駒澤大学「情報言語学研究室」

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ゆつのつまくし【湯津爪櫛】

2022-10-06 17:42:00 | ことばの溜池(古語)

ゆつのつまくし【湯津爪櫛】 
⑸顕昭『袖中抄』巻 〔京都大学図書館蔵平松文庫蔵二〇八齣所収〕
  ゆつのつまくし
あさまたきけふさいとなくかきなつる
かみなひくなりゆつのつまくし
 顕昭云ゆつのつまくしとは日本紀注云湯津(ユツ)ノ
 爪櫛(ツマクシ)師説湯是レ潔斎之義也。今云由紀(ユキ)ト者是湯
 之義也。主基者是其次也。然則湯(ユ)ハ者是( レ)伊波
 比支与麻波留(ヒキヨマハル)之辞(コトハ)也。津者是レ語助也。天津等
 皆是也。爪櫛(ツマクシ)ハ者其ノ形(  チ)如爪(ツメノ)也。問云
  文ニ投(ナク)ト於醜女(シコメ)ニ[一]爪櫛者同欤。兼欤。答云案古事
  記ヲ云判左ノ之御美豆良湯津之間櫛之男柱
  一箇取闕也。下文云判其右請美豆良之湯津之
 間櫛  闕而投弃。然則左右各別此文難不見
  而猶可依彼文也。
 
 顕昭(ケンシヤウ)云(い)ふ、ゆつのつまくしとは『日本紀注(ニホンギノチウ)』に云(い)はく、湯津(ユツ)の爪櫛(ツマクシ)。
 師説(シセツ)に、湯(ゆ)是(こ)れ潔斎(ケツサイ)の〈之〉義(ギ)なり〈也〉。
 今(いま)云(い)ふ由紀(ユキ)とは〈者〉、是(こ)れ湯(ゆ)の〈之〉義(ギ)なり〈也〉。
 主基(シユキ)は〈者〉是(こ)れ其(そ)の次(つぎ)なり〈也〉。
 然(しか)れは則(すなは)ち、湯(ユ)は〈者〉是(こ)れ伊波(イハ)比支与麻波留(ヒキヨマハル)の〈之〉辞(コトハ)なり〈也〉。
 津(つ)は〈者〉是(こ)れ語助(コノタスケ)なり〈也〉也。
 天津等(あまつら)皆(みな)是(こ)れなり〈也〉。
 爪櫛(ツマクシ)は〈者〉其(そ)の形(かた)ち、爪(ツメ)のごとき〈如〉なり〈也〉。
 問(と)ふて云(い)ふ、文(ふみ)ニ醜女(シコメ)に〈於〉投(ナク)ぐと爪櫛(つまくし)は〈者〉同(おな)じか〈欤〉。兼(か)ぬるか〈欤〉。
 答(いらへ)て云(い)ふ、案(アン)ずるに、『古事記(コジキ)』を云(い)ひ、判(ハン)ずる左(ひだり)の〈之〉御(み)美豆良湯津(みつらゆつ)之(の)間櫛(まくし)の〈之〉男柱(ほとり)は一箇(イツカ)を取(と)り闕(か)くなり〈也〉。
 下文(くだしぶみ)に云(いは)く、判(ハン)ずるに其(そ)れ右(みぎ)に請(う)け、美豆良之湯津(みつらしゆつ)之(の)間櫛(まくし)を闕(か)きて〈而〉投弃(なげす)つ。
 然(しか)れば則(すなは)ち、左右(ともかくも)各別(カクベツ)に此(こ)の文(ふみ)に見(あらは)せざり〈不〉難(かた)くして〈而〉猶(なほ)、彼(かの)文(ふみ)に依(よ)るべき〈可〉なり〈也〉。

小学館『日本国語大辞典』第二版
【親見出】しゆーつ【斎ー】ゆつの爪櫛(つまぐし)
(後世は「ゆづのつまぐし」とも。「ゆつ」の「つ」が、「の」の意であることが忘れられてできたもの)「ゆつ(斎ー)爪櫛」に同じ。*日本書紀〔七二〇(養老四)
〕神代上(兼方本訓)「陰(ひそか)に湯津爪櫛(ユツノツマクシ)を取りて其の雄柱(ほとりは)を牽折(ひきか)き」*新勅撰和歌集〔一二三五(嘉禎元)〕恋三・七八八「かつ見れど猶ぞ恋しきわぎもこがゆつのつまぐしいかがささまし〈藤原基俊〉」*仮名草子・東海道名所記〔一六五九(万治二)~六一頃〕四「尊(みこと)すなはち、湯津のつま櫛を稲田姫のかしらにさして」*浮世草子・新可笑記〔一六八八(元禄元)〕二・二「浅からぬ御枕のはじめ、ゆづのつまぐしなげて御心にしたがふと見て夢はさめての明かたに」【辞書】書言【表記】【湯津爪櫛】書言
    
【古辞書】江戸時代の『書言字考節用集』には、標記語「湯津爪櫛」で、訓みを「ゆづのつまぐし」としていて、「津」が既に助語「の」に相当する語である意識が失われていたことが見てとれる。語註記には「爪櫛は柞(ユス)なり〈也〉神代卷」とするが、「柞(ユス)」の訓みは、「ハハソ。ニレ。タラノキ。クシノ」が玉篇訓に見え、

【古辞書】
①『新撰字鏡』柞 奈良(なら)、又、比曾(ひそ)、又、志比(しひ)なり
②『和名抄』 柞 由之(ゆし)、漢語抄に云ふ、波々曾(ははそ)
③『名義抄』 柞 ユシ・ハハソ・カシ・ユシノキ・キル・キキル・サク・ナカスホナリ 
④『字鏡集』 柞 キル・ユスノキ・ユヅリハ・カシノキ・ハハソ・マユミ・ナカスホナリ・ユシ・カシ・サク・キキル
とあって、『字鏡集』に「ユスノキ」の訓みを所載することが見えている。それ以前は、「由之(ゆし)」、『名義抄』の第一訓「ユシ」が見えている。
 
湯津(ユヅ)爪櫛(ツマグシ)ーー者柞(ユス)ハ/也神代卷〔巻七器財門由部(三四オ)六二五頁5〕

『古事記』上卷神代
○かれ速須佐之男命(はやすさのをのみこと)。すなはちその童女(をとめ)を湯津爪櫛(ゆつつまくし)にとりなして。御美豆良(みみづら)に刺(ささ)して。その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神(かみ)にのりたまはく。汝等(いましたち)。八塩折(やしほをり)の酒(さけ)を釀(かみ)。また垣(かき)をつくり廻(もとほ)し。その垣(かき)に八(やつ)の門(かど)をつくり。門毎(かどごと)に八(やつ)の佐受岐(さづき)を結(ゆひ)。そのさずきごとに。酒船(さかぶね)を置(おき)て船(ふね)ごとにその八塩折(やしほをり)の酒(さけ)をもりて待(まち)てよとのりたまひき。

『日本書紀』くし【櫛】19語中「湯津爪櫛」3語一文訓み下し
360○伊奘諾尊、聽(き)きたまはずして、陰(ひそか)に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取(と)りて、其(そ)の雄柱(ほとりは)を△牽(ひ)き折(か)きて、秉炬(たひ)として、見(み)しかば、膿(うみ)沸(わ)き蟲(うじ)流(たか)る。〔卷一〕
369○伊奘諾尊、又(また)湯津爪櫛を投げたまふ。〔卷一〕
857○△故(かれ)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、立(たちなが)ら奇稻田姫(くしいなだひめ)を、湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に化爲(とりな)して、御髻(みづら)に插(さ)したまふ。〔卷一〕

『古事記』上卷神代
○かれ速須佐之男命(はやすさのをのみこと)。すなはちその童女(をとめ)を湯津爪櫛(ゆつつまくし)にとりなして。御美豆良(みみづら)に刺(ささ)して。その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神(かみ)にのりたまはく。汝等(いましたち)。八塩折(やしほをり)の酒(さけ)を釀(かみ)。また垣(かき)をつくり廻(もとほ)し。その垣(かき)に八(やつ)の門(かど)をつくり。門毎(かどごと)に八(やつ)の佐受岐(さづき)を結(ゆひ)。そのさずきごとに。酒船(さかぶね)を置(おき)て船(ふね)ごとにその八塩折(やしほをり)の酒(さけ)をもりて待(まち)てよとのりたまひき。


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