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白州人物史 宮川義汎 県会議員 電力尽力者

2020年12月19日 07時21分27秒 | 白州町見て聞いて

白州人物史 宮川義汎 県会議員 電力尽力者
(白州町横手「駒の松」所有者(枯れ死))顕彰碑がある。
 
慶応元年八月十四日、旧駒域村横手一八九九番地、武川筋の名門宮川伝左衛門・はんの二男として生れる。
はじめ甲府徴典館に学び、のお上京慶応義塾に学んで帰郷した。
温厚で衆望厚く明治二十八年駒城村長に選ばれ村政に尽し、
明治三十年郡会議員に、
明治三十二年には県会議員に当選。のち県参事会員に推されて功績を上げ、政友会県支部総務にもなって県政界に貢献した。
その他郡農会長、地方森林会議員、赤十字山梨支部商議員等多くの要職を歴任した。その問県道改修、穴山橋改築など氏の力にあずかるところ大である。
一方実業界にも敏腕を振い、大正二年七月、高尾水力発電株式会杜を設立、取締役となり(中巨摩郡榊村上宮地に高尾発電所建設)。
大正十年三月駒電力株式会杜取締役杜長(竹宇大原発電所、同十五年一月青木発電所建設)に就任、続いて中央電力株式会社監査役も歴任し電力界に偉大な業績を残したことは特筆すべきことである。また山梨銘醸株式会杜(七賢)、甲斐無尽などの各会社にも関与して進展に尽した。
このように氏は家を妻「ます」にまかせて日夜東奔西走、社会のため人のために尽したことは万人の認めるところである。
惜しくも昭和七年六月六日、八十四歳で逝去したが、有志相図り横手の(駒城小学校入口)駒の松の敷地内に類徳碑を建立、永くその功績と徳を讃えている。
  (「白州町誌」昭和61年)


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