中津城は中津川の河口に築城された平城で、堀には海水が引き込まれているため「今治城」「高松城」と並ぶ日本三大水城の一つに数えれれています。
1.中津城天守閣
豊臣秀吉に豊前国6郡16万石を与えられた「黒田孝高:くろだよしたか(官兵衛)」が1588年に築城を開始しました。
2.豊前国の中心
当時の豊前国は福岡県の東部と大分県の北部が含まれており、中津がその中心地でしたた。
3.細川時代
1600年に黒田家は関ヶ原の戦功で福岡52万石へ移封され、小笠原家が中津8万石の城主となります。
その後細川家を経て1717年に奥平家が入城します。
4.奥平家時代
長篠の戦いで戦功を挙げた奥平家は家康の長女を正室と迎え、以後一族は繁栄しました。
明治維新まで奥平家が中津を治めていました。
5.廃藩置県により破却
1870年福沢諭吉の進言により御殿を残し中津城は破却されます。
6.旧主奥平家が再建
1964年旧主奥平家が中心となり、市民の寄付を集め模擬天守が建造されました。
現在は社団法人となり運営されています。国内唯一の株式会社が運営する城郭となっています。
奥平家の武具や中津に関する展示館となっています。
7.福沢諭吉の業績
中津藩出身の歴史上の人物として、福沢諭吉は外せません。
慶応義塾以外にも一橋大学の前身や東京大学医科学研究所の前身などを創設し、明治の「六大教育家」の一人とされています。
彼は大変な勉強家で、大阪適塾の塾頭も務め、たくさん書物を読んでいます。貧しい下級武士が生きる上で学問が必須な時代でした。
有名な著書「学問のすすめ」は当時340万部も読まれたそうで、その数は人口の10人に一人に相当する大ベストセラーだったそうです。
8.天守台からの眺め
中津川の河口から豊後灘が見えます。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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