虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

小さな哲学者りおくんの「我思うゆえに我あり」

2016年03月05日 | 心に残る言葉
「失敗したと思っても、そこから学ぶならそれは本当の失敗ではない」と言う、りおくんが好きです。

以下、「神様がくれたひとすじの道」(いんやく りお著)より






自分がいるから、生きられる。
自分がいるから、言葉が言える。
自分がいるから、思える。
自分がいるから、いまがある。








人間の宝は、言葉、いのち、心、動き。
人生は、そのすじみちで、決まっている。
だから、後悔しないでいい。
失敗したと思っても、そこから学ぶなら、
それは、ほんとうの失敗ではない。







  人間はみんな幸せになるために、生まれてきた。





社会情勢がきついこともある、家族の問題や仕事の人間関係や、金銭トラブルで悩む時もある。

でもね、この世に生まれて来たことは、幸せになるためだよ、と神様がりおくんが預けてくださったメッセ―ジ。
寒い中、春の花を見つけた時に、心が明るくなる、そんな瞬間にも、幸せになれる。
すれ違った人と笑顔で交わす会釈。それだけで、心があたたかくなる。

禍福はあざなえる縄のごとし・・・先人の言葉も、人生の経験値が少し増えてくると、昔よりも身にしみますわ(笑)
そんな経験も、うつろう感情も、みんな自分が生きていてこそのもの。
この世に生きていられること、それがとても幸せだと思います。

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成熟した社会とは、数字で表せないものを大事にする社会by内山節

2016年01月18日 | 心に残る言葉
東京新聞「時代を読む」哲学者・内山節氏の書かれた17日のコラム、今年も無事に読めました。

株価を中心とした経済は、数字によって一喜一憂し、暴落すれば世界が滅ぶような大きな騒ぎにもなります。
そんな経済が今の世界を牛耳っており、「安い」「儲かる」「お得」がキーワード。お金のためなら、すべてが優先されます。
持つものと持たざるものの格差が広がり、多くの人々は「お金」を目的とした労働の中で疲弊していく。
でも、もしかしたら、そんなのは虚構だ、生きることも幸せになることも、数字に振り回されることではない、と気づいた人たちがあちこちで増えてきているのだと思います。

成熟した社会とは、数字で表せないものを大事にする社会・・・ということに目からウロコ、というか、そのとおりだなと思います。




寒さの中に咲く花をみつけた幸せ、とか



数字で表せない幸せ感
内山 節     

 数字は具体的な一面と抽象的な性格とを併せ持っている。
 たとえば「ご家族は何人ですか」と聞かれた時に答える数字は具体的な数字だ。ところが日本の人口についての数字は抽象的である。何人いるのが好ましいのか誰にもわからない。スウェーデンやフィンランドのように広い自然を享受しながら暮らすのが理想なら、人口はもっともっと少なくてもいいような気がするし、増えていかないと市場が拡大しないと焦る人達もいるだろう。この場合でも何人まで増えたり減ったりするのが理想なのかは、よくわからない。
 お金もそうで、日々の生活の中で使われるのは、具体的な数字だ。ところが「いくらあったら人間は幸せになれるのか」などと聞かれたら、たちまち数字は具体性を失う

 私の新年は、毎年群馬県の上野村で迎えられる。山から朝日がさして正月がはじまり、年末についた餅が食卓に上がる。庭に冬の鳥たちが姿をみせ、葉を落とした山の木々が私の暮らす里を包んでいる。昼過ぎには私も近所に新年の挨拶にでかけ、逆に村人が訪ねてきたりする。自然も人間も、さらに昔からこの村に祀られている神々も、ともに新年を迎える。
 毎年繰り返される何ということもない時間なのに、共に新年を迎えることができたという安堵感があり、今年の村の無事を祈る気持ちが村の中には広がっている。

 そこにあるのは数字ではとらえられない世界だ。その代わり、どんな結び合いの中に村の暮らしがあるのかは、はっきりと見えている。自然との結びつき、村人や村の伝統文化との結びつき。そういうなかに、自分たちの暮らす世界のあることが。

 考えてみれば、人間の幸せや充実感といったものは、すべて数字では表せないものだ。数字は相対的なものだが、幸せや充実感は、それぞれの人々にとって絶対的なものだからである。だから高尚なものはすべて数字では表せない。美は数字ではないし、音楽や文学からえた感動も数字ではない。

 とすると成熟した社会とは、数字を追いかける社会から、数字では表せないものを大事にする社会への転換によって、生まれるのではないだろうか。幸せ感や生の充実感の高い社会が、成熟した社会のはずだからである。

 こんな視点からみていくと、今の政治の主張は情けない。数字ばかりなのである。GDP600兆円とか、2%のインフレとか、1億総活躍とか。それが幸せな社会をつくるのかも、幸せな社会とは何もかも考察されることなく、数字だけが花火のように打ち上げられていく。

 今年は、数字では表せないものを大事にする社会をつくりたいものだ。どんな結び合いが幸せをつくっていくのか。自然が支えてくれていると感じるような社会は、どうやったらつくれるのか。どんな働き方ができたら、充実感を手に入れることができるのか。


 それは広い意味でのコミュニティーの課題である。家族というコミュニティー、友人や仲間たちというコミュニティー、働く仲間のコミュニティー、自然を含めた地域のコミュニティー、そういうものが人々に幸せをもたらすとするなら、結び合いやコミュニティーを大事にする社会を、私たちは作っていかなければならないのだろう。



★関連記事
 「貧乏とは無限の欲がある人のこと」byムヒカ前大統領
 はたを楽にするから、はたらく


★内山節氏の「時代を読む」


 
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牛の詩2題と原発の詩

2015年12月28日 | 心に残る言葉
久しぶりに開いた本に、小さな新聞の切り抜きが挟まっていた。
これは・・

ドリアン助川氏のコラム「詞から詩へ」。朝日新聞の夕刊らしい。今の新聞活字より一回り小さい字。
働く牛をうたった「村の英雄」という西条八十の詩を紹介していた。詩人の言葉に心をつかまれて、思わず切り抜いてしまった記憶がある。
日付はわからない。本が1998年の版だから、もしかしたら、もう17年も前のものだろうか?



かつての日本人と牛との関わり。牛はとても身近にいた。
画像:牛のはくぶつかん


詞から詩へ       ドリアン助川   
      
-----------------

村の英雄         西条八十

村の大きな 黒牛が
春の夕ぐれ 死にました
永年住んだ 牛小舎の
寝藁(ねわら)の上で 死にました

女やもめの ご主人に
いつも仕えた 忠義もの
朝晩 重い荷を曳(ひ)いて
くろは すなおな牛でした

お寺の鐘は 鳴りません
けれども 花は散ってます
村の優しい 英雄が
春の夕ぐれ 死にました

-----------------


昔の人は優しかった。なんて僕は言いません。昔は昔で、冷酷なことはたくさんあったのだから。けれども昔は、村にも町にも愚痴をこぼさない牛がいて、懸命に耐える牛がいて、切なくなるような牛がいて、詩人はそれを見過ごすことができなかった。書かずにいられなかった。今の人は冷たいね、なんて僕は言いません。人の温かさは、そう変わらないものです。けれども今は、もうどこにも牛が見当たらないから、本当はいたるところに隠れているのに外見だけの町並みに消されてしまっているから、誰も牛の詩など書こうとしないのです。こうやって優しさは難しい言葉になりました。



西条八十の書いた牛は、けなげで辛いことに耐えながらも、苦楽をともにした女主人のもとで静かに天寿を全うできた。
しかし、21世紀にもなって、2011年に、飢えて飢えて柱をかじりながら死んでいった牛がいた。壮絶で悲しい福島の牛の詩を見つけた。

「本当はいたるところに隠れているのに」という、ドリアンさんの言葉は、2015年の今は、心に突き刺さる。
見えないふり、見ないふりをしていても、福島の牛に象徴される悲しみはいたるところに隠れている。


以下は、12月25日東京新聞の筆洗より、文は変えておりませんが、改行などすこし編集しました。

 
その人はどうしようもなくて
牛を餓死させてきた
と 言った。
可哀想なことをしたが
仕方がない
とも言った。
そして一枚の写真を取り出して見せた。
それは牛が柱を食った写真だった


そんな詩を、詩人で出版社コールサック社代表の鈴木比佐雄さんの新著『福島・東北の詩的想像力』で知った。福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる根本昌幸さんの「柱を食う」である。
詩は続く。


この写真は自分を戒めるために
離さずに持っているのだ
とも言った。
これはどういうことなのだ。
牛よ
恨め恨め
憎き者を恨め
お前を飼っていた者ではない。
こういうふうにした者たちを



その写真の持ち主はいま、どんな思いで原発再稼働の報を聞いていようか。九州電力の川内(せんだい)原発に続いて、関西電力の高浜原発も再び動く見通しとなった。
福井県知事は、「政府が責任を持つ」との首相の発言を重くとらえて再稼働に同意したそうだが、本当の「責任」の重さはいかほどのものか。


『福島・東北の詩的想像力』で、こういう詩も知った。福島県いわき市の芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ。


失ったものは永遠に帰っては来ない
元通りに出来ないはずだのに
責任をはたすって?
何の責任をだ
一体責任って何だ?


この「?」に首相らは、どう答えうるのか。

-----------------


かつて牛は、日本の農業の担い手だった。人と牛は心を通わせることもできた。

「人を人とも思わなくなった時、堕落が始まるのね」と、詩人の茨木のり子さんは「汲む」という詩の中で書いている。
同様に、すべての命を命とも思わなくなった時、自分を支えてくれる命への感謝や同情を忘れてしまった時、万物の霊長を自負した人間の堕落が始まっているのではないか・・と、よく思います。

原発は、事故が起こったとき真っ先に被害にあうのは、人間だけじゃない、逃げることの出来ない動物たちです。
再稼働を望む人たちには、そのことに、どうか思いをはせていただきたいのです。


 


ところで、気がつけば、今年もあと数日。
書きたいことは山ほどあるのに、自分の力不足から、記事にもできず、消えていく事もありました。
2006年からブログをはじめて、来年で10年になります。
今年も牛の歩みのような1年でしたが、西条八十の「村の英雄」を再読して、それでも続けていくこと、牛の歩みでもそれが誇りに思えるようになりました。

この記事で、年内の更新は終わりにします。

今年も1年、見てくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
どうぞ穏やかな良いお年をお迎えください。


★関連記事
 まど・みちおさんの詩「虹」
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「あさが来た」旦那様の言葉

2015年11月16日 | 心に残る言葉
「あさが来た」第7週平均は自己最高24・0%!7週連続大台超え

久しぶりに、NHKの朝ドラがまた楽しみになってきました。
たくましくも素直で、かいらしい、ヒロインのあさちゃんが好きすぎて、恋してるかも(笑)
日曜日がお休みだったので、月曜日に、あさちゃんにときめいて気づいた(爆)

ツイッターのハッシュタグ「あさが来た」も、毎朝チェックかかせなくて、無駄に忙しいですがな(汗)

実在の人物がモデルだから、どうやら、史実では旦那様の新次郎さんに側室ができて子どもも生まれるようなのですが、いよいよドラマもその時が少しずつ近づいてきたようで、せつないなあ。





旧家は「家」を守るために子どもを増やす、そういう時代だったから、今とは価値観が違うもので、現実の広岡浅子さんは、ネット情報によると、側室に子どもが生まれて一家繁栄を喜んでいたというようなこともに書かれていたそうですが。←どこまで調べてるんだ私。

これからドラマはどんな展開になるかわかりませんが、現代の視聴者が見ても、そうなることが不自然でなく納得できるストーリーにしてほしいなあと・・・難しいと思うけど。





でも現代の脚本家が新次郎さんに言わしたセリフは、良かったなあ。


「相手まかしたろとおもて、武器持つやろ?
 そしたら相手はそれに負けんように
 もっと強い武器持って。
 そしたらこっちはもっともっと強い武器を。
 太古の昔からアホな男の考える事や」


なあ!ほんまやで。
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わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない

2015年09月27日 | 心に残る言葉






政権は、安保法制を通し時が来れば、いずれきっとみんな忘れてくれる
いつもの日常に戻るはず、と思っていることだろう

たしかに日常は一見何も変わらず、いつもの人たちといつもの笑顔、そして挨拶

しかし見えない部分にこそ、大切な変化はある
心のなかで、日常の中で、芽生えた変化は、決して消えない

そして、いつもの日常と笑顔と挨拶


以下、京大有志の会の声明文より


わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。

自由と平和のための京大有志の会



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再掲:愛川欽也さんが靖国神社に奉納した言葉

2015年04月17日 | 心に残る言葉
昨年、7月の記事ですが、再掲します・・・以下。

---------------------------------

ツイッターで話題になっているらしいけど。


私たちは憲法を守る
憲法が私たちを守る
愛川欽也


立憲国家なら、当然のことなんだけれど、この文が、靖国神社にあったということが、素晴らしい。
ぜひ、実際の写真を見てください。
 https://twitter.com/itten10/status/489745567111577600

思えば、わだつみの遺書の、削除された部分で、ものすごく軍の中枢を批判していたことが判明した。
(参照:わだつみの遺書、削除された部分
無念のうちに処刑された若い兵士たちの思いに報いるなら、二度と同じ過ちを繰り返してはならない。

時の一政権の解釈で、国の憲法を勝手に変えてもいいなんて、許されない。
愛川欽也さんの、このメッセージは、輝いてみえる。

---------------------------------


愛川欽也さん、お疲れ様でした。大きな大切なメッセージをありがとうございました。
良き人生だったとお察し申し上げます。
謹んでご冥福をお祈りします。

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人はみな平和を背負う旅人なり

2015年04月11日 | 心に残る言葉



ペリリュー島で天皇皇后両陛下が祈りを捧げるこの写真は、こちらより

天皇陛下は、パラオ訪問の際、羽田空港でこのように述べた

「日本軍は約一万人、米軍は約千七百人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」


2005年のサイパン島への慰霊の旅の際もこのように述べられた。

「先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」



東京新聞の1面には、毎日、読者の平和の俳句一句が掲げられているのだけれど、4月9日天皇皇后両陛下がパラオを訪問した日の一句

人はみな平和を背負う旅人なり
松井定子(64) 金沢市


・・・そうだなあとしみじみと思ったので、この記事のタイトルにしてご紹介させていただきました。

両陛下の背を見ながら、まさにお二人は戦後ずっとこの「平和」を背負って生きてこられたのだなあと。
戦争で亡くなったすべての命と引き換えに生まれた「平和の重さ」をずっと背負っていらっしゃるのだろうと。
80歳を過ぎてもなお、ご自分の使命であるかのように果敢に平和の大切さを後ろ姿で示されていることに、胸が熱くなりました。


人はみな平和を背負う旅人なり


もちろんその荷を両陛下だけに背負わせてはならないことは、作者の上の句「人はみな」に表されている。
戦後、天皇は神様ではなく、人間に戻られた。天皇を神と崇め、政治利用され、天皇のために死ねと言われたあの時代。誰よりも天皇家が、もう二度とあの誤った時代を繰り返してはならないと、強く感じられているのだと思います。
主権在民。この国は生まれ変わった。
私たち一人一人が、「平和」を背負って生きてゆく。それは後に続く者の役割なのだと、その覚悟をつきつけられたような気もした。

二人の選者の言葉も、どちらもとてもいい

金子兜太
 だから穏やかに笑って過ごせばよい。「背負う」が上手い言い方。
いとうせいこう
 戦いを背負うより困難で勇敢で知性的で優しく長く意義のある旅。


穏やかな笑顔を忘れず、戦いよりも勇敢で知的で優しい「平和」を背負いながら、この世の旅を続けたい。
天皇皇后両陛下のように。
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ひとは皆平等であることを裏付けるマララパパの言葉

2015年03月23日 | 心に残る言葉
ネットのルミネのCMがひどい、と炎上したそうです。
その内容といえば、一人の若い女性会社員が、同僚か上司かの男性に職場の華的な女子力が低いと暗に言われ、しかもいかにも可愛らしい女性社員と露骨に比較され、しかし、彼女は「コンチクショウ」とは思わずに、「変わらなきゃ」と決心。「さあ、ルミネで新しい洋服を買おう!」・・・というのがコンセプトだったのでしょうが。残念ながら、時代は進化していますからね。
変わらなきゃいけないのは、この広告を作った人たちだったのでしょうね。

詳しいことはこちらに→http://matome.naver.jp/odai/2142677768646297901


この話題をブログに取り上げるつもりもなかったのですが、昨晩見た、NHKの「スーパープレゼンテーション」ノーベル平和賞を受賞したマララさんのお父さん、ジアウディン・ユスフザイ氏のスピーチに通じるものがあったので。



(画像:NHK)


先日も、ミシェル・オバマが来日し、女子教育の普及に日本も尽力を、と話したばかりだけど。
ユスフザイ氏は、パキスタンで男女共学の学校を経営していたが、女子教育を否定するタリバンに脅迫を受けるも学校経営を継続していた。
が、娘のマララさんが銃撃され一命を取り留めたあと、現在、家族でイギリスに移住している。

私たちは、生まれながらにして人権を持っており、人はみな平等である
これは、「考え方」ではなくて、「宇宙の真理」というか、この意識を持つことは、ひとびとの力となり、エネルギーとなり、いきいきと生きられるための「真実」であると私どもは、確信しています。

ところが、人類はなぜだか、あらゆるところで差別意識を持ってしまいます。
そして、長年の周囲の洗脳によって、差別する側は、○○は、自分よりも格下の存在であるという洗脳があると、相手の人権を傷つける行為も、悪いことだと思わないのです。
同様に、差別される側も、それと気付かずに、自分を卑下したり服従に疑問を持たなかったりすることは、ままあります。
「女は男に服従しなければならない」「男は女よりえらい」などなどの、このような無自覚な洗脳で育った人たちは、自分たちの子どもにもそれを伝えてゆくので、同じような負の連鎖が受け継がれてゆきます。
だから、タリバン勢力の極端な男尊女卑を押し付けられても、暴力への恐怖で反対できない人たちだけでなく、無自覚のうちに、それを許してしまうことも、かの国民の中にあるようです。

この不平等に対して、ユスフザイ氏の主張は明確でした。

「女の子には服従をやめなさい、男の子には面目を持つのをやめなさい、と言います」


マララさんのような勇気のある少女を、どうやって育てたのか、とよく質問されるそうです。その答えも、シンプルです。

「私は娘に何かしたのではなく、何もしなかったのです。
 私は娘の翼を切り落とさなかっただけなんです」


幸いなことに日本では、戦後男女平等意識が少しずつ浸透してきて、ルミネのCMのようなものが作られても、変だと思った多くの女性達が声を上げた。同じように男性の中にも、その問題を共有して、理解してくれる人も増えている。
こういうかたちの自由、時間はかかっているけれど、以前よりか、かなり前進したのではないだろうか。
(まあ、最初から、広告代理店が関わっているような媒体は、ほとんどのものは手前味噌と嘘がまじった虚構であるって思っていたほうが、のちのちだまされなくて、いいと思いますけれど  )
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人を差別する根っこに「恐怖心」があるbyマツコ・デラックス

2015年02月05日 | 心に残る言葉
タレントのマツコ・デラックスさんが、差別や偏見の根っこには、「異質なものに対する恐怖心がある」と述べたという。
ああ、そうだな、と私も最近、特に思うことがあって、すごくわかる気がしました。
多くの争いのもともとの元凶も実はそんなところにあるのかもしれないって。


マツコ・デラックスさん、差別の「根っこ」語る
オルタナ 1月22日(木)18時52分配信

タレントのマツコ・デラックスさんが差別や偏見に対する持論を展開した。差別の根っこには、異なるものに対する「恐怖心」があり、「差別はいけない」と理屈では分かっていても、その恐れが勝ってしまうものと話した。自分たちよりも劣っている集団を見つけては差別するという、「マイノリティがマイノリティを差別する」構造があると言う。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

マツコ・デラックスさんへのインタビューは、日本財団が主催する「THINK NOW ハンセン病」キャンペーンの一環で行われた。同キャンペーンでは1月25日の「世界ハンセン病の日」に向けて、同病への正しい理解を呼びかけている。日野原重明氏やダライ・ラマ14世、ゆるキャラのくまモン、横綱の白鵬関ら数多くの著名人が無償で協力し、メッセージ動画を掲載している。

ハンセン病は、かつて「らい病」とも言われ、皮膚に発疹ができたり、身体に変形をもたらす感染症として、人類から恐れられてきた。同病への薬は1980年代に開発され、それ以降無償提供されだし、医学的には解決の方向に進んでいる。しかし、回復者は家族と絶縁したままで、本名を名乗ることにも抵抗があり、社会から遠ざけられた暮らしを強いられている。手や腕が変形している見た目から、そして、政府の長期にわたる隔離政策もあり、誤った認識が根付いたままだ。

同キャンペーンにマツコ・デラックスさんが協力したのは、2回目。キャンペーンが始まったのが2014年12月1日で、マツコ・デラックスさんは12月上旬にいち早くメッセージ動画を寄せた。そのとき、「ハンセン病はさまざまな偏見や差別の縮図」とコメントし、話題を集めた。そこで1月中旬に改めて時間をつくってもらい、差別に対する考えを聞いた。

インタビューの冒頭、人を差別する行為の根っこには「恐怖心」があると発言。恐しく思う原因は、未知のものを、「理解できない」と断定してしまうことにあるという。「容姿でも思想でも、理解できないことを理解しようとすることもなく、理解できないままにしておくから恐怖を抱いてしまうのだろう」。

そして、「マイノリティがマイノリティを差別する」構造を指摘した。明治6年から政府の隔離政策は始まったが、その当時、ハンセン病患者は物乞いとして生きており、「遍奴」と見下されていた。しかし、病気を発症していなくても、貧困に喘いでいた人たちはいたはずで、その人たちも何らかの偏見は受けていたとし、「自分たちよりも劣った人たちを見つけて、自己を正当化する」構造が新たな差別を生み出すことになったと話した。

ここから話は、現代の若者にも及んだ。ネットの普及で、胸に秘めていた思いを簡単に発信できるようになったと言い、「未来に希望が持てない・虐げられている」と思っている若者が自己を正当化するため、(差別する)標的をつくってしまうのではないかと不安を示した。

取材の最後に、日本は戦後からの成長を遂げ、豊かな暮らしができるようになったが、「差別がない世の中などいままでになかった」と振り返り、ハンセン病問題を考えるため、ゆっくりと言葉を振り絞り、力強いメッセージを語った。

理解しようとも思わないことが攻撃につながる。ハンセン病の問題がなんとなく収まったからといってうやむやにしてはならない。改めてハンセン病が差別の対象となった背景、悲惨な状況が生まれ、被害にあった人たちがいることを知ることが大切だと思う。無知であることが結果的に差別という発想につながってしまうことを、改めて考える時期に来ている

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運命を変える、ガンジーの言葉より

2015年01月28日 | 心に残る言葉
某医師の著書に紹介されていたマハトマ・ガンディーの言葉です。





マハトマ・ガンディーは次のように言っている。

信念が変われば思考も変わる

思考が変われば言葉も変わる

言葉が変われば行動も変わる

行動が変われば習慣も変わる





習慣が変われば人格も変わる

人格が変われば運命も変わる




★関連記事
 ゆるすということは強さのあかしなのです・・・ガンジーの言葉
 
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きな臭い世界から少し離れて

2014年07月18日 | 心に残る言葉
イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシア、シリア情勢・・・etc.
そして日本政府も、着々と。。。
武力攻撃を出来る限り避けようと努力するオバマ大統領は、弱腰と叩かれ、早くも次の共和党の大統領候補には、あのブッシュ家の弟の名前が上がっているらしい・・・


木村秋則さんは、著書「地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと」でこう書く。






もうそろそろ、「星」という単位を意識して生きてもよいのではないでしょうか?
日本人としてではなく、アメリカ人としてだけではなく、ドイツ人としてだけではなく、「地球人」としての自覚をみんなが持てば、自ずと私達の「思い」も「行動」も変わると思います。


もうそろそろ「わたしかあなたか」というサバイバル的な競争をする生き方ではなくて、「わたしとあなた」という共存の生き方を選択する時が来ています。




人間ってなんちゅうんだろう。愛で包まれているんじゃないかな。
その愛で包まれているのを、愛に自分で壁を作っているんじゃないかな。
心を閉ざしてな。そうして見ると、愛っていう字は心を包んでいるね。




今日のグーグルのトップには、人種隔離政策アパルトヘイトの撤廃に尽力したネルソン・マンデラ氏のイラスト動画とその言葉が出ていた。





生まれた時から、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。
もし人が憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べてより自然に人の心にとどく。


人生で大切なのは、ただ生きたということではない。
自分の人生を通じて、他の人々の人生をいかに変えることができたか、それが重要なのだ。


教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である。


自由であることは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、
他人の自由を尊重し、より向上させるような生き方をすることである。




生きるうえで最も偉大な栄光とは、決して転ばないことにあるのではない。 転ぶたびに起き上がり続けることにある。




木村秋則さんや、マンデラ氏の言葉、忘れないようにしよう。
人類は、どうしようもなくばかだけれど、それでも、その本質は「愛」である、と信じます。

googleも、きょうはいい仕事なさいました。まとめはこちら


★関連記事
 ニコニコ笑って

素敵な画像は、写真素材足成*ami様の写真からお借りしました。
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ニコニコ笑って

2014年07月13日 | 心に残る言葉

なんで、こんなに何度も何度も、試練が続くのかと思う時もありますよね・・・

身をもてあまして、自分自身すら助けられないのに・・・誰かを助けるなんて無理。

何度も何度も打ちのめされながら、それでも、生きていかなきゃならない。そんな日々もある。

「おまえ、ばかか」と言われても、いつも笑っている。それができる人は、強い人です。

木村秋則さんの本「地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと」より。







人生のツライことは、ニコニコ笑って耐えるしかない。

悲しいことも、ニコニコ笑って耐えるしかない。

何があっても、ニコニコ笑って自分で乗り越えるしかない。

人をうらんだって、うらやんだって、人と争ったって、

何もいいことなんてありえませんから。



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一人でも変えることができる レイチェル・カーソンと「憲法9条をノーベル平和賞に」

2014年04月15日 | 心に残る言葉


尊敬する人は誰ですが、と聞かれたら、子供の頃はよくわからなかったけれど、私は、今は真っ先に「レイチェル・カーソン」の名前をあげます。農薬の危険性を世に初めて訴えた著書「沈黙の春」は、アメリカ人に衝撃を投げかけました。
先日、その彼女を取り上げた「未来潮流 環境運動の先駆者レイチェル・カーソン」を見ました。
1999年の放送の再放送ですが、カーソン女史の意志は、「人間は自然に対して謙虚であれ」と、今に生きる私たちに普遍的なメッセージとして訴えてきます。

その中で、彼女の伝記を著したジョージ・ワシントン大学のリンダ・ルア教授の言葉がとても印象に残りました。

彼女は、たった一人でも世界を変えることができると信じていました。普通は、「私になんか変えることが出来ない。私の意見なんか関係ない」と考えがちです。しかし、カーソンは信念を持ち続ければ、一人でも変化を起こせると信じていました。


これってすごいと思いませんか。私なら、出来るだろうか・・と思わず尻込みしてしまいます。
彼女に対する化学工業界の恐ろしいバッシングにもめげなかった、どこまでも強い意志。(おそらくストレスで内心は辛かったと思うけれど、使命感があったから決して弱音を吐かなかった)
巨大な力に向かってたった一人で無謀とも思える女性の意志が、政治を動かし、変化をもたらした。
当時の大統領が、ジョン・エフ・ケネディだったことも人類にとって幸運だったと感じます。
ふたりとも、残念ながら志半ばで亡くなってしまったけれど、その意志は、消えることなく、のちの人びとの環境運動や市民運動として受け継がれています。

そして番組を見ながら、私が思い出したのは、「憲法9条をノーベル平和賞に」と思いたった一人の日本の女性のことです。
その方は、オーストラリアで出会った傷ついた難民の人達を見て、「日本が戦争に巻き込まれないのは、平和憲法のおかげだ」と、実感しました。最初、平和賞は、抽象的なものには与えられないと断られ、「9条を保持している日本国民」という枠組みで活動をはじめました。
 たった一人ではじめたことが、賛同者が集まり推薦人も集まりました。

 「憲法9条に ノーベル平和賞を!」 1人の母親の運動 広がる

これ、東京新聞で知って、すごいなと思いました。
そして、ついにそれがオスロで受理され、278候補の一つとしてノミネートされました。

「憲法9条をノーベル平和賞に」推薦受理 実行委に連絡(朝日新聞) - goo ニュース
2014年4月11日(金)11:34
 戦争の放棄を定めた憲法9条をノーベル平和賞に推した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(事務局・神奈川県相模原市)に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したとの連絡があり、正式に候補になったことがわかった。
 連絡はメールで9日夜、実行委に届いた。「ノーベル委員会は2014年ノーベル平和賞の申し込みを受け付けました。今年は278の候補が登録されました。受賞者は10月10日に発表される予定です」との内容だ。
 事務局の岡田えり子さん(53)は「受理されてうれしい。受賞者は個人か団体となっているが、受賞者を日本国民としたことを委員会は受け入れてくれた。これで日本国民一人一人が受賞候補者になった」と話した。

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まだまだ、一歩を踏み出したばかりですが、この1歩は、日本人にとって改めて憲法のありがたさを考えさせられるものだと思います。

レイチェル・カーソンがそうだったように、一人の力は小さいけれど、それが天の理にかなっていれば、変化を起こせると信じます。
農薬による環境破壊も、戦争による環境破壊も、多くの命を奪う、未来にまで禍根を残す、という意味では全く同じことです。

署名サイト→「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会


■追記
 以下の記事にいただいたミキコさんのコメントから、今日の記事を書きました。
 「憲法今こそ役に立つ」 宮崎駿さん
 
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「ごちそうさん」泰介の出征

2014年03月07日 | 心に残る言葉
7日の「ごちそうさん」ご覧になりましたか。

長男の泰介くん、なんていい子なんだよう・・・と涙ながらに、出征を見送ったあと、届いた、次男かっちゃんの戦死通知。
https://twitter.com/gochi_rai/status/441713451858026496/photo/1

自分が、息子を見送る母親の年齢になったせいか、よけいに心が引き裂かれそうです。

そういえば、私が子どもの頃遊びに行った、母の田舎の親戚の家。
居間の鴨居の上に、兵隊さんの顔写真が、何枚もずらっと並んでいました。
「本家は、兄弟がみんな戦死したから、跡継ぎがいなくなって、婿さんをとったんだよ」
・・・と、記憶の片隅にしまっていた母の言葉を突然、思い出し。
子どもの頃は、ピンとこなかったけれど、どの家庭にも、同じような悲しみがいっぱいあったのですね・・・。

出征前夜の最後の晩、くしくも泰ちゃんが母親に言った。





ぼくは ぼくにそれを許さへんかった、
この時代を 絶対に許さへん

ぼくは この国を変えてやりたい

せやから はってでも帰ってくるさかい
生き返らせてや

あそこでみんなでまた
ごはん食べさせてな・・・



泰ちゃん、必ず帰ってきて。

「この国を変えてやりたい」・・・泰介が言ったように、戦後生まれた日本国憲法が、民主主義の日本を作った。
こんなこと二度と繰り返すことのないように、9条を専守防衛を絶対に手放しちゃダメだ。

NHKの会長さんが変わる前に、出来上がっていた脚本なんだろう。
経営委員の長谷川さんに、文句言われなくてよかったね。


★関連記事
 悠太郎さんの逮捕・防空法と原発



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なんのために生まれて なにをして生きるのか

2013年10月16日 | 心に残る言葉
3,11直後しばらく、テレビから歌が消えました。
津波の映像と、原発の状況と、重苦しい空気のなかで、ラジオを聞いていたものです。

原発はどうなってしまうのか、キネシオロジーでは現時点では、大丈夫、逃げなくてもよい・・という答えがいつも返ってきていたものの、明日はどうなってしまうのかはわからない。
ましてやキネシオロジーテストなど知らない人々にとっては、たくさんのデマが流れたこともあり、政府発表を信じていいのか疑心暗鬼になって、本当に不安な毎日だったと思います。

そんな時ラジオから流れた「アンパンマンマーチ」






なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで



なんだか、原発に立ち向かっていく沢山の人達に重なって、涙が出てきたものです。

個人的なことですが、我が家にとっては、なんでこんなことが・・・と思うような、なかなかきつい好転反応がこの1年前から続いており、ようやくなんとかなりそうだと思った矢先の3.11だったものですから、よけいだったかもしれません。
この世に生まれてきた意味とか、生きるってなんて大変なんだろう・・、とか身にしみて感じていたので、飯田史彦さんの「一寸先は光」を座右の銘として、ひたすら耐えて乗り越えてゆくしかないと、つくづく思いました。

やなせたかしさん、遅咲きの漫画家と言われていますが、年齢や経験を重ねたからこそ、伝えられることってあると思います。しかし、やなせさんは、昔からずっと一貫していたかな。

これも個人的なことですが、やなせさんが責任編集されていた「詩とメルヘン」という雑誌を、高校時代愛読してました。今でも何冊かは、捨てられずに手元においています。
掲載されていた、たくさんの詩や、やさしく美しいイラストたちに出会えたことが、私の心の根っこの一部になっています。 

 

やなせたかしさん、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

コメント (4)
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