は七十六、大学教授だった夫を送って、
二人の娘さんは家庭を持っており、
夫人は西宮の団地に一人住まいである。

パンジークラブの俳句の会に入っていて、
私の書道教室にも顔を出している。

私は花柄のケンゾーの傘をさし、
ビニールコーティングしたケン・ドーンのバッグを肩から斜めにかけ、
薄手のレインコート。

たった一日の旅行なのに、
私は全天候型の服装計画となる。

八十になって旅先で風邪などひいたら、
八十婆の面目がない。

ところで雨の京都は、ほんと地元の人々だけで、
春秋のように観光客であふれてるようなことはなく、
みずみずしい万緑のしずくに街中ひたすらぬれていた。

しかし、私たちは三千院とか詩仙堂とかへは行かない。
こういう雨の日に、そういう観光地に行くと、
決まって出会うのは、初老の夫婦か、熟年カップル。

よしありげな風情で、あれはいやだ。






          


(次回へ)

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