・伊丹に住んで六年になるが、ふと思い出したのは、
戦時中、学徒動員で働かされた工場は伊丹にあった、ということだ。
田んぼや畑の中の道を長いこと歩いて工場へ通った記憶があるが、
今は家が建て込んで面影はない。
私はその工場で数か月間、寮に住み込み、
飛行機の部品を作らされていた。
昭和十九年の秋ごろ、
女専(旧制女子専門学校)の生徒ばかり数百人が寮に入っていたが、
元々、女子工員を寄宿させている工場だったから、
少女たちを泊める設備はあった。
それは「郡是(グンゼ)」である。
戦時中は絹の靴下どころではなく、
そこで私があてがわれた仕事は、小さなボールやナットを作ることだった。
「そんな仕事をさせるために、上級学校へやったんとちがう!」
母は嘆いたが、私は、
「お母ちゃん、非国民や!
あたしらが働かな、日本、負けるねん!」
と意気込んでいた。
三交代で深夜も働き、
それがお国に対して出来る自分の戦争だ、と信じ込んでいた。
大豆や海藻入りのごはんに、得体の知れぬふりかけ、
どろどろした団子汁、という食事で頑張っていた。
その当時、三十年先にこの町に住もうとは、思いもしなかった。
いや、三十年先まで生きているとは考えられなかった。
いずれ日本は玉砕するから、
その時はみんな死ぬのだ、と思い込んでいた。
その時、一緒に働いていた広島女専の少女たちは、
昭和二十年の春、「郡是」を引きあげ、広島へ帰り、
そこで被爆したと聞いた。
終戦まで伊丹に居れば、
若い命は散らずに済んだかもしれなかった。
わが町を語ることは、戦争を語ることである。
伊丹は空襲に遭わなかったそうで、
町の所々に古い建物があって、楽しい。
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・伊丹について知っていることを、
大阪の若い人たちにあげてもらった。
「空港がある」
「渡り鳥が飛んでくる、何とかいう大きな池がある」
それがすべてであった。
その池は昆陽池(こやいけ)という名も伊丹へ来て知った。
なんで神戸から伊丹へ?とよく人に聞かれるが、
別に確たる信念があってのことではなく、
私の人生は「流されゆく日々」風である。
妹夫婦が長年、伊丹に住んで、その手づるもあったし、
夫が病気になって、生活環境を変えたらいいかもということだ。
土と水がいいのか、高台で日当たりがいいのか、
木がよく育ち、花の色も濃いように思う。
私はマンション住まいで、植木がないので散歩の途中、
よその家々の木々を賞玩させてもらっている。
飛行機の爆音さえなければ、いうことなしだが。
ここ、伊丹は有名な酒どころ、
「白雪」「老松」「大手柄」今も古い酒蔵が残っていて、
さながら私は酒どころを追って転宅しているあんばいで、
灘の銘酒、伊丹の吟醸、双方楽しめた。
伊丹は酒のおかげで文人墨客を古くから迎え、
地方文化の花を咲かせた町である。
西鶴、頼山陽を迎え、鬼貫を生んだ。
彼らは富裕な酒造業者たちの邸に逗留して、
連歌や俳諧、書画、学問を土地の人に広め、
文化の種をまいていった。
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・現在の伊丹は、町としての文化年齢は稚い気がする。
若い住民が多いので、熟年者向きには出来ていない。
熟年者がじっくり楽しめるところまで、
町が成熟していない。
ファミレスのチェーン店が出来、
お持ち帰り寿司や弁当の支店もあるが、
それは若い主婦にとって便利でいいと思うものだが、
チェーンストアばかりで成り立っている盛り場というのは、
文化不在の証拠である。
小さくても個性のある店がいっぱいあって、
しかも長続きして、小さいまま、代々続いている、
そういうのが望ましい。
去年、伊丹市が市政四十周年記念行事の一つとして、
「荒木村重の叛乱」というお芝居を上演したことは、
面白い試みだったと思っている。
村重は伊丹城を作った名将だが、
織田信長に叛乱して、一族皆殺しにされ、
自分だけは逃れたということで、
今だに評価の定まらぬ武将である。
この悪評を撤回すべく、市在住の劇作家が脚本演出、
市民のアマ劇団が力いっぱい上演した。
昼夜二回、市民がぎっしり詰めかけて、
堂々たる二時間の史劇であった。
「村重はんは、卑怯未練な武士ではなく、花も実もある侍であった」
という解釈がされて、市民は大満足した。
私も見て大変面白かった。
身近のよくわかる文化から、積み重ねてゆくのが、
地方文化を成熟させる道だろうと思われる。
文化も東京から配給されたものをそのまま消化する、
チェーン文化ではなくて、
ひと工夫したその地方の味が出なければ面白くない。
伊丹には、冬は五、六千羽もの渡り鳥の飛来地、昆陽池がある。
白鳥は年中いるが、カモやカモメより雄大で優美で、
心おどる見ものである。
それにしても、私はつくづく思うのだが、
これからは「女が住みよい町」というのが、
町の発展のカギだと。
女が住みよいことは、男を安心させ、
子供をのびのびさせることでもある。
(1981年)
「歳月切符」今日で終わります。
明日からは「いっしょにお茶を」を読んでいきます。
どうぞよろしくお願いいたします。