ぴっかぴっかの病院にて。

2014-09-25 15:29:21 | 日記

徳州会病院の予約日。早々に準備をして玄関先まで出たが

あいにくの雨。

また、坐骨神経痛の足は 痛みと麻痺で 結うことを聞かない。

仕方なく タクシーを呼んで 出かけたものの この運転手

遠回りするの。

「こらこら おっさんよ。そっち行ったら遠回りだべ。

「スンません。新米で道がわからなくて。」

素人じゃ有るまいしと思いながら、また彼らもつらいんだろうとも

思ってかわいそうにもなる。

すっかり 変貌して 清潔感に埋まった徳州会病院入ってみると

事務員・出入りのお店の人・患者さん碁番えしていた。

すべて 機械化され 対面して話すということも めったに

ない。IT時代の病院だ。でも診察室にたどり着くまで

痛む足を投げ出すように志ながら たどりつかねば

ならない。最初、徳州会病院を訪れたとき 10時間

待ちの5分診療で、若かったし癪に障って 責任者に

きつい苦情を行った。其のときを比べたら雲泥の差である


日本は復活する。あの苦しさを乗り越えたのだから。

2014-09-24 19:37:51 | 日記

私が 学校の職員として 採用されたのは 昭和25年戦後まもなくのころである。

今思えば 日本貧しかったなあ。国土は米軍の無差別爆撃で 無惨な様相であった。

国 敗れて 山河あり。惨憺たるものであった。急増のバラックの中に 帰ってきた

生徒を押し込んでの 教育が始まった。

卒業していく 性と立ちに職を探し、自立する手助けまでやらなければならなかった。

勉強さえ教えておけば 給料もらえるとゆう時代ではなかった。

リクルートという会社が現れたのは それから暫くしてからである。

どんな仕事でも 人が避ける仕事でも 食い扶持に預かるのだったら

という気持ちで生徒たちも 頑張った。

クラスの生徒たちに 将来自立して商いをするという生徒がほとんど全員である。

だから、彼らの職業観は今日とは随分と違っていた。

東京に職探しで出張したのも そりころだ。米と木炭持参でないと 宿泊も

できなかったことも有った。東京もすごい荒れようで、上野のお山から銀座まで

みとおせた時代だ。

創業期の社長さんたちとも お付き合い願った。イトーヨーカ堂の社長さん、夏の暑いとき

せまい事務所で、腕まくりして陣頭指揮していた。

代不お世話に成って 石油ショックのとき採用取りやめられたときも 本校と北海道の学校

二校からは採用指定ただたことがあった。

今、テレビを見ながら万感の思いがする。


正夢か 逆夢か どうなる日本

2014-09-24 12:55:06 | 日記

わるい夢だね。冷や汗かいて 寝巻きまでぬれてしまったわい。

日本の 先行きが 「気になって気になって 仕様がない。」

かねて、そう思っているからではないのか

 

久しぶりに 郷里に帰った。郷里はいつものように 物静かに

私を迎えてくれた。

 

船は私を桟橋におろすと、汽笛を鳴らして次ぎの目的地に出港して行った。

「あんら こげん 大きく ならしゃって。」近所のよしばあさんが

待つ黒に日焼けした顔で迎えてくれた。

 

母は私を待ちかねたように 先祖の墓参りのよういわしていた。

「お先祖様の挨拶が先じゃ』 お鼻と水と放棄を持って母といっしょに

出かけた。

 

「おんぶしてやろうか」わたしがからかうと「なんば 馬鹿なこと言うて。」

それでもまんざらじゃないようだ。だいぶ弱ったなあと思った。

そうじが済むと 休憩場所に腰を下ろした。

 

そのときだった異変に気がついた。

 

「おっかさん 大明神が消えた。」

「なんて、そんな冗談言うて、大明神が消えたら動ナットね、。」

「宇和ーすげー浪が気よる。」

ただならぬ私のあわてぶりに母も心配になったのか立ち上がってきた。」

「こら大変じゃとにかく家に帰ろう。」

「もうむらも海に飲まれたど」

母の返事が返ってこない。浪は私の足元まで来ていた。

母の姿が波間に消えた。わたしは必死に草にし噛み付いた。

 

おもえば母は網他界してこの世にはいない。

すべて夢だった。何のために こんな夢を・・・・

「こくこく沈下する日本列島。「パソコンの中の記事を読んだのは昨夜のことだった。


近頃、どげんな・・・・・

2014-09-24 10:27:19 | 日記

日本の自殺者の数は 約年間3万人という数字が浮かんでくる。

しかし、国連などは 不審死の中の半数は 自殺ではないかと

推定しているという話もきく。

自殺の原因野第一位は経済的理由の用である。

簡単に格差と切り捨ててはいけないのだが、確かに

うまく言っている人と、望みを失っていく人に分かれて何時照るようである。

ずるけて、怠けて自ら招いたことだからという風潮もきびしいが現実である。

経済はあたるものはじかれるものが出て来る。格差があって当然という。

シカシ政治はあまねくひかりをアテネはならない。経済は政治の一面である。

シカシ、現在の日本では経済が政治を凌駕している。

そんなところに自分ではどうにもならないものが自殺という道を選ぶ。

どげんな説き枯れても こげんよ鹿答えられない。

テレビなんぞ悪いね。格差を浮き彫りに見せ付けるから。

ところでわが国は宗教には課税していないね。

あの糞坊主どもはいいことにしてお賽銭で暮らしたてているのは

腹が立つ。


難病・苦病・四苦八苦

2014-09-24 09:51:07 | 日記

              

坐骨神経痛またの名は

脊椎管狭窄症

つい2,3年まえまでは、何もなかったのに

パチンコ症候群とまで言われた

パチンコ狂の慣れの果てだ

パチンコ屋の丸椅子に一日中座っているのだから

たまらず病院に通ってみると、同病で苦しんでいる

人は多いんだ。どうしても山中博士の治療の進歩を

待つより仕方がないようだ。

最近では、痛みと麻痺で歩行もママ成らぬ上地帯である。病院

似通うのもタクシーだ。

人生、苦しみだけか。