むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

24、姥寝酒  ①

2021年11月06日 07時53分57秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「オカーチャン」

そろそろ眠ろうかしらと思っていると、電話がかかってくる。
次男のキヨアキは豊中に住んでいる。

長男は西宮、三男は箕面、
身内の間ではもっぱら住む地名で呼び合う。

「オカーチャン」と電話してくるのは、長男と次男。
三男はめったにして来ない。

これは大阪弁に「オカーサン」というコトバがないせいである。
私の夫は姑のことを「おかあはん」と呼んでいたが、
これは死語になった。

長男は代々の服地問屋の仕事を受け継いで、
「山勝」という会社の社長であり、五十六才。

次男は鉄鋼会社の部長で五十二才。
何ぞというと電話してくる。

仕事がらみの宴会が終って家へ帰ると、
女房は寝ており、所在なさに、

「あ、オカーチャン、ワシや」

私の迷惑もかえりみず、くちゃくちゃと上司のワルクチ、
会社の内紛、得意先のエゴ・・・などをしゃべりたてる。

彼らに言わせると、八十になるのに、
マンションで一人暮らししたがる厄介な私が気になるからこそ、
電話も絶えず入れて、動静を把握しようという、
いじらしい子供の孝行心。

それはまあ、私も別にへんくつばあさんでない証拠に、
有難いこと、とは思う。

それでも、長男が会社経営の愚痴をこぼし、
次男が社内の内紛に泣き言を言うのは甘えだと思う。

私もつい、今までは、

(ほんなら東京の支店、縮小したらどないですねん)とか、

(上司に反対ばっかりせんと、
上司のお気に入りの人らも取り込むようにしなはれ)

などと示唆してきたが、
いつまでも頭がはげ、腹の出てきたいいトシのおっさんに、
子守唄を唄ってやることもないであろう。


~~~


・「何しとんねん?」

「本、読んでますのや」

「何読んでんねん」

「山頭火の句集や」

読んでみると、これも中々面白く、
かつ、放浪流転の行乞生活は、女には出来にくい。

(男はんの世界やなあ)

「山頭火のどこがええねん。
今日びはやっぱり五、七、五がええ。
そんなもんにうっとりしてたら、ボケてまうぞ」

「そんなことあれへん。まあ、聞きなさい。

<うしろすがたのしぐれてゆくか>
<へらへらとして水を味ふ>
<誰も来ないたうがらしの赤うなる>

ええやないか。
この人はさすらいに命をかけた俳人やけど、
私ももうすぐお迎えの来る身、
よう、身に沁みますのや」

「まだ早いわい!」

次男はわめく。

「アテつけがましいこと言うな。
うしろがしぐれて、水飲んで、誰も来うへんからいうて、
とうがらしみたいに赤うなってむくれとった・・・
はは~ん、わかった、オカーチャン、株で損したんちがうか。
うしろがしぐれてる、いうんは、ごつい損した、ということやな」

どこかで救急車のサイレンが夜気をふるわせて鳴っている。

「なんぼも損してへん」

「隠さんでもええやないか」

「ほんまや」

次男が何か言いかけたが、私は電話を置いた。
さっきの救急車のサイレンは、このマンションの下で止ったからである。

このマンションは東神戸の十階建てで、
北側の部屋は山に向き、南側は海に面しているが、
私の部屋のように端っこであると、双方見えて、
かなり景観はいい。

収入も地位も水準以上の人が入居しており、
物静かでリッチな気分がある。

だから救急車出動というようなドラマチックな事態は、
かって起きなかった。

私もこんな近までピーポピーポを聞くのははじめてである。






          


(次回へ)

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