・女三の宮の女房、小侍従は、
柏木に返事を書いた。
「お手紙、
何のことをおっしゃっていられるの?
あなたさまの恋は、
手の届かぬ高嶺の花、
かいなき懸想というものです。
色に出ぬようご用心あそばしませ」
柏木は読んで、
気を腐らせた。
小侍従がいうのは尤もで、
それはわかっている。
青年はこんなあしらいをされて、
満足してはいられない。
青年は頭を抱えて苦しんだ。
苦しむ心の底には、
源氏への嫉妬がある。
今まで源氏を敬愛し、
傾倒していた柏木であったが、
近ごろは源氏に悪意や、
わだかまりを持つようになった。
柏木は、
女三の宮の御殿のあたりの、
花でも見て心を慰めようと出かけた。
御所での賭弓(のりゆみ)が、
二月にあるはずだったが、
行われず、
三月は主上の御母宮(藤壺の宮)の、
御忌月だから催しごとはない。
人々は残念に思っていたので、
この六條院で賭弓が行われると聞いて、
たくさん集まった。
近衛の左大将は、
源氏の養女、玉蔓の婿君、髭黒であり、
右大将は嫡男、夕霧、
いずれも源氏に近しいので、
そろってやって来た。
弓技に自信のある殿上人たちを、
左右に分けて競射させる。
賭弓は、
品物を賭けて争う競射で、
賭物は六條院のあちこちの御殿から、
出されるので興趣をさそった。
髭黒や夕霧たちが、
射ることになったが、
ただ柏木一人、
ぼんやりと物思いにふけったさま。
事情をうすうす知っている夕霧は、
困ったな、と思っていた。
(面倒なことにならなければいいが)
柏木は良心の鬼に責められて、
源氏を見る目がまぶしかった。
柏木は、
軽佻浮薄な青年ではなかった。
真率で正直な性格であった。
ふだんから端正に身を持し、
人の非難を買うような振る舞いは、
あってはならぬと、
真面目に生きてきた。
それが今ではすっかり変った。
恋は人を狡猾にする。
(そうだ。
せめてあの時の猫を、
手に入れられないものか。
恋を語りあえなくとも、
一人寝の淋しさを慰めるのに、
なつけてみよう)
どうやって、
あの猫を盗み出そうか?
いろいろ考えたが、
むずかしい。
東宮(朱雀院の御子)の御前へ、
柏木は参上しても、
考えることは、
(ご兄妹だから、
きっと似ていらっしゃる)
あけてもくれても、
そして見るもの聞くもの、
ことごとく女三の宮につながる。
恐れ多いことながら、
東宮を拝見して、
三の宮のおんおもざしに、
似通っていられるところを、
さがしたいのであった。
御所には猫が多く飼われている。
そのさまを見て、
青年の胸に計画が浮かんだ。
「六條院の女三の宮さまの、
ところで飼っていられる猫は、
このあたりでは見ない、
可愛いお顔をしております。
ちらと見ただけですが」
と申しあげると、
宮の兄君である東宮は、
猫がお好きなので、
膝を乗り出された。
果たして東宮は、
明石の女御を通して、
女三の宮の猫をご所望になった。
女三の宮はさっそく、
兄君に差しあげられた。
「ほんとうに可愛らしい猫!」
と人々は興じて、
珍重する。
柏木は、
もう猫が東宮御殿へ来ただろうな、
というころを見計らって、
参上した。
青年の計画は図に当たった。
(次回へ)