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芭蕉終焉記(1)(2)花屋日記(芭蕉翁反故)

2024年08月07日 06時28分10秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉
芭蕉終焉記(1)花屋日記(芭蕉翁反故)
 
肥後八代 僧文暁著
浪速   花屋庵奇淵校
一部加筆 山梨県歴史文学館 山口素堂資料室
 
 
九月二十一日(元禄七年 1694) 
泥足が案内にて、清水布浮瀬の茶店に勝遊し給ふ。
茶店の主が求めに短尺杯書きて打興じたまう。泥足こゝろに願うことあるによりて、発句を請いければ
 
所思
  此道やゆく人なしに秋のくれ   翁
   峡の畠の木にかゝる蔦     泥足
    
〔歌仙一折有略〕
 
連衆十人なり。短日ゆえ歌仙一折にて止む。今度はしのびて西国へと思ひたち給いしかど、何となくものわびしく、世のはかなき事思いつゞけ給いけるにや。此句につきて、ひそかに惟然に物がたりしたまひけり。
   
旅 懐
  此秋は何でとしよる雲に鳥   翁
 
幽玄きはまりなし。奇にして神なるといはん。人間世の作にあらず。
其夜より思念ふかく、自失せし人の如し。実に鳥の五文字、古今未曾有なり。(惟然記)
 
九月廿六日 
園女亭也。山海の珍味をもて腸謳す。婦人ながら礼をただし、敬屈の法を守る、貞潔閃雅の婦人なや。實は伊勢松坂の人とぞ。風雁は何某に学びたりといふ事をしらず。
岡西惟中が備前より浪華にのぼりし時、惟中が妻となる。その時より風雅の名益々高し。惟中が死後、汀戸にくだりて、其角(宝井)が門人となる。
 
白菊の目にたてゝ見る塵もなし   翁
    紅葉に水を流す朝月       園女
 
連衆九人、歌仙あり。別記。(惟然記)
 
  九月廿九日 
芝拍亭に一集すべき約諾なりしが、数日打続て重食し給いし故か、労りありて、出席なし。発句おくらる。
    
秋ふかき隣はなにをする人ぞ   翁
 
この夜より、翁腹痛の気味にて、排瀉四・五行なり。
尋常の瀉ならんと思いて、薬店の胃苓湯を服したまひけれど、驗なく、晦日・朔日・二日と押移りしが、次第に度敷重りて、終りにかゝる愁いとはなりにけり。
惟然・支考内議して、いかなる良医なりとも招き候はんと申ければ、師曰く、我元々虚弱なり。
心得ぬ医者にみせ侍りて、薬方いかゞあらん。我性は木節ならでしるものなし。願くは本節を急に呼びて見せ侍らん。去来も一同に呼よせ、談ずべきこともあんなれば、早く消息をおくるべしと也。それより両人消息をしたゝめ、京・大津へぞ遣わしける。
しかるに之道の亭は狭くして、外に間所もなく、多人数人こみて保養介抱もなるまじくとて、その所この所とたちまはり、我知る人ありて、御堂前南久太郎町花屋仁左衛門と云者の、奥座敷を借り受けり。間所も数ありて、亭主が物数奇に奇麗なり。
諸事勝手よろし。
その夜、すぐに御介抱申して、花屋に移り給いけり。
此時十月三日仇。(次郎兵衛記)
 
芭蕉終焉記(2)花屋日記(芭蕉翁反故)
 
肥後八代 僧文暁著
浪速   花屋庵奇淵校
 
十月四日~ 
 
車庸・畦止・諷竹・舎羅・何中等は、師の病気を知らず、この道亭にいたりしに、いたわり給う事を之道より聞侍りて、花屋にまいる。
病気不■■■につき、■訪ね人たりとも、濫りに座敷に通る問敷と、張紙を出す。ただし、仁左衛門に断わり置く事。(『次郎兵衛記』)
 
 
【註】
松風の軒をめぐりて秋くれぬ  はせを
毎年九月二十一日、浮瀬四郎右衛門亭にて松風の開式あり。
この一折りの俳諧、芭蕉袖草紙にあり。
 
 
扣 帳 (控 帳)
 
座敷人用品受取並び座敷付の道具品々覚
  戊十月四日
 
 机    一脚
煙草盆  二口
夜具五流
膳十人前 
釜鍋   一口・三口
茶瓶掛  二口
茶腕   十
薄刄包丁 三本
薬溜   二つ
摺鉢   一口
水嚢   一つ
盥    二口
硯一面
  帚(ホウキ) 二本
枕    五つ
竈    三口    
火箸   三
火鉢   二口
茶碗鉢  三口
薬鑵   一口
研木   一本
炭斗   一つ
油徳利  一つ
手水盥  二口
行燈   二張
提灯   二張
懸行燈  二張
  桃灯   二張
 
  右 同四日
 
白米     一斗
味噌     三升 赤白
  醤油     一升
薪      十束
  炭      一俵
  油      一升
  紙      一束
雑紙     一束
塩      一升
 
一カ月座敷料 三歩二朱 相渡 右 仁左衛門より受双書取置飛脚使に申遺候。老師一昨々夜より少し悪寒気御座候處、起居不穏候。この道不勝手に候故、御不自由と存、取計沢而、御道前南久太郎町花屋仁左衛門裏座敷、綺麗閑栖に候乃條借受、この道評判に而、先寓居と定置き候、今朝は別而ご気分無心元御様に存じ候。医者呼申筈に候得ども、早く木節に御容態御見せ被成度との御事被仰せ候條、則木節に別紙遣候。此状著次第、貴雅にも早々御下り相待候。
木節御同伴候様に存じ候。随分御急可被下候。不一。
  十月二日         惟然 支考
 去来様
猶々別紙急々木節に御届存侯。以上。
 
今朝の状、相達候哉と存候。老師御事、昨夜より泄痢(洩れ)之気味に而我に一變、夜中二十余度之通気、これは頃夜園女亭にての、菌之御過食と相考候。
一夜之中に掌を返すが如に、今朝より猶また通痢度数三十余度、我等始、之道手を握り候迄に候。此状著次第、木節同伴にて急々御下り相待候。南久太郎町花屋仁左衛門と御尋、早々御入可被成候。急々。以上。
  
十月二日夜子ノ時       惟 然
  去来 様
 
猶々、大津之衆、其外何方へも、手寄々々御申遣被成候。木節は急に被参候様御頼申候。伊賀への常飛脚は無之。幸羅漢寺之弟子伊勢へ越候に、今朝状頼遣候迄に候。若し其方角より幸便も候はば、被仰遣可被下候。
 
十月三日 
 
廿七行。但昼夜也。天気曇る。夜半過ぎに去来きたる。二日之朝の状、三日之朝届く。その座より直ちに打立、伏見に出しは巳の時なりし。それより船に打乗り、八軒屋に着きしは亥の時なりしと。
直に抑病床に参りたりしに、師も嬉しさ胸にせまり、しばしはものものたまはざりしが、諸國に因し人々は我を親のごとく思い給ふに、我老ぼれて、やさしき事もなければ、余のごとくおもふこともなく、事更汝は骨肉を分しおもひあれば、三ン日見されば千日のおもひせり。
しかるに今度かゝる遠境にて難治の菜薪の憂に罹り、再會あるまじくおもひ居たりしに、逢見る事の嬉しさよとて、袂をしぼりたまへば、去来もしばしは於咽せしが、暫くして云、僕世務にいとまなければ、させる實もつくさゞるに、
かゝる御懇意の御言を蒙る事、生をへだつとも忘却不仕と、数行の泪にむせぶ。何様売薬の効験心もとなしとて、去来また消息をしたゝめて、飛脚使に木印につかはす。(支考記)
 
  三日夜
子の時折、つゞいて木節来る。二日出の両人の消息その夜着きせし故、大津を丑の時に立、一得舟に乗りしかど、短日ゆえ遅く着く。諸子に会釈もそこそこにして、直に御様態を伺い、御脈を診す。生方逆逸湯を調合す。(支考記)
 
十月四日 
朝、木節申さるゝにより、朝鮮人参半両、道修町伏見屋より取、同く色香十五袋取。天気よし。この道方より世話にて、洗濯老女を雇い、師の御衣装、其外連衆の衣装をすゝぐ。
園女より御菓子並び水仙を送る。支考・惟然介抱。次郎兵衛とても手届かね、之道とりはからひとて、舎嗣・呑舟と云もの来る。按摩など承る。今日三十度余におよぶ。度ごとに裏急後重あり。(次郎兵衛記)
 
十月五日 
朝、丈草・乙州・正秀きたる。天気曇る。寒冷甚だし。
時侯の故にや、師時々悪寒の気あり。朝、次郎兵衛天満に詣でる。昼過ぎ帰る。夜著蒲団又々五読、米壹斗、醤油二升、塩壱升、味噌三升、薪二十束、炭二十貫目、雑紙三束なり。今日師食したまはず。湯素麺二束なり。夜中までに五十度におよぶ。(次郎兵衛記)
 
  十月六日
天気陰晴極まらず、朝の食、入麪(麦粉 麺)三箸、前夜終夜宵寝入り給わず、暫く睡眠し給う御眼覚めより、去来を近くに召して、先の頃野明が方に残し置き侍りし、大井川に吟行せし句
    
大堰川波にちりなし夏の月   翁
 
此句あまり景色過たれど、大井川の夏げしき、いひかなへたりと思い至りしが、清瀧にて
    
清瀧や波にちりこむ青松葉   翁
 
と作りし。事柄は変わりたれど、図説なりと人のいはん心いかがなれば、
大ゐ川の句は捨てはべらんと汝に申たり。しかるに頃日園女に招かれて
    
白菊の目に立てゝ見る塵もなし  翁
 
と吟じたり。これ又同案に似て、句の道筋おなじ。それ故前の二句を一向に捨はべりて、白菊の句を残しおき侍らんとおもふ也。汝の意いかん。
去来泪をうかべ、名匠のかく名を惜しみ、道を重んじたまふ有がたさよ。
纔句一章に、さまで千辛萬苦したまふ御病■の中の御骨折、風雅の深情こそ尊とけれ。眼のあるもの何者か、此句を同案・同巣と見るべき。
恐ながら此句を同案・同巣など人申すものは、無眼人と申すものなり。
その故は、比句々景情別々備りて、句意を見る時に、三句ともに別なり。
かるがゆえに、我は句の意を目に見て、句の姿を見ず。
青苔日ニ厚ソ自ヲ無塵。
これはこれ陰者の高儀をほめたる語、
今は園女がいまだ若くして、陌上桑の調(ミサホ)あるをほめたまひたる吟なり。意も妙なり、語も妙なり。世人此句を見るもの、園が清節をしらん。
波に塵なしの語は、左太仲が 必非絲與竹山清音 といへる絶唱もおもはれ、
園が二夫にまみえざる貞潔と、大井・清瀧の絶景と、二句の間相たゝかつて、感じてもあまりありと申せしかば、師も一睡よくおはしけり。(去来記)
 
十月七日
 朝より不相応の暖気なり。曇りて雨なし。 薬方逆逸湯加減。また入り入麪(麦粉 麺)を好み給う。 園女より見舞いとして、菓子等贈りきたる。
 次郎兵衛取り計て之道に送る。鬼貫来る。去来・支考会釈す。園女・可中・沼川来る。去来・支考会釈す。終日薬をめさず。終日曇る。
夜になりて晴る。夜に入り人音もしづかになりければ、灯の元とに人々伽して居たりければ、乙州・正秀等去来に申けるは、今度師もし泉下の客とならせたまはば、この後の風雅いかになり行侍らん。
去来黙して居たりしが、我も其事心にかゝりしゆゑ、二日の消息届けし故、かくいそぎ參りたり。人々もさおもひたまふや。さあらば今夜閑静なり。只今の體におはしまさば、御恢復おぼつかなし。滅後の俳諧を問い奉らんとて、
静に枕上に伺いよりて、機嫌をはからひ問い申けり。翁、次郎兵衛に助け起こされ、息つき給いてのたまはく、俳諧の変化きはまりなし。
しかれども真・行・草の三ツをはなれず。其三ツよりして、千變萬化す。
我いまだその轡をめぐらさず。汝等もこの以後とても、地を離れるなかれ。
地とは、心は壮子美の老を思い、寂は両上人の道心を慕い、調べは業平が高儀をうつし、いつまでも、我等世にありと思い、ゆめゆめ他に化せらるゝ事なかれ。言いたき事あれども、息■■口かなはずと、喘ぎ給いければ、呑舟口を潤す。また薬をまゐらせてしづまりたまふ。各筆をとりてこれを書く。(惟然記)
 
十月八日
天位快晴。胴不良ヘリ。京の口(?)士来る。信徳(伊藤)より消息もて、御病態を問う。同近江の角上より使い来る。人々勝手の間にて、今度の御所労平復を祈り奉らんとて、住吉大明神に池中より人を立べしと、去未申おくられければ、各しかるべしと、之道・次郎兵衛は■当にて、社務林泉采女方に祝詞をたのみ、厚く即納の品々おくらる。
 
    奉納
   落つきやから手水して神あつめ   木節
   初雪にやがて手ひ早かむ佐太の宮  正方
   峠こそ鴨のさなりや諸きほひ    丈草
   起さるゝ聲もうれしき湯婆哉    支考
   水仙や使につれて床はなれ     呑舟
   居あげていさみつきけり鷹のかほ  如香
   あしがろに竹のはやしやみそさゞい 儒然
   神のるすたのみぢからや松の風   之道
   日にまして見ます顔り霜の菊    乙州
   こがらしの空みなほすや鴨の聲   去来
 
大勢の集会なりければ、よろこび興じて師を慰め申けり。木節、去来に申けるは、今朝御脈を伺具申に、次第に気力も衰え給うと見えて、脈體悪ろし。
最初に食滞り起りし泄潟なれども、根元脾賢の處にて、大虚の痢疾なり。故に逆逸湯主方なり。猶また加減して心を盡すといへども、薬力とゞかず。
願わくば、治法を他医にもとめんと思う。去来、師に申す。
即日、木節が申條尤もなれども、いかなる仙力ありて虎口龍麟を医すとも、
天業いかんかせん。我かく悟道し侍れば、我呼吸の通はん間は、いつまでも木節が神方を服せむ。他に求むる心なしとのたまひける。風流・道徳人みな間然することなし。
支考・乙州等、去来に何かさゝやきければ、去来心得て、病床の機嫌をはからひて申て云、古来より鴻名の宗師、多く大期に辞世あり。さばかりの名匠の、辞世はなかりしやと世にいふものもあるべし。あはれ一句を残したまはゞ、諸門人の望足ぬべし。
師の言、
きのふの発句はけふの辞世、今日の発句はあすの辞世、我生涯云捨し句々、一句として隔世ならざるはなし。若我辞世はいかにと聞く人あらば、この年頃いひ捨て置きし句、いづれなりと辞世なりと申たまはれかし。
諸法従来當示寂滅相、これは是釈尊の辞世にして、一代の仏教この二句より外はなし。
古池や蛙とび込水の音、
比句に我一風を興せしより、初て辞世なり。其後百千の句を吐に、此意ならざるはなし。こゝをもって、句々辞世ならざるはなしと申侍る也と。次郎兵衛が傍より目を潤すにしたがい、息のかぎり語りたまふ。比語實に玄々微妙、翁の凡人ならざるをしるべし。(安考記)
 
夜に入り嵯峨の野旧・為有より柿を贈り来る。消息添う。今日まで伊賀より音信なし。去来・乙州申談じ、態と飛脚を差たつべきよし師に申ければ、師の言、我隠遁の身として虚弱なる身の、数百里の飛脚おもひ立、親族よりとゞめけれど、心儘にせしは我過ぎなり。今大病と申おくりなば、一類中の騒ぎ、
殊に主公の聞しめしも恐あり。たとひ今度大切におよぶとも、沙汰あるまじとのたまひけり。師の慮の深きこと各感心す。度数六十度におよぶ。
(惟然記)
 
十月九日
諸子の収はからひとして、ふるき衣装また夜具などの、垢つきたる不浄あるを脱かはし、よき衣に召せかへまゐらせ申。
師曰く、
我邊端波濤のほとりに、草を敷寝、地を枕として、終りをとるべき身の、
かゝる美々しき褥(しとね)のうへに、しかも未来までの友どち賑々しく、
鬼録に上らむこと、受生の本望なり。丈草・去来と召し。昨夜目の合わざるまゝ、ふと案じ入りて、呑舟に書せたり。各詠じたまへ。
 
   旅に病で夢は枯野をかけ廻る
 
枯野をめぐる夢心ともし侍る。いづれなるべき。これは辞世にあらず、辞世にあらざるにもあらず。病中の吟なり。併かゝる生死の一大事を前に置きながら、いかに生涯好みし一風流とは言ながら、是も妄執の一ツともヽいふべけん。今はほいなし。
去来言、左にあらず。
日々朝曇暮雨の間もおかず、山水野鳥のこえ有すてたまはず。心身風雅ならざるなく、かゝる河魚の患につかれ拾ひながら、今はのかぎりにその風柳の名章を唱へ給ふ事、諸門衆のよろとび、他門の聞え、末代に亀鑑なりと、涕(なみだ)をすゝり泪を流す。限りあるもの是を見ばで魂を飛さむ。耳あるもの是をきかば、毛髪これがために動かむ。列座の面々、感慨悲想して、慟絶して、聲なし。是師翁一代の遺教経なり、此日より殊更に劣ろへたまへり。度数しれず。(去来記)
 
十月十日 
 
初時雨せり。
師、夜の明がたより度数しれず、ひとしほ微笑みたまへり。折ふしに譫言(うわごと)ありて、とりしめなきこと多し。木節この日芍薬湯(シャクヤクトウ)をもる。
諸子打よにり、食事をすゝめまゐらせけれど、すゝみたまはず。梨実をのぞみたまふ。
木節かたく制しけれど、頻りに望みたまふゆえ、やむことを得ずすゝめければ、一片味ひてやみ給ふ。木節云、牌胃うくる處なし、死期ちかきにありと云う。申の刻にいたって人ごこちつきたまふ。今日は一人も食したるものなし。
(佳然記)
 

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