こちらも夏休み恒例の実家へのお泊まり。
泊まるってほど遠いところでもないので、
母とはちょいちょい会ってはいるのですが、
夏休みにはお泊まりがないと子供達が納得しない。
母もかわいい孫たちが来てうれしいだろうし。
しかし、こどもたちが成長するにつれ、
夏休みのスケジュールも厳しくなってきて、
今年は、空手の集中稽古とお祭りにはさまれて、
ほんの2泊しかできませんでした。
私の方の家系はかなりなんでもありのアバンギャルドな家風でございますので、
こんな格好で一日すごしていてもなんもいわれない。
これが旦那実家だったらとんでもないんだけど(^^;A)
そもそも旦那実家と比べるようになるまで、
夏休みに家やそのまわりでこんな格好できゃっきゃ遊ぶことが悪いなんて、
考えたこともなかったですね。
毎年恒例の駅周辺の公園の噴水で水遊び。
長男12才にして、まだまだ人前でパンツ一丁でへーちゃら。
今年は父の13回忌なので、
私たちが滞在中に、父の友人3人が墓参りにきてくださいました。
お墓は実家から歩いてすぐの場所にあります。
私と子供らで案内して山の上の墓へ。
一人の方はお坊さんになったらしく、
墓の前でお経をあげてくださいました。
3人とも父とは仕事繋がりの友人なのですが、
仕事とはいえ、父は本当にいろんな人とかかわり、
みんなと真剣に付き合っていたのだなーと、痛感します。
みなさんお墓の前で、それぞれ父に話しかけたり、
父と最後に会ったときの父との会話をまとめた文章を朗読してくださったり、
単なる仕事でのおつきあいとはかけ離れたものを感じました。
生前の父の仕事は釣りの月刊誌『フィッシング』の編集長。
今はなき雑誌となりましたが、ご存知の方も多いのでは?
編集長とはいえ、デスクワークよりアウトドアの方が多かった。
日本のみならずアラスカからアフリカまで世界各地へ釣りに行き、
取材、撮影とマルチにこなしていました。
常に船の上や岩の上で釣りをしているので、
色は真っ黒で笑うと歯だけが白い(笑)
アフリカからの帰りの飛行機の中で、
スッチーから「どちらへおでかけですか?」と聞かれた男です(笑)
家では父の姿がしばらく見えないと
「パパどこいってんの?」
「知らない。」
という会話が普通でしたw
冷蔵庫の中にうっかり釣り餌用のウジ虫が入っているのも普通だったし(^^;A)
あるとき私の部屋の洋服などがごちゃごちゃおいてある中に、
見知らぬ袋が。。。。
「なにこれ?」
「さあ~」
おそるおそる中を開けてみると、
「なんか、、、、パラシュート?みたいだけど、、、、???」
「パラシュート」
「あー!それ、パパがもらってきたんだ!テントのフライシートにしたらおもしろいと思って!」
という具合に、家にうっかりパラシュート置き忘れてあるしw
他にもここには書きにくい、数々の伝説を残していますが、
こんな父は、父というより『おもろいおっさん』でしたねw
山男、釣り師だったおやじは、
クマに襲われて命からがら川の中を走って逃げたり、
海外で酔ってホテルで寝ていたら、仲間が身ぐるみはがれてたり、
船でつりに出て、嵐にあって甲板のトイレで両手をつっぱったまま、
波に何度も流されそうになったり。
こんな苦楽をともにしていれば、
仕事仲間との絆が強いのもうなずけます。
ま、私がかなり変人に対してのキャパシティが広いのも、
私自身がアバンギャルドであることも、
こんな環境で育ったからこそですね~。
そしてこんな旦那を持った母も、
なみなみならぬ苦労(心配)をしてきたと思います。
生きてたら、男の子の孫ができて、すごく楽しかっただろうなーと、
返す返すも残念です。
と、父の命日も近いので、父のこと書いてみました。
父の墓参りのとき、山の上にあった、
くじらのような木。
子供たちがグランマさんにおみやげに買っていったワンピースを着てパチリ
実家で長男が作ったねんどの宇宙人たち。
トイレと宇宙人。宇宙人のうんこって意外と普通なんだな。
泊まるってほど遠いところでもないので、
母とはちょいちょい会ってはいるのですが、
夏休みにはお泊まりがないと子供達が納得しない。
母もかわいい孫たちが来てうれしいだろうし。
しかし、こどもたちが成長するにつれ、
夏休みのスケジュールも厳しくなってきて、
今年は、空手の集中稽古とお祭りにはさまれて、
ほんの2泊しかできませんでした。
私の方の家系はかなりなんでもありのアバンギャルドな家風でございますので、
こんな格好で一日すごしていてもなんもいわれない。
これが旦那実家だったらとんでもないんだけど(^^;A)
そもそも旦那実家と比べるようになるまで、
夏休みに家やそのまわりでこんな格好できゃっきゃ遊ぶことが悪いなんて、
考えたこともなかったですね。
毎年恒例の駅周辺の公園の噴水で水遊び。
長男12才にして、まだまだ人前でパンツ一丁でへーちゃら。
今年は父の13回忌なので、
私たちが滞在中に、父の友人3人が墓参りにきてくださいました。
お墓は実家から歩いてすぐの場所にあります。
私と子供らで案内して山の上の墓へ。
一人の方はお坊さんになったらしく、
墓の前でお経をあげてくださいました。
3人とも父とは仕事繋がりの友人なのですが、
仕事とはいえ、父は本当にいろんな人とかかわり、
みんなと真剣に付き合っていたのだなーと、痛感します。
みなさんお墓の前で、それぞれ父に話しかけたり、
父と最後に会ったときの父との会話をまとめた文章を朗読してくださったり、
単なる仕事でのおつきあいとはかけ離れたものを感じました。
生前の父の仕事は釣りの月刊誌『フィッシング』の編集長。
今はなき雑誌となりましたが、ご存知の方も多いのでは?
編集長とはいえ、デスクワークよりアウトドアの方が多かった。
日本のみならずアラスカからアフリカまで世界各地へ釣りに行き、
取材、撮影とマルチにこなしていました。
常に船の上や岩の上で釣りをしているので、
色は真っ黒で笑うと歯だけが白い(笑)
アフリカからの帰りの飛行機の中で、
スッチーから「どちらへおでかけですか?」と聞かれた男です(笑)
家では父の姿がしばらく見えないと
「パパどこいってんの?」
「知らない。」
という会話が普通でしたw
冷蔵庫の中にうっかり釣り餌用のウジ虫が入っているのも普通だったし(^^;A)
あるとき私の部屋の洋服などがごちゃごちゃおいてある中に、
見知らぬ袋が。。。。
「なにこれ?」
「さあ~」
おそるおそる中を開けてみると、
「なんか、、、、パラシュート?みたいだけど、、、、???」
「パラシュート」
「あー!それ、パパがもらってきたんだ!テントのフライシートにしたらおもしろいと思って!」
という具合に、家にうっかりパラシュート置き忘れてあるしw
他にもここには書きにくい、数々の伝説を残していますが、
こんな父は、父というより『おもろいおっさん』でしたねw
山男、釣り師だったおやじは、
クマに襲われて命からがら川の中を走って逃げたり、
海外で酔ってホテルで寝ていたら、仲間が身ぐるみはがれてたり、
船でつりに出て、嵐にあって甲板のトイレで両手をつっぱったまま、
波に何度も流されそうになったり。
こんな苦楽をともにしていれば、
仕事仲間との絆が強いのもうなずけます。
ま、私がかなり変人に対してのキャパシティが広いのも、
私自身がアバンギャルドであることも、
こんな環境で育ったからこそですね~。
そしてこんな旦那を持った母も、
なみなみならぬ苦労(心配)をしてきたと思います。
生きてたら、男の子の孫ができて、すごく楽しかっただろうなーと、
返す返すも残念です。
と、父の命日も近いので、父のこと書いてみました。
父の墓参りのとき、山の上にあった、
くじらのような木。
子供たちがグランマさんにおみやげに買っていったワンピースを着てパチリ
実家で長男が作ったねんどの宇宙人たち。
トイレと宇宙人。宇宙人のうんこって意外と普通なんだな。