関東は梅雨明けと同時の猛暑です。
子どもたちの夏休みも繰り上げて欲しいような毎日です、熱中症にはくれぐれもお気をつけくださいね。
ブログは、ほぼ1週間ぶりの更新ですが、6日のNHKで『
足元の小宇宙~生命を見つめる 植物写真家~』が再び、放送されてから思いがけず、以前書いた記事にたくさんの方からアクセスいただきました。
ひとえに、埴沙萠(はにしゃぼう)さんと素敵な番組のお陰ですが(笑)
改めて番組を見て、心が踊るというか、身近な自然の驚異に、楽しく幸せなひとときを感じました。それを教えてくださった埴沙萠さんも、とても魅力的な方。
多分同じように思った方が多かったのでしょう。ありがとうございました。
コンクリートの間に植わった街路樹でも、緑があるのとないのでは、人にとって気持ちが大違いですが、それだけでは気づかない凄さ、スーパーで買ってきた椎茸すら、埴さんの手にかかれば、まさに意志のある生命体として生きている・・・ということを実感しました。
木村秋則さんの奇跡のリンゴを科学的に研究してくださっている弘前大学教授・杉山修一氏の『
すごい畑のすごい土』。この本にも同じようなことが書かれていました。
本の説明は、リンク先アマゾンの書評に説得力がありますので、ぜひご覧ください。
それとは別に、選挙中なので、あえてご紹介したい部分があります。
今回の選挙で、TPPが思ったほど争点に上がっていませんが、私は、こと農業に関する限り、工業製品と同じ土俵のものではない、と、心から思っていますので、TPPには反対の立場です。
以下「すごい畑のすごい土」P174より
しかし、農業と工業では決定的に異なる点があります。
それは、農業が土地を利用することで国土の景観と環境を構成していることです。
農業がなくなると耕地は荒れ、原野に戻ります。
畑や水田が失われると、国土の景観が消滅します。
「緑の革命」の最も大きなコストは、食料貿易のグローバル化の中で、各国の伝統的農業システムが崩れ、国土が荒廃することかもしれません。
ヨーロッパ諸国では、農業を工業と同じ産業活動ととらえず、国土形成に必要な産業と位置づけているため、経済原理とは一歩距離をおいた政策をとっています。
埴沙萠さんのフィールドワークの里山。そこは食料生産のみではなく、たくさんの生物が補いあい、助けあう、生物多様性のある場所です。そして自然と人間の生活圏をつないでいます。
それを日本の農業は維持する役割がありました。
本文p92で、木村秋則さんの「自然栽培は、農地生態系の本来の能力を発揮させる」と書かれています。
まさに、日本が目指すべき農業は、
自然栽培による里山農業であるのではないでしょうか。
私は、3,11のあと見たテレビ番組で、福島・飯舘村の少年が避難先の都会のマンションで言った言葉が忘れられません。「飯舘村に比べたら、ここには色がない」
彼は、自然豊かな飯舘村で、祖父母を含めた家族と暮らしていました。四季の移ろいを感じながらの時間と、自然から離れたマンションで暮らす時間。色がなくなってしまったという意味が痛いほどわかりました。
人々から、里山からの季節の恵みや楽しみ、喜びを奪う原発事故を経験した日本。
現政権のいつまでも原発に頼る選択、同様に食料を工業製品と同じ扱いにするようなTPP推進の選択は、未来を壊すものだと思います。
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