年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(ビル・エバンス)について(第七弾)

2010年04月17日 00時02分17秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、約40枚程度所持していて、最も好きなピアニストの一人であるビル・エバンスについて簡略的に触れてみます。PhotoExplorationsAt_shellys_manneholePhoto_2Photo_3

 

 

 

ビル・エヴァンス(Bill Evans, 本名:William John Evans(ウィリアム・ジョン・エヴァンス), 1929年8月16日 - 1980年9月15日、51歳没)はアメリカのジャズ・ピアニストである。ニュージャージー州出身。

彼の父は、兄のハリーと同様に、幼い頃からエヴァンスに音楽を学ばせている。1950年代のニューヨークでの活動をしているうちに、次第に優秀なピアニストとして知られるようになった。

1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドに短期間加わり、録音とツアーを行っているが、バンドで唯一の白人であること、ドラッグの問題、そして彼自身がリーダーとしての活動を望んだために、バンドを離れる。しかしマイルスの要望で、1959年には「カインド・オブ・ブルー」のセッションに参加している。モードに根ざしたアドリブを、このアルバムで目指していたマイルスは、エヴァンスのアイディアが必要だった。よって演奏内容はエバンスの色彩が濃い。

1960年代の始めに、エヴァンスはドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロをメンバーに迎え、歴史に残るピアノトリオ(ファーストトリオ)を結成する。このトリオは、スタンダードナンバーの独創的な解釈もさることながら、即興性に富んだメンバー間のインター・プレイが高く評価され、ピアノトリオの新しい方向性を世に示した。このトリオで収録した「ポートレイト・イン・ジャズ」・「エクスプロレイションズ」・「ワルツ・フォー・デビイ」および同日収録の「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」の4作は、「リバーサイド四部作」と呼ばれビル・エバンスの最高傑作となった。「リバーサイド四部作」収録からわずか11日後、1961年7月6日に25歳の若さでラファロを交通事故で失うこととなり、しばらくレギュラートリオ活動は停止することとなった。

1966年に 当時21歳のエディ・ゴメスを新しいベーシストとしてメンバーに迎え、1969年にマーティー・モレルがドラマーとしてトリオに加わり、即興性に富んだメンバー間のインター・プレイにこだわり続けた。がしかしドラマーのポール・モチアンと天才ベーシストのスコット・ラファロの存在が余りにも大きく、次第に飲酒・薬物使用に走っていった。

1950年代後半から始めた麻薬使用者は永年の飲酒・薬物使用で、人体に残る薬物は肝臓に過剰な負担をかけ続けたことで肝硬変ならびに出血性潰瘍による失血性ショック死の結末となる。でも、ビル・エバンスのアルバムはいずれも駄作は無い。

ドビュッシー、ラベルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美なピアノ・タッチ、いち早く取り入れたインター・プレイ、といった演奏は、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなど多くのピアニストたちに多大な影響を与えたほか、ジョン・マクラフリンといった他楽器のプレイヤーにも影響を与えている。