![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7c/2ee4e0ab40ec42cd461ce9805715d1b8.jpg)
ドロミテ観光の中心地であるコルチナ・ダンペッツオの街は今は「ドロミテの真珠」などと呼ばれていますが、
第一次世界大戦中、ドロミテ街道のトンネルの壁に無名戦士による落書きが「やぁ、コルティーナ、君はドロミーティの女王だ!」とあったそうです。
人口6000人ほどの山々に囲まれた静かな街です。
かつては畜産の村でしたが、森林開発と木材取引により発展しました。
19世紀中ごろにドロミテ鉄道(1960年代に廃線)が開通すると裕福なイギリス人やドイツ人、ロシア人旅行者が訪れ、
その美しい山々を新聞やガイドブックに発表して世界中に知られるようになり、大型ホテルやスポーツ施設が建築されドロミテの中心地となりました。
歴史的には7世紀から18世紀まで栄えた「晴朗きわまるベネツィア共和国」の領土となり、
その後400年間にわたり「オーストリアハンガリー帝国」、第一次世界大戦後の1919年にイタリアの領土となりました。
20世紀になりスキーなどの雪上スポーツが盛んとなり、1956年に開催された冬季オリンピックは初のテレビ放送により世界各国で試聴されました。
1.聖フィリッポと聖ヤコブ寺院
写真は寺院の北側にあるローマ広場からの撮影です。左手の壁に紋章のある建物は「旧市役所」です。
2.ドロミテ街道から街へ下る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b1/63f1d9b6e34fd0ed56911d3a512af774.jpg)
アンペッツオ地方の谷底にある街。世界中から冬のスキーや夏の登山に観光客が訪れます。
3.北西にそびえるトファーナ山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/20/483de9f51e9cfb1535247bd56bcbe786.jpg)
谷の北西にそびえるトファーナ山3243m。
4.朝の散歩
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f0/55a2b6170d5e5a5b2700f726b329c54f.jpg)
ホテルから東側にある鉄道線路跡の遊歩道へ散歩しました。
5.旧鉄道の橋梁からの眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9f/af3d004c234fed454e9371e10b1db372.jpg)
散歩道の橋梁は撮影ポイントで、街の全景と後ろには森林と山塊を見ることができます。
6.聖フィリッポと聖ヤコブ寺院の尖塔と山塊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/d6/3d806c60134eb3ad3985600104d84ebd.jpg)
尖塔の後ろはトファーナ山。
7.ホテルの部屋からの眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/20/8b640fbe8e4422cf5a89b2f7fa67f868.jpg)
道路の反対側が聖フィリッポと聖ヤコブ寺院です。
道路は歩行者天国となっている街のメインストリート「コルソ・イタリア通り」です。
8.旧市役所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/16/e83036c5be2366150af08d7e9fd1fa47.jpg)
壁には地方の貴族の紋章が描かれています。
9.聖フィリッポと聖ヤコブ寺院をコルソ・イタリア通り南側広場から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/53/afe87c3d1f6434b27e4191cacfe03339.jpg)
道路を挟んで寺院の反対側、右奥のベランダのある5階建建物が宿泊した「ホテル・コルチナ」です。
街のコルソ・イタリア通りの観光案内所では、夏の入シーズンには日本語会話が可能なアシスタントが在籍するそうです。
立ち寄った時、ちょうど出来立ての日本語「ガイドブック」を頂きました。
撮影:CANON EOS M5 + EF-M15-45mm
第一次世界大戦中、ドロミテ街道のトンネルの壁に無名戦士による落書きが「やぁ、コルティーナ、君はドロミーティの女王だ!」とあったそうです。
人口6000人ほどの山々に囲まれた静かな街です。
かつては畜産の村でしたが、森林開発と木材取引により発展しました。
19世紀中ごろにドロミテ鉄道(1960年代に廃線)が開通すると裕福なイギリス人やドイツ人、ロシア人旅行者が訪れ、
その美しい山々を新聞やガイドブックに発表して世界中に知られるようになり、大型ホテルやスポーツ施設が建築されドロミテの中心地となりました。
歴史的には7世紀から18世紀まで栄えた「晴朗きわまるベネツィア共和国」の領土となり、
その後400年間にわたり「オーストリアハンガリー帝国」、第一次世界大戦後の1919年にイタリアの領土となりました。
20世紀になりスキーなどの雪上スポーツが盛んとなり、1956年に開催された冬季オリンピックは初のテレビ放送により世界各国で試聴されました。
1.聖フィリッポと聖ヤコブ寺院
写真は寺院の北側にあるローマ広場からの撮影です。左手の壁に紋章のある建物は「旧市役所」です。
2.ドロミテ街道から街へ下る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b1/63f1d9b6e34fd0ed56911d3a512af774.jpg)
アンペッツオ地方の谷底にある街。世界中から冬のスキーや夏の登山に観光客が訪れます。
3.北西にそびえるトファーナ山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/20/483de9f51e9cfb1535247bd56bcbe786.jpg)
谷の北西にそびえるトファーナ山3243m。
4.朝の散歩
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f0/55a2b6170d5e5a5b2700f726b329c54f.jpg)
ホテルから東側にある鉄道線路跡の遊歩道へ散歩しました。
5.旧鉄道の橋梁からの眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9f/af3d004c234fed454e9371e10b1db372.jpg)
散歩道の橋梁は撮影ポイントで、街の全景と後ろには森林と山塊を見ることができます。
6.聖フィリッポと聖ヤコブ寺院の尖塔と山塊
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/d6/3d806c60134eb3ad3985600104d84ebd.jpg)
尖塔の後ろはトファーナ山。
7.ホテルの部屋からの眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/20/8b640fbe8e4422cf5a89b2f7fa67f868.jpg)
道路の反対側が聖フィリッポと聖ヤコブ寺院です。
道路は歩行者天国となっている街のメインストリート「コルソ・イタリア通り」です。
8.旧市役所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/16/e83036c5be2366150af08d7e9fd1fa47.jpg)
壁には地方の貴族の紋章が描かれています。
9.聖フィリッポと聖ヤコブ寺院をコルソ・イタリア通り南側広場から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/53/afe87c3d1f6434b27e4191cacfe03339.jpg)
道路を挟んで寺院の反対側、右奥のベランダのある5階建建物が宿泊した「ホテル・コルチナ」です。
街のコルソ・イタリア通りの観光案内所では、夏の入シーズンには日本語会話が可能なアシスタントが在籍するそうです。
立ち寄った時、ちょうど出来立ての日本語「ガイドブック」を頂きました。
撮影:CANON EOS M5 + EF-M15-45mm
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