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猿蓑(さるみの) 露半學人(幸田露伴) 晋其角序

2024年08月06日 12時01分24秒 | 俳諧史料

猿蓑(さるみの) 露半學人

 

晋其角序

誹諧の集つくる事古今にわたりて此道のおもて起すべき時なれや。

幻術の第一としてその句に魂の入らざれはゆめにゆめ見るに似たるべし

久しく世にとどまり長く人にうつりて不変の変をしらしむ五徳はいふに及はず、

心をこらすべきたしなみなり。

彼西行上人の骨にて人を作りたてゝ、聲はわれたる笛を吹やうになん侍ると申されける。

人には成て侍れども、五の聲わかれざるは反魂の法のおろそかに侍るにや。

されば魂の入りたらば、アイウヱオよく響きて、いかならん吟聲も出ぬべし。

只誹諧に魂の入りたらむにこそとて我翁行脚のころ伊賀越しける山中にて、

猿に小菊を着せて誹諧の神を入りたまひければ、たちまち断腸の思いを叫びけむ。

あたに恐るべき幻術なり。

これを元として此の集をつくりたて「猿みの(簑)」とは名付申されける。

是が序もその心をとり魂を合せて去末 几兆のほしげなるにまかせて書。

  元禄未歳五月下弦  雲竹書

 

 おもて起す。面目を旅するの意。

皐白集第六、「さか衣」の文に、まことに月花もおもでおこすべき時なれや、といへるが有り。

木下長嘯の集は常時の人々に讀まれゐたるものなれば、こゝに辞を用いたり。

巻之二、夏の部に同人の、「有明に百おこすやほとゝぎす」、の句も見ゆ。 

○幻術 無を有と焉し、有を無と焉し、刀を呑み火を吐き、すべて実理の外に出で八入をして我が心の

まゝに感ぜしむる術をいふ。

詩歌俳諧の道、虚象にして眞感を生啓しむるものなれば、こゝには幻術に喩を取りたるなり。

○旬に魂の入らざれば。魂とは精紳霊気と云はんが如し。

○久しく世にとゞまり云々。旬の上に、句に魂の入らんには、の一旬を挿入して読むべし。

○不変の変。 不変の変はなお不易の易と云はんが如し。鄭玄易を論じて、易は、變易なり、不易なり、

といへり。俳諧者流、多く不易流行を論ず。不易・流行、いづれも易に本づける字面なり。

されどこゝには然まで深入りして解するを須ゐず。

○五徳。 舊解に、温良恭倹譲なりといへり。非也。温良恭倹譲は孔夫子の上のことなり、

こゝに関わらず。五行の徳をも五徳といゝ、五星の徳をも五徳といゝ、中央四方の徳を五徳といひ、

将軍の徳、玉の徳、鶏の徳、菖蒲の徳など、五徳といふことも多かれど、こゝには五常の徳、仁義鎧知

信、卸ち人の有するところのものを云へるなりともすべし。

されど俳諧の道を説きたる最も古き書、寛永十八年(1641)の斎藤徳元が「誹諧初學抄」に曰く。

されば誹諧には、連歌の徳のほかに五つ勝りたるたのしみ侍るとかや。

第一俗語を用ゐること。

第二は自讃し侍りてもをかしき事。

第三取あへす興を催すこと。

第四初心の輩學びやすくしで和歌の浦なみに心を寄せ特ること。

第五には集歌古事来歴分明ならざるとも一句にさへ興をなし侍らは何事をも広く引寄せて付特るべき事。

是五つの徳なり。とある其言によりてこゝに五徳とは云へるなるべし。

○彼西行上人の云々。 

其賞は不明なれども、世に西行上人の著と云傳へられたる「撰集抄」といふものあり。

其巻の四の十六に、骨にて人を作ることの條有り。(前略)、

人の骨を取集めて人に作りなす様、伝すべき人のおろ/\語侍りしかば、其如にして廣野に出て、

骨を編み連れて造りて侍れば、人の姿には似侍りしかども、色もあしく、全て心もなく侍りき。

聲はあれども管絃の聲の如し。げにも人は心有りでこそは聲はとにもかくにも位はるれ、

ただ聲の出づべきはかりごとばかりをしたれば、吹損じたる笛のごとし。

大かたは是程に侍るるも不思議なり。下略。

なお文の前後を其儘に伝受すれば、此事徳大寺殿より其の概略を聞知りて、西行みづから為せるものゝ

の如し。

故に彼西行上人のと、此序には書きけん。其の法、廣野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨を取集めて、

頭より手足の骨をたがへす績けおきて、ひざうといふ薬を骨に塗り、苺(いちご)とはこべ(繁縷)と

の葉を揉合せて後、藤の若葉の絲などにて骨をからげて水に度々洗い侍り頭とて髪の生すべき所には西

海技の葉とむくげ(槿)の葉とを灰に焼きて附侍りて土の上に疊をしきて、彼の骨を伏せておきて風も

すかずしたゝめて、二七日置きて後に其處に行きて沉(ちん)と香を焼きて、反魂の秘術をおこなひ侍

るなり。云云。

○猿に小簑を著せて。 

此集の巻頭芭蕉の句に、

初しぐれ猿も小蓑をほしげなり

とあり。其句を文にあやどりて、小蓑を著せてと面白く云取りたる也。

○反魂。 

反魂は魂をよび反すなり。されどこゝには魂を入るゝといふほどの意として用ゐたり。

○神。 

神もたましいの義なり。

○断腸。

爾雅翼に、猿善く啼く、啼くこと数聲なれば則も衆猿叫嘯騰擲して、相和するが如し、

其昔凄まじくじくして肝牌に入り、富商を含む。故に巴峡の諺に曰く、巴束の三峡巫峡長し、哀猿三馨

入の腸を断つ。

○あたに。 

濁らす。あたは、あゝ、あな、などいふに近し。あたいやらし、などのあたなり。

あなのな、剛轉して、だとなり、清轉して、たとなれる歟。ここは、あたおそろしき也。

に文字のやすめ詞を置きて、懼(くぐ)るべきと續けたるは、いさゝかおもしろからず。

○去来、凡兆のほしげなる云々。

ほしげの語、芭蕉の句中に見ゆ、この集の名に因みて巧に下したり。

 

狭蓑集 巻之一 冬

 

初しくれ猿も小蓑をほしけ也  芭 蕉

 

 集の巻の一に冬の句を出したる、おもしろし。

代々の和歌撰集には、春をこそ巻首には出したれ。それを古例にかゝはらずして、此頃の此句のふりを中心にして成りたる集のはじめに、初時雨をさっと降らせたる、いかにも俳諧の新味なり。

〇ほしげ也。

舊説に、定家卿の、

「篠ためて雀弓張るをのわらはひたひ鳥幅子のほしげなりけり」、

といふ歌に本づけりとなせり。されど此句は所謂「古歌取り」の句にはあらず。古歌取りの句といふは、後の人の句にて、「秋来ぬと目にさや豆のふとりかな」、といふやうなるを云ふなり。

ほしげなりといふ語は、いかにも古歌に見えたるべきも、そは背中に萬巻有れば、語を下すおのづから来歴無きは無きものなり。あなぐり論ずるはおもしろからず。

引きたる歌も定家卿のにはあらず、「夫木和歌抄」巻三十二に見えたる西行上人の歌なり。

 

あれ聞けと時雨来る夜の鐘の聲    其角

 

 舊解に、三井の鐘とは聞えたり、と有るがあり。三井寺の鐘の聲の此句を誘ひ発したりや否やは知らず、必ずしも此鐘を三井の鐘としてのみ取るべきにはあらず

 

時雨きや并ひかねたる魦舟      千 那

 

 并ひ=並び 魦=いささ

 魦は世俗通用の字にして、「いさゞ」と訓まするを其頃の習としたり。

いさゞは細小の義にして、此の魚の小さきより魦の字の常てらるゝにも至りたるなるべし。

いさゞは二類あり。一は海産にして、乾して「疊鰯」または「ちりめんざこ」と為すもの、一は淡水産にして、近江の琵琶湖、越前の足羽川等にあるものという。こゝのは江州和爾あたりにて多く取りて京都に売るものを指す。一名さのぼり、長さ一寸ばかり、「はぜ」に似て頭まろし。魦舟はいさざを漁する舟なり。其漁法を詳しく知らねど、蓋し舟を並べ細目の網を張りて獲るならむ。

作者千那は江州堅田浦本福寺の住職、此句は是湖上の情、眼前の景なるべし。

 

幾人か時雨かけぬく瀬田の橋    僧 丈艸

 

 「金葉和歌集」、幾人か比叡山颪しのぎ来て時雨にむかふ瀬田の長橋、この歌を鋳型にして、かけぬくと詞ひとつにて誹諧とせり、と何丸等は云へり。されど妄言なり。金葉集にはさる歌見えず、他の集に見えたるにせよ、歌の體もまた餘りにつたなし。鬼實の萬葉のたぐひにて、俳諧者流の古歌の談は、信じが狸きこと毎ゞなり。

 

鑓持の猶ふりに立るしくれかな  膳所 正秀

 

 鏡待奴の猶更に時雨の中に鏡板立つるとな6.人事に時雨の風情を看取し描破せる、鄙しかれどもおもしろし。

 

廣澤やひとりしくるゝ沼太郎   史  邦

 

 廣澤は山故国葛野郡嵯峨村の東に在る池なり。敦實親王の第二子僧寛朝之を造るとなり.

廣澤の名はあれど、さして大なるものにはあらず。ただ古き池にて、六百番歌合、経家の歌に、

くまもなく月すむ夜半は廣澤池も窓にぞひとつなりける、

とも詠まれ、ことに馨明に長けたる寛朝の如き人の舊跡とて、其幽寂閑嚝のおもむき、人の智に侵めるところなれば、今はすたれたるも却りて蕭散の情を惹くか紀無きにしもあらず。且は都近くして、人知らぬ僻阪にもあらねば、作者も憚りなく實に貼きて取出したるならむ。空想裏より廣澤といふ池を擇み来りたるにはあらじ。然るに近人廣澤の名にまどひて、太なる沼ゆゑに太郎の名を負はせて、山に安達太郎、川に坂東太郎などの如く、沼太郎と云へりと譯せるがあるよし。宜しからず。沼太郎即ち廣澤にては、一句何の興趣無し。沼太郎は鴻の一種なり。夏目髄斎曰く、江戸ひしくひ、一名沼太郎。小野蘭山曰く、一種エトクヒシクヒ、一名ヌマタロウ、サカボウ、太抵眞菱喰に同じくして、眼上に淡白條あり、背脚皆黒し。これにて沼太郎の鴻の一種なること疑ふべからす。蘭山曰く、北島湖澤に集まり、好みて菱實を喰ふ、故に菱喰と名づく、其形雁より大なりと。菱など多かるべき廣澤の古池に沼太郎のしぐれたる、いかにも自然の景なり。

鴻雁の類、禮節信智の四徳ありとさへ云はれ記る禽にて、婚禮に雁を用ゐるも、偶を失へば再び匹せざるを以てなりとの意を程明道も云はれたり。博物志には、雁は色蒼くして、鴻は色白しと云へり。其はおほまかの事ながら、色白きかたの沼太郎の廣澤の古池に、ひとりしぐれたる、まことに感多き佳き句なり。


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