・藤井サンが言うには、
あの日(海釣りの日)人と会う約束が急に出来たという。
その人とは、三年前の秋、
偶然、京都の高雄でばったり逢ったという。
初恋の人だったが、
どうしても結婚出来ず、別れた人であったが、
実に五十年ぶりの再会で、お互い連れ合いを亡くしていることもわかり、
話は尽きなかったという。
要するに藤井サンはその女性と、
以後、一年に二度会うようになった。
春と秋に一泊旅行をするが、
それは各々の家族には秘密であった。
老婚の気について、藤井サンは、
「折角の二人の夢のような再会に、
外野から野次を入れられとうなかった」と言う。
秋には紅葉の高雄の雨にぬれて歩いたり、
春には彦根の桜を愛でたという。
ところが、秋の約束の日を待たず、会いたい!と、
それも思い出の地、高雄で、と連絡があった。
それで藤井サンは釣りの約束を断って、
高雄の神護寺へかけつけた。
まだ青い楓の木の下で長いこと待ったけど、来なかった。
栂尾・高山寺、槇尾・西明寺、とまわったが、
とうとう一日中会えずのまま。
家族の手前、電話もかけられず、
いたずらに日は過ぎていったとのこと。
「歌子さんから、それとなし、
あちらへ問い合わせて、聞いてもらえませんでしょうか?」
私という人間は、ハタから見ると、
どうもこういう用を頼みやすいタイプに見えるらしい。
思うに、
好奇心いっぱいで、それが顔にあらわれ、
世話好きに見えるのであろう。
「秘めたる恋」に私はすっかり心打たれてしまった。
老婚を声高く宣言せず、ひっそりと二人だけの愛を確かめ合う、
というのも「残世のたのしみ」といえるであろう。
私は共感し、
「あちら」の様子を問い合わせる役目を引き受けた。
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・私はその人が住む街の、
ある喫茶店で、その人の娘さんと会った。
四十二、三の美しい婦人である。
まず、電話を入れてみると、
(母は亡くなりました。おとついが初七日でございました)
と娘さんの返事があった。
もう少し詳しい事情を聞きたく、
お目にかかりたいと頼んでみると、
快く聞いてくれた。
その婦人は初対面の私に、
「藤井さんのお友達ではいらっしゃいません?」
と言うではないか。
「ええ、藤井さんとお母さまのお話、ご存じですか?」
「母は心不全で亡くなりましたけれど、
かねがね、自分に来た手紙は、
お棺の中へ入れて欲しいと、
言ってましたので、そうしました」
藤井サンの手紙は、
五十年ぶりに再会した恋人と共に灰になったのであろう。
「入院した日の夜、
母ははじめて私に打ちあけましたの。藤井さんのこと。
ここしばらく、胸騒ぎがして、約束の日まで待てない気がして、
速達をさしあげた、悪いことをした、
今ごろ、藤井さんは私が入院したこともご存じなく、
高雄の山で待っていらっしゃるかもしれない、と言っておりました。
もし万が一のことがあっても、お知らせすることはない。
もし、おたずねになったら、
あれは亡くなりましたが楽しい思い出をありがとうございました、と
お礼申し上げます、と言ってほしいと言ってました。
それだけでいいからって。母は申しました」
私と娘さんは顔を見合わせた。
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・その後、私は滝本サンの趣味である、
赤提灯の飲み屋で、藤井サンの美しい恋の思い出話をする。
藤井サンは私の報告を聞いて、
「そうでしたか。死にましたか・・・」
その声は悲しみとは別に、深い思いがこもっていた。
「私もじ~んと来ましたわ」と言ったら、
「いや~、そういう話は私の性に合わんですなあ」と言い放つ。
「来んようになったら、死んどるんですわ。
その時はサッとあきらめな、いかん。
藤井サンも第三者に頼んで様子みてもらうなんて、
女々しいことを、ええトシしてするもんやない」
「ガンコ者!夢がないんですわ、滝本サンは」
「宝塚ファンは度しがたいですな」
ケンカになってしまう。
「歌子サンね、人間、老いてのツキアイは、旅烏に出るんでっせ」
「旅烏って、何ですの?」
「いつ、風にさそわれてあの世へ飛んでいかんならんか知れへん。
そやから、カラッとつき合いましょうや。
ロマンチックベタベタより、ドライがよろし。
トシとればみな人生の旅烏ですわ。
いつあの世へ行くか知れまへん。
ドライこそロマンチックや」
そういえば、この前、三男の嫁が、ハレバレした声で電話してきた。
「お姑さん、子宮を取らなくて済むんですよ。
お祝いに家の改装費を少し出して頂けません?」
と言ってきた。
これはドライだけで、一向、ロマンチックではないが。
(了)