1.魯迅像が立つ記念館
1951年に山陰路の魯迅故居に開館されたものが逝去後20年の1956年に、この地に新しく記念館が建てられ移転しました。
2.ロビー
新中国で初めての人物類の博物館で、全国重要文化財ともなっています。
3.代表作の中編小説「阿Q正伝」
1921年に新聞に発表された魯迅の代表作。
中国史上初めて口語による小説「狂人日記」を書いたことでも有名です。
さしずめ、日本明治の文豪、夏目漱石を彷彿させます。
小説の時代は中国が清国から新中国へ変わろうとする辛亥革命の時期。場所は中国のとある小さな村。
主人公「阿Q」は日雇いの農民。愚かで力もないのに自尊心だけが強い。
相手が弱いとみると喧嘩を吹っ掛けるが、たいていは負けてしまいます。
食うに困って盗みを働き、逃亡中に意味も分からず革命に便乗し捕えられ、最後は斬首となります。
4.「阿Q正伝」の代表的な場面の模型
「愚民の典型である架空の中国国民を主人公として彼の滑稽さを描き出して、当時の中国社会の病理を痛烈に告発した作品」として評価されました。
場所は魯迅の出身地の紹興がモデルかもしれませんね。
5.陳列品
開設当時は1万点と言われていた陳列品や収蔵品は、現在は8万点余りにもなっているそうです。
魯迅は1904年から現在の東北大学医学部に留学していますが、授業の時、日露戦争の報道ニュース映画の中でロシア軍スパイの中国人が日本人によって処刑される場面を見ます。
その処刑される様を同胞である中国人が喝采して見物する姿を見て衝撃を受けます。
「中国人を救うのは医学による治療ではなく文学による精神の改造だ」と考えたのだと後に記述しています。
この場面に似た状況が彼の作品「阿Q正伝」の中でも描かれています。
6.魯迅と青年たち
日本留学を1年半で終え帰国しますが、東北大学の恩師の彼に対する温情には感激しており、小説「藤野先生」に描かれています。
仙台市と東北大学は今でも中国と様々な交流があるそうで、先の江沢民主席も訪れています。
1912年魯迅は南京で中華民国の教育部員となり、政府の移転に伴い北京大学でも臨時講師として「中国小説史」の教鞭をとっていました。
その間、文筆活動を始め1918年に雑誌「新青年」に「狂人日記」を発表します。
7.内山書店が再現されています。
日本人「内山完造」さんは魯迅先生の友人でもあり支援者でした。
魯迅は左翼作家同盟にも在籍しており、当時の国民党政権からの追及を逃れていました。
8.内山先生のご夫妻は上海の宋慶齢陵園墓地に仲良く眠っておられます。
四川北路にある工商銀行の2階には「内山書店旧址」があり、見学できます。
9.世界中に翻訳された魯迅の著作
勿論日本語訳の書籍も展示してありました。
学生の来館が多いようです。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS
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