・「オカーチャン」
そろそろ眠ろうかしらと思っていると、電話がかかってくる。
次男のキヨアキは豊中に住んでいる。
長男は西宮、三男は箕面、
身内の間ではもっぱら住む地名で呼び合う。
「オカーチャン」と電話してくるのは、長男と次男。
三男はめったにして来ない。
これは大阪弁に「オカーサン」というコトバがないせいである。
私の夫は姑のことを「おかあはん」と呼んでいたが、
これは死語になった。
長男は代々の服地問屋の仕事を受け継いで、
「山勝」という会社の社長であり、五十六才。
次男は鉄鋼会社の部長で五十二才。
何ぞというと電話してくる。
仕事がらみの宴会が終って家へ帰ると、
女房は寝ており、所在なさに、
「あ、オカーチャン、ワシや」
私の迷惑もかえりみず、くちゃくちゃと上司のワルクチ、
会社の内紛、得意先のエゴ・・・などをしゃべりたてる。
彼らに言わせると、八十になるのに、
マンションで一人暮らししたがる厄介な私が気になるからこそ、
電話も絶えず入れて、動静を把握しようという、
いじらしい子供の孝行心。
それはまあ、私も別にへんくつばあさんでない証拠に、
有難いこと、とは思う。
それでも、長男が会社経営の愚痴をこぼし、
次男が社内の内紛に泣き言を言うのは甘えだと思う。
私もつい、今までは、
(ほんなら東京の支店、縮小したらどないですねん)とか、
(上司に反対ばっかりせんと、
上司のお気に入りの人らも取り込むようにしなはれ)
などと示唆してきたが、
いつまでも頭がはげ、腹の出てきたいいトシのおっさんに、
子守唄を唄ってやることもないであろう。
~~~
・「何しとんねん?」
「本、読んでますのや」
「何読んでんねん」
「山頭火の句集や」
読んでみると、これも中々面白く、
かつ、放浪流転の行乞生活は、女には出来にくい。
(男はんの世界やなあ)
「山頭火のどこがええねん。
今日びはやっぱり五、七、五がええ。
そんなもんにうっとりしてたら、ボケてまうぞ」
「そんなことあれへん。まあ、聞きなさい。
<うしろすがたのしぐれてゆくか>
<へらへらとして水を味ふ>
<誰も来ないたうがらしの赤うなる>
ええやないか。
この人はさすらいに命をかけた俳人やけど、
私ももうすぐお迎えの来る身、
よう、身に沁みますのや」
「まだ早いわい!」
次男はわめく。
「アテつけがましいこと言うな。
うしろがしぐれて、水飲んで、誰も来うへんからいうて、
とうがらしみたいに赤うなってむくれとった・・・
はは~ん、わかった、オカーチャン、株で損したんちがうか。
うしろがしぐれてる、いうんは、ごつい損した、ということやな」
どこかで救急車のサイレンが夜気をふるわせて鳴っている。
「なんぼも損してへん」
「隠さんでもええやないか」
「ほんまや」
次男が何か言いかけたが、私は電話を置いた。
さっきの救急車のサイレンは、このマンションの下で止ったからである。
このマンションは東神戸の十階建てで、
北側の部屋は山に向き、南側は海に面しているが、
私の部屋のように端っこであると、双方見えて、
かなり景観はいい。
収入も地位も水準以上の人が入居しており、
物静かでリッチな気分がある。
だから救急車出動というようなドラマチックな事態は、
かって起きなかった。
私もこんな近までピーポピーポを聞くのははじめてである。
(次回へ)