「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9、姥スター  ②

2021年09月19日 08時08分40秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・次に次男の嫁から電話。

「お姑さん、ありったけのお金を遊びに使われるんですって?
箕面の須美子さんいってらしたけど、株でもうけた分、
そっくり宝塚に入れあげるんですって?」

「ま、当分、宝塚見て厄払いしますわ。
私が元気なんは、もう六十年から宝塚を見てるせいです」

「へえ~、宝塚ってそんな古くからあるんですか」

何いうてるねん。
ウチの嫁たちはそろいもそろって宝塚知らずである。

嫁たちと電話で話すと、いつも言い合いになってしまう。
嫁の方は三人寄って、

「ああいえばこういう、こういえばああいう」

「かわいげない気ぃしはらへん?」

とカゲグチを利きあっていることであろう。

でも、ひょいと私は気づいたのだが、
嫁たちとの言い合い、そういう腹立ちの気力、ファイトが、
ボケない要素かもしれぬ。

腹を立てることは、人間、燃料を燃やすようなもので、
何にも腹を立てなくなったら、
それこそ細木老人のようにボケてしまうだろう。

それを思うと、私は腹を立てさせてくれる嫁どもは、
(嫁女さまさま)というところ。


~~~


・私は気を取り直し、観劇の日、叔母を迎えに行った。

一越ちりめんの青ねずみ色の着物に羽織、
白髪をまとめて小さいまげを作り、
きちんと身ごしらえをして待っていた。

宝塚観劇の日は、英語クラブのメンバーも誘ってある。

富田氏、魚谷夫人、飯塚夫人、
みんなして九十一の叔母を大切に取り囲み、
そろりそろりと花の道を歩くと、
人々は微笑んで道をあけてくれる。

この四月は宝塚がいちばん宝塚らしい月。
遊園地(私はファミリーランドという呼び名よりこっちが好き)の、
入り口の前の道、堤のように高く延びていて、
その道は桜のトンネルなのだ。

叔母は花を仰いで喜ぶ。

「ああ、きれいでごあんな、
今年もまあ、息災でお花見出けて、結構なこと・・・」

毎年四月には、初舞台生がお目見えして、
何十人が舞台にずらりと並ぶ。

そのさまが初々しくて叔母は、

「かわいらしおます」と上機嫌なのだ。

この叔母は私の母の末妹である。
昔からはっさい(おてんば)な女で、私はその血を引いたらしい。

大正三年に出来た時は、自分も入りたいと思ったそうな。
原則は十五才までということで、

「あきらめたんでごあんがな。
嫁入りしてからも、よう参じました。
お父さんは寄席へ行かはる。
ワタエは女中衆(おなごし)さんと子供連れで宝塚へ行ったもの。
阪急宝塚線はもうありましたよってな。
歌子ちゃんも、よう連れて行ったげましたやろ。
あの天津乙女や奈良美也子の『モンパリ』」

その『モンパリ』は、
私の嫁入り話が決まったころであるから、昭和二年。
大劇場はその前に完成していて大階段もあった。

そのあと、「パリゼット」「花詩集」とかかったが、
私はもう結婚していたので見に行くことは出来ない。

嫁の私は、正月に芝居を見に連れていってもらえるが、
宝塚は、

「品のわるい。
船場の人間が見るものと違いますがな。
裸形で足あげたり、男の服着たり、
どこが良うてあんなん見ますのや」

と姑に叱りつけられてしまう。

子供が生まれるわ、戦争になるわ・・・
で、宝塚とも遠ざかってしまった。

やっと見出したのは、六十過ぎてからである。






          


(次回へ)

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