ふと、まぼろしについて書いて、
そして久しぶりにYouTubeでまぼろしを聞いたら、
いろんなことが蘇ってきた。
まず、このアルバムBLUEがとにかく好きだった。
よそ者、という歌も、今でもちょいちょいチャリに乗りながら歌ってる。
多摩蘭坂もBLUEに収録されている。
中学のころ、ひとりでチャリに乗って、
よく多摩蘭坂に行きました。
坂の途中、、、
このあたりの家を借りて住んでたのかなー、なんて考えながら。
私の通っていた幼稚園は、
多摩蘭坂の途中にありました。
清志郎とすれ違ってたかも、などと考えるだけで嬉しかった。
中学の頃、暗い部屋でよく聞いたBLUE。
思春期のダークサイドです。
抱える闇の部分です。
おばさんになり図々しくなり、
母になり忙しくなり、
長く生きて、理解者などいないとわかり、
期待して裏切られることがわかり、
そんな闇につかまっている暇もなくなり、
そんなものないような顔して暮らせるようになり。
しかし、闇はなくなってはいない。
理解者などいないのは変わらないが、
もしいま、そんな人が現れたら、
とっととついていってしまう。
家に連れて帰るのではなく、
自分が連れられていく。
がさつになって、
理解者などいなくても、
ひとりでなんなく強く生きていける。
でもたまには、
清志郎の歌声に、心揺さぶられる感じを思い出して、
暗い部屋で、ペチャンコになって、
BLUEを聞いたりするのもいいな。
そして久しぶりにYouTubeでまぼろしを聞いたら、
いろんなことが蘇ってきた。
まず、このアルバムBLUEがとにかく好きだった。
よそ者、という歌も、今でもちょいちょいチャリに乗りながら歌ってる。
多摩蘭坂もBLUEに収録されている。
中学のころ、ひとりでチャリに乗って、
よく多摩蘭坂に行きました。
坂の途中、、、
このあたりの家を借りて住んでたのかなー、なんて考えながら。
私の通っていた幼稚園は、
多摩蘭坂の途中にありました。
清志郎とすれ違ってたかも、などと考えるだけで嬉しかった。
中学の頃、暗い部屋でよく聞いたBLUE。
思春期のダークサイドです。
抱える闇の部分です。
おばさんになり図々しくなり、
母になり忙しくなり、
長く生きて、理解者などいないとわかり、
期待して裏切られることがわかり、
そんな闇につかまっている暇もなくなり、
そんなものないような顔して暮らせるようになり。
しかし、闇はなくなってはいない。
理解者などいないのは変わらないが、
もしいま、そんな人が現れたら、
とっととついていってしまう。
家に連れて帰るのではなく、
自分が連れられていく。
がさつになって、
理解者などいなくても、
ひとりでなんなく強く生きていける。
でもたまには、
清志郎の歌声に、心揺さぶられる感じを思い出して、
暗い部屋で、ペチャンコになって、
BLUEを聞いたりするのもいいな。
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