虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

「思い通りにならないこと」をわざわざ経験するのが人生にゃのだ

2010年07月29日 | 
ひとつ前の「ゲゲゲの女房に見る逆境パワー」の記事で、大ちゃん様より下記のようなコメント(抜粋)をいただきました。


 だれかの言葉で「大変な時とは、(大)きく(変)われるチャンス」というのに触れたことがあるんですが、逆説的には、『逆境』や『大変』以外に、人間が大きく変われる好機はあまりないような気もしています。
そして、それ(変わる)を成し遂げるのに大きな力となるのが、まさしく「支える人」の存在なのだと思います。
もしかしたら、人生は、変わるためにあるのかもしれませんね。





大ちゃん様のご意見は、とても共感したのと同時に、飯田史彦さんの「生きがいの言葉」の「ソウルメイト」と「思い通りにならない人生」について書かれた部分を思い出しました。
つまり、楽しいことを経験した相手より、苦しいこと、悲しいことを経験した相手との方が、より深く理解しあえる・・・ということです。

ご紹介しますね。


ソウルメイトは「今回の人生でも夫婦になろう」と計画して生まれてくるかぎり、必ず出会うことができます。たとえ地球の裏側に住む異邦人であっても、旅先で出会ったり、文通友達になったり、友人の友人のそのまた友人として紹介されたりして、不思議な縁で出会ってしまうものです。

人は楽しいことを経験した相手より苦しいこと、悲しいことを経験した相手との方が、より深く理解しあえるものなのです。夫婦は、何度もの「思い通りにならない人生」をともに悩み、乗り越えてきた相手ですから、他の存在とは比較にならないほど、強い結びつきでつながれている「一心同体」であると言えるでしょう。



「一心同体」とは、魂がこの世に生れて体に入る時に、二つにわかれて、別々の体に入っていくツインソウルのことでしょう。ソウルメイトよりもさらに深い結びつきの二人であるに違いなく、出会ってしまえば必ず一緒になる運命の人です。
この辺のことは、飯田史彦さんの本を読んでご理解いただく以外、私には説明のしようがありませんけれど。

人生って楽しいことばかりじゃないのは、だれでもわかっていると思うけど、やっぱりつらいことは嫌だし、できるなら避けて通りたいものですよね。だけど、避けられない向こうからやってくる、大変なことってあるのだし。
でも、そんなときこそが、魂の成長のチャンスなんでしょう。一人じゃつらいことも、支えてくれるソウルメイトがいれば、きっと乗り越えられる。だって、自分でこの試練を乗り越えようと、ソウルメイトと意気揚々と設定して生まれてきたんですから。「思い通りにならないこと」を経験するために。

再び、飯田史彦さんの「生きがいの言葉」より


「生まれる前は広いお花畑みたいなところにいたんだよ。そこは何にもしゃべらなくても、気持ちのわかる人ばっかりだった。どこでも自由に飛んで行けたよ。・・・・生まれてきたら、何にも自由にできないね。動けないし、しゃべれないし、苦しいことがいっぱいあるから、赤ちゃんは泣いて生まれるのかな」
生まれる前の記憶を持つ幼児の証言。


つまり、「思い通りにならない」ことこそがこの物質世界が持つ最高の価値なのではないでしょうか。そして私たちは、「思い通りにならない」という「価値ある現実」から出発して、「思い通りにならない人生」をいかに正しく苦悩しながら生き、普段は思い通りにならないからこそ時折出会うことができる「願いがかなうという喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということを、日々の人間生活の中で学んでいくのではないでしょうか。
私たちは、なぜ生まれてくるのか・・・・・・・・・それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ、生まれてくるのであり、その機会つまり「死」や「病気」や「人間関係」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだといえるでしょう。





「思い通りにならないこと」を、わざわざ経験するのが人生にゃのだ



あちらの世界はなんでも思い通りになってしまうからこそ、今わざわざ「思い通りにならないこと」を経験しているのだと思うと、「思い通りにならないこと」も、また違った視点で見られるようにならないでしょうか。
私を含めて、今、まさに「思い通りにならないこと」を経験中のみなさん、せっかく生まれてきたからには、今の試練を味わって学んで、耐えることや、許すこと、そして愛すること(ちょっと気恥ずかしくても・・)を経験しましょう。
つらくても大変でも、もう一度気を取り直して。何度でも、気を取り直して。
そして、時折訪れる、オアシスのような楽しいことを楽しみにして、ね。

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終末医療における医師の役割

2010年04月14日 | 
庭に、六芒星のマークのような(笑)、ニラバナが咲いています。


ずいぶん前に読んだエッセーだけど、小説家であり医師でもある、ある作家の一文が印象に残っている。

そこには、医師として、たくさんの死にも、向き合ってきたから言えることだとして、人間の体は、死んだらただのモノとなってしまうだけ、その存在は永遠に失われてしまうのだ、というようなことが、きっぱり・はっきりと書かれていた。

それは、物理的には、その通りだろう。
多くの死と向き合わねばならないという職業柄、それぞれの人の死に対して、いちいち精神的な何かや霊的な何かを感じていたら身が持たないということもあるだろう。
そう言い切らなければ、死と向き合う仕事など、やっていられないのかもしれない。

医師としての視点は、現状それでいいのかもしれないけれど、しかし、作家としてはどうなのか。
それ以来、その作家の小説は、なぜだか底が浅いような気がして、まったく読む気がしなくなってしまったのも事実。

目には見えなくても、あるものは、ある。
目には見えなくてもあるんだと、そのことは、古今東西、多くの人々が何かの形で、語り継いできたことなのだけど、左脳ばっかり鍛えているとわからなくなっちゃうのかも・・・。
頭で考えれば、どつぼにはまってとっぴんしゃん。ぬけたら、どんどこしょ~、でしょ。(笑)

ダイヤモンド・オンラインに、外科医柴田高氏の書いた、こんな記事があった。
興味深かったので、以下、記事全文掲載します。

「お坊さまのお仕事」も医療のひとつ(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

外科医になって3年目ごろのある日、家へ帰ると遠い親戚に当たるというお坊さまが来ておられて、母と昔話をしていた。私が挨拶をして横に座ると、突然そのお坊さまが

「たかしちゃん、お医者さんだそうですね。患者さんは元気になられる場合もあるけど、亡くなることもあるでしょう」

 と、私に話しかけられた。

「はい、今はガン末期の方のお世話が多くて」と私。

「そうですか。最期に立ち会われるんですね」とお坊さま。

「死亡確認が月に2、3回はあります」と私。

「悪いことはいいません。亡くなられた方に向かわれた後は、必ず心の中でかまいませんから手を合わせて、南無阿弥陀仏を唱えてくださいね」とおっしゃって、お坊さまはこう続けた。

「いろいろな思いを抱いて亡くなられる方がいます。どんな方でもご冥福を祈る思いをそれぞれの霊に伝えてください」

 私は“霊”については、そのときはあまり理解できなかったが、それ以降必ず、ご冥福を祈る思いを込めて心の中で「南無阿弥陀仏」と手を合わせることを実行した。

 その後勤めた病院での出来事。

 その病院は戦後まもなく建てられて老朽化が進んでいたため、新病院への移転構想が立てられていた。あるとき、三十代後半の独身女性の患者さんが手術後合併症を起こして退院できないまま、亡くなられるという不幸なことが起こった。

 亡くなられる数日前、廊下で歩行器を使って懸命に歩かれていたのを見かけた私は「がんばれてますね」と声をおかけしたが、その髪が急に白くなっているのに驚いたのだった。

 そして亡くなられたその日、私は病室の前を通りかかり、名札の名前が変わっているのに気づいた。詰所でたずねると「昨晩、亡くなられました」と担当のY看護師が答えてくれた。胃ガンの根治手術で縫合不全という合併症が起こり何度も手術や処置を行った。半年近い入院で、合併症がよくなったころから免疫が低下し、抗がん剤予防投与ができないこともあり、早期にガンが再発してしまったのだった。

 そのとき「ピンポン、ピンポン」と名札の変わったその病室から患者さんのコール。「ハーイ、どうなさいました。すぐ行きますね」と出て行ったY看護師が、しばらくすると悲壮な顔をして戻ってきた。「患者さんが金縛りにあってて…、髪の毛の白い女性が夢に…」と言葉を詰まらせる。

 居合わせた詰所の数名は、一瞬で私と同じことを考え、血の気が引く思いにとらわれた。

その夜から、その病棟はただ事ではなかった。少なくとも亡くなられたあの患者さんを知る者にとっては。

 日ごろは日常診療で目の前を患者さんがつぎつぎ入退院され、野戦病院のように手術や死亡確認が行われている。そんなふうだから医師や看護師は、亡くなられた患者さんの“霊”を意識する暇など皆無だ。しかし、そのときばかりは特別だった。若くして亡くなられた患者さんを思うと、彼女のつらい思いや苦労が頭をよぎり、その無念さが思われてならないのだ。

 怖いとか、恐ろしいという感覚はなかった。ただ、肉体はもうこの世にはない患者さんの“気”が、まだ病室や病棟に余韻として残っていると私は感じた。

 数日後、その病棟の当直業務が私に回ってきた。深夜業務に入る看護師さんの申し送りを聞こうと詰所に行くと、看護師さん同士が“その話”をしている。

「まだ、病棟におられますよ。私感じるから」と若い看護師。

「先生、早く成仏するように伝えてくださいよ。今夜は2人ほど危ない患者さんもいらっしゃるのに」と別の看護師。思わず私は「そんなこといわれてもあの世の医者じゃないから」と答えた。

 そのとき遠隔モニターの心電計のひとつからピーピーとアラーム音が鳴り響く。

「あ、Mさんだ」

 アラームを切り、「316号の個室です。胃がん末期で酸素は5リッター流しています。主治医のN先生からご家族に急変する可能性の説明はされています」と若い看護師が告げる。すぐに腰を上げた私は聴診器とペンライトを持ち316号室へ駆けつけた。

 狭い病室へ入ると、何回かお話をしたことのある奥さんと娘さん、息子さんが身を寄せ合っている。患者のMさんは肩を大きく揺らし、枕元の酸素ボンベからはシューシュー音が鳴っている。私は呼吸音を聴診した後、「Mさん、つらいですね、でも心配ないですよ。今夜は私がいますよ」といいながら手を握った。Mさん
は私に気づき「うん、うん」とうなずいてくれた。

 深夜回診をして「今夜はまだ大丈夫だな」と多少の安堵感をもって、トイレで用を足そうと立ち止まったとき。一息ついた私は、背筋に“何か”を感じた。

「あ、まだ居られるんですね。大丈夫、大丈夫、よくがんばられましたね。心配ないです、心配ないです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」私は心で手を合わせ念じ続けた。

 結局Mさんは翌日亡くなられた。10日ほど経ってその病棟を訪ねると、看護師詰所から、“霊”を感じるといっていた若い看護師やY看護師たちの明るい笑い声が聞こえてきた。

「もう、みなさん退院されたんですね」と私がいうと「え? 誰の話ですか」と怪訝な顔をした。

 亡くなられた方に対してご冥福を祈ることも、医療現場では大切なことであり、また期待されているのだと思う。



体は死んでも、魂はなくならない。魂の故郷へ、帰るだけ(自殺はそう単純ではなさそうだけど・・)
そんなことを、少しでも理解してくださるこのようなお医者様が増えてくれば、心のケアも含めて、終末医療にも変化が訪れる予感がする。
また、そういうことが、どんどん公けに話されるようになれば、人の恐怖や不安につけこんで、ぼったくりをする偽宗教や偽霊能者の嘘も、わかってくるだろう。

 
スピリチュアリティ・カウンセリング(飯田史彦・著)

真に人を救うのは、
薬や奇跡やスピリチュアルな力ではなく、
愛情と希望である。

(本書・帯より)


国立大学教授という仕事を辞めてまでも、飯田史彦さんがスピリチュアル・ケア研究所「光の学校」を設立されたのも、このためなんだろうな。


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生きている不思議死んでゆく不思議

2010年03月12日 | 

このところ、台所仕事をしているときは、ほとんどエンドレスで、木村弓さんの「いつも何度でも」を聞いています。
この時期になると聞きたくなるのは、3月10日という母の命日を挟んでいたからでしょうか。

母がなくなる前、おひさまの光が降り注ぐ病室で、母の体から、肉体ではない体が離れてにっこり笑ってあいさつしてくれた・・・と、我が家の不思議人間のAが教えてくれたあの時間が、現実離れしたあの空間が、よみがえってきます。
何故だか、浮き上がった母の背後にピンク色のお花がいっぱい咲いていた・・という少女マンガのような展開に、不謹慎に思われるかもしれませんが、不思議なうれしさを覚えました。(詳しいいきさつはこちら

生きている間は、いろいろと葛藤もあった母との関係ですが、今は、一緒に共有できた時間へのいとおしさと、縁あって育ててくれた母への感謝の気持ちだけが残っています。

youtubeに、ウクライナのナターシャ・グジーさんという方の歌われている「いつも何度でも」を見つけました。
彼女は、チェルノブイリ原発事故現場から、わずか3.5キロの距離の村に住んでいて、6歳で被爆しました。父親は当時、原発職員で、事故後も放射能にまみれて処理に追われていたといいます。
彼女の村は、土に埋められ、地図から消えてしまいました。

彼女にとってもこの歌は、特別の意味があるのですね。この曲のテーマは「希望と再生」だから。
ご本人も美しい方ですが、その声も心に響く美しいものです。


  いつも何度でも -Nataliya Gudziy-




3月10日は、東京大空襲の日でもあります。
人間は、なんと残虐なこともできるのか、あの時死んでいったたくさんの人たち。それから生まれてきたたくさんの人たち。くりかえされる人間の営みは、愚かだったり、悲しかったり・・・それらもすべて「許し」という大きな愛で包んでくれるような気がして、大好きな曲です。

虹色の翼」のゆりあさんの記事に、「天使の着ぐるみ」という詩の紹介があり、とても共感できました。
肉体は魂の服。くりかえされる輪廻転生の中で、私たちはいろいろな経験をしながら、一歩ずつ成長してゆくのかもしれませんね。
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穏やかなお盆

2009年08月16日 | 

お盆の15日。
久しぶりに弟家族が、やってきた。
お墓参りの後、仏壇(無宗教の仏壇だけど、うちの場合はこれで問題なかったみたい)に手を合わせ、お墓の管理の話などしながら、お茶を飲んでいたら、亡き母が、父と弟の間(ちょっと隙間があいていた)にきてくれていたらしい。
(Aがあとから教えてくれた)
母が生きている間は、心おきなく話すことができなかった、わだかまりだらけだった私たち家族。
今は、なごやかに緩やかに時間が流れるようになった。
父が、某宗教団体をやめることができたので、弟も喜んでいた。
亡き母も、喜んでいたみたいだ。
父の認知症は、あいかわらずだけど、症状はそんなに進んでいない。宗教から離れて、わけのわからない義務感などから解放されたせいか、以前よりずっと穏やかになった。
そして、父の意識レベルが、上がっていた。

それにしても、ナントカホニャララ党なんて…信者もかわいそうだ。反対している信者の家族は、泣いているだろう。お金を散々むしられて、選挙に奉仕活動させられて・・・結局、誰も当選するはずがないのにね。
窮鼠の教祖。これも自民党同様、末期の症状なのかな。


トップの写真は、きょうのゴーヤちゃんと空。雲がもう、秋の感じでした。
みんなにありがとう。
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飯田史彦さんのコンサート

2009年07月19日 | 
行動半径が狭いのが自慢の私め(笑)、東京へのアクセスは、1時間半をきるくらいの地域に住んではいるものの、めったに上京いたしません。ところが先週火曜日に2年ぶりに、気の置けない友人たちに会うために上京したかと思いきや、ちょっとしたラッキーで、週末の文京シビックホールでの飯田史彦さんのコンサートチケットを1枚、ゲットしました。
結果、2年ぶりの快速電車に乗り、1週間に2度も上京するという緊急事態にもかかわらず、家族間のトラブルも、電車の乗り換えのトラブルもなく(子どもか・・)、2度とも楽しく、有意義な時間を過ごすことができました。
たまにはこういう時間もあっていいですよね。

飯田史彦さんの声、会場に響き渡る美声でした。声や音による癒しという時間でもあったのですよね。
前半は朗読劇、後半がコンサートという形式で、休憩時間10分を挟んで、3時間半くらいの長時間だったので、ずっと座っていて、ちょっと腰が痛くなりました(あれれ?汗)

ゲストの原田真二さんも、久しぶりに拝見できましたが、彼はゴアさんの映画、「不都合な真実」テーマ曲の日本語バージョンをうたっていて、この曲は私も好きな曲の一つですから、うれしいつながりです。デビュー当時はアイドル的な存在でしたが、現在は、平和や環境問題について、音楽でメッセージを送っている骨太のアーティストです。

このお二人でデュエットされた、ビートルズの「Let It Be」は、素晴らしくよかったです。
原田真二さんが、世界にラブ&ピースのメッセージを送られているのに対して、飯田史彦さんは、もっとパーソナルな仕事、つまり目の前にいらっしゃる緊急を要する困っている人々、死に直面された方、自殺の危機にある方を救済するのだとおっしゃってました。
お道化て、原田さんをジョン・レノン、ご自分をポール・マットニーにたとえてらっしゃいましたが(笑)、人それぞれ、この世に生まれた役割というものは、人の数だけあるのだと思います。
どんな役割でも、受け入れること。自分の人生の課題を逃げずに受け入れること。そんなことを感じました。
「Let It Be」とは、「あるがままに」という意味です。

Let It Be- Beatles lyrics

和訳はこちら
原田真二オフィシャルサイト

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私の猫に

2008年11月14日 | 
      


     遠い遠い きおく
     さむかった あのころ

     私は あなたのぬくもりに 
     つつまれて 眠りました
 
     私のねこ
     今日は 私があなたの寝顔をつつむ

     また であえたことを
     お互いの魂が 喜んでいるから

     泣きながら 命ををいただいた
     あの時の 痛みが

     数千年の時を へだててもなお
     ずっと 胸を 刺し続けているのに
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飯田研究所『あの世支部』スタッフ登録

2008年06月20日 | 
飯田史彦さんは、来年3月で長年勤められた福島大学の経営学教授職を辞職されるそうです。
それは、臨死体験時に正体不明の「まぶしい光」たちからいただいた、「誰の、いかなる悩みでも、飯田自身が、ゆっくり時間をとって、無料でカウンセリングを行う」という使命を実現するため、であるのだとか。
以下、青字は、飯田史彦さんのHPより。

 -------------------------

6月18日版

先日、お見舞いに行った末期ガンの患者さんと、次のような約束を交わしました。

********************

患者さん:「もう私の命は、わずかしかもちません。せっかく、来年に飯田先生の研究所ができたら、お掃除でも草取りでも水やりでも、何でもいいから少しでもお手伝いして、世のため人のためにお役に立とうと願っていたのに、間に合わなくて申し訳ありません・・・(涙)」

 私  :「それなら、間に合わないどころか、ぜんぜん問題ありませんよ。**さん(患者さんのお名前)さえ良ければ、ぜひとも、飯田研究所の、『あの世支部』のスタッフになってください」

患者さん:「えっ!? あの世支部??」

 私  :「ええ、この世にいる僕にはできない役割を、あの世の側から果たしてくださって、僕を助けていただける方々を、探しているんです」

患者さん:「私なんかに、できることがあるんですか?」

 私  :「もちろんですよ。自ら命を絶とうとして、あちらの世界へ行ってしまいそうになっている魂を見つけ出しては、まぶしい光の姿で『ちょっと待って!』と話しかけ、勇気を出して今生に戻ってくるよう、向こう側から説得していただきたいんです」

患者さん:「そうか、わかりました!・・・まだまだ長生きしたくてたまらないのに、病気で死んでいかないといけなかった私だからこそ、お話しできることがあるんですね」

 私  :「そうなんですよ、病気を通じて命の大切さを思い知ったあなたが語りかけるからこそ、説得力満点なんです。僕が言うよりも、あなたの方が、はるかに効果が大きいんですよ」

患者さん:「わかりました! 私、やります! ぜひぜひ、先生の研究所の『あの世支部』のスタッフとして、働かせてください!・・・私、これまで世のため人のために役に立てなかった分だけ、死んでから頑張りますので、ぜひ雇ってください!」

 私  :「おお、それは心強いですねぇ! こちらこそ、ぜひお願いします。僕の研究所は、この世の側と、あの世の側とで、素晴らしい協力体制を構築するように、『光』たちから指導いただいてるんです。そこで、こうして僕は、『あの世支部』の適任者を探し出しては、スカウトして回ってるところなんですよ」

患者さん:「ということは、私のほかにも、もう何人もスタッフが決まってるんですか?」

 私  :「ええ、生前に『生きがいメディカル・ネットワーク』に参加くださっていたお医者さんたちなど、すでに7名のスタッフがいらっしゃいますよ。中には、自らが自殺してしまって大いに反省なさったという、経験者の魂も名乗りを上げてくださっています。本当に、ありがたいことです・・・でも、まだまだ足りません。あと何十人、いや、何百人いてもいいくらいです(笑)」

患者さん:「ええっ?、お医者さんだった御方の魂もおいでなんですか?・・・私なんか、ただの主婦にすぎないし、頭も悪いので、お医者さんの魂とご一緒に仕事するなんて、おそれ多くてとてもできません・・・」

 私  :「大丈夫ですよ(笑)、あちらの世界では、こちらの世界にいた時の学歴も仕事も関係なく、みんな平等になりますからね。それに、死んで体から離れたら、もう脳も持たないわけですから、『頭が悪い』なんて表現自体が成立しないじゃないですか」

患者さん:「あ、それもそうですね(笑)・・・それじゃ、こんな私でも、飯田先生のお役に立つことができるんですね?」

 私  :「僕の役に立つというよりも、世のため人のために、**さんの今生でのご経験とその使命感が、かけがえのない大きな価値を発揮するんですよ。ちなみに、あの世支部の支部長は、強力なリーダーシップで燃えに燃えてくださること間違いなしの、伊藤英樹さん、通称『車椅子父さん』が引き受けてくださるそうなので、どうぞご安心ください」

患者さん:「まぁ、なんて素敵な支部長さんなんでしょう!・・・私、やります、ぜひともやらせてください! お給料は要りませんから!」

 私  :「おっ、タダ働きしてくださるとは、助かりますねぇ!・・・まぁ、あの世では、誰もが決して、食うに困ることはありませんからね(笑)」

患者さん:「先生どうしましょう、もう私、死んでからのことが楽しみで楽しみで、ワクワクして眠れません!!」

********************

 ・・・というわけで、来年4月に発足する私の研究所の、通称「あの世支部」のスタッフとして、超強力なメンバーが、着々と名乗りを上げてくださっているところです。本当に、心強いですよね!(なにしろ、皆さん、「あちらの世界では使い道が無いから、給料は要りません」とおっしゃるので、メチャクチャ助かります・・・)


もう、はじまっているのですね。


 参考サイト
車椅子父さんのblogページ・・・2007年7月に亡くなられた「車椅子父さん」ことがつうさんを偲ぶサイトです。
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日本人の宗教観

2008年05月31日 | 
宗教「信じない」7割、「魂は生まれ変わる」3割…読売調査(読売新聞) - goo ニュース
2008年5月29日(木)23:41
 読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。
 ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。
 多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する 敬虔 ( けいけん ) さを大切に考える傾向が強いようだ。
 調査は「宗教観」をテーマに面接方式で実施した。
 死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多く、「別の世界に行く」24%、「消滅する」18%--がこれに続いた。


思った通りといいますか、概ねこういうことだろうなと常々感じていました。
この調査で日本人は、宗教を信じない(72%)といいながら、先祖を敬ったり(94%)、自然の中に人智を超えたものを感じたり(56%)といった傾向があることがわかりました。
私は、宗教が嫌いではなくて、宗教団体が苦手です。信仰は個人の心の中だけの問題で、誰かに指図されたり、心を縛られたりするものではないと思っているからなんですけど。
多分、調査に参加した方たちも、そういう面で、むやみに神も仏も信じるものかと言っているわけではなくて、おそらく宗教団体の強引な勧誘の仕方や、オウムのサリン事件や霊感商法など、反社会的な活動に疑問を感じて、(そういうものを信じるくらいなら)信じないと言っている人もいらっしゃるのではないかと思います。でなければ、初詣もお墓参りも七五三も、とっくに廃れてしまってるでしょうからね。
まあ、ガッツリ信じている人たちが、神の名のもとに死をも恐れず戦争などしたりするのだから、こういうゆるやかさは、日本人の特性として、悪くはないと思います。



天外伺朗さんの『未来を開く「あの世」の科学』という本に、21世紀の宗教の条件という見出して、次のようなことが書かれています。
なるほどーと思いましたので、ご紹介しますね。
もし、既存の宗教家といわれる人たちが、日本人の無宗教を嘆くとするならば、天外さんの提案を、受け入れられる覚悟があるのかどうかお尋ねしてみたいものです。(以下枠線内青字)

  --------------
 
 ① 排他的でない
 ② 信者に一切の「強迫観念」を強いない
 ③ 入会、退会が自由で気軽
 ④ 信者からの会費、寄付金、お布施の類は
   必要最小限にとどめる
 ⑤ 先任者による巨大な組織や、豪勢な施設を作らない
 ⑥ 現存の人物、ないしは歴史上の人物を絶対視しない
 ⑦ 言語や論理による記述の限界を知る
 ⑧ 教義や修行法を常に公開する(秘密の修行法を作らない)
   教義や修行法を固定化せず、改善の努力を怠らない
 ⑨ 各自が内側に向かい、自分自身で宇宙の真理を
   発見することを奨励する。
 ⑩ 信者と教団や指導者の間に「すがる=すがらせる」という
   心理的な関係を成立させない。
 ⑪ 現世利益を最終目的にしない。
   また、教団の信者のみが救われるとは説かない。
   (教団エゴからの脱皮)
 ⑫ 科学との融合により、各自が発見した宇宙の真理を
   つねに謙虚に検証する。


  --------------

ところで、私の母はとてもこわがりだったので、Aが見たこと言ってること(既に亡くなっている人からのメッセージなど)を受け入れることができずに、元気なころは、「そんなことは信じない、死んだらすべて無になる」っていつも言っていました。もちろん、変な宗教団体に入っている父へのあてつけもあったでしょう・・・。とはいえ、病気の最期には、Aの言っていることを全部受け入れてくれましたが。
おかげで?亡くなった後Aを通して、何度もメッセージを送ってきてくれます。(笑)
母を通してわかったことは、自分が理解してあの世に旅立つなら、無宗教でも問題なく成仏できるってことです。(だからといって、自殺は絶対だめですが。)

★関連記事 
 同行二人
 「魂のふるさと」ってあると思う
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その人と家族であるのは、理由があるのだ

2008年05月15日 | 

 飯田史彦さんの『生きがいの言葉』より

 誰にでも共通するもっとも基本的な使命をひとつだけあげるなら、
 私は迷わず、 「家族を大切にする」ことと、
 お答えすることにしています。
 それこそが、多くの人々が一番手っ取り早く幸せになる方法だからです。

      

 それでも「家族を大切にしなければならない理由はなんですか」
 と問われれば、
 「では、どうしてあなたは、その人たちとご家族になっていらっしゃるのですか」
 と問い返します。
 あなたが、その理由を思いつくことができるかどうかに関わらず、
 まず理由が存在するからこそ、あなたがたは家族になっているのです。


  ---------------

自分と自分の家族や、縁あって出あった人たちの過去世を知ることでわかったのですが、今生はじめて出逢った人が家族になるということは、私の知っている限りではありませんでした。
今生の夫婦、親子、兄弟、身近な血縁関係にある人たちは、何かしら過去の人生においても、関わったことのある人たちであるということのようです。
今度の人生で、また出会い家族として関係を作るということは、いわゆるソウルメイトであるということだと思います。

もちろん、過去世のことなんか、わからなくても信じなくても、「家族を大切にする」ということは、普遍的なメッセージではあります。
だけど、家族が愛すべき存在という幸福な人々はそれでいいにしても、残念ながら、家族であるがゆえに、逃げられない、許せないというような難しい人間関係もあるのですよね。なんといっても家族は、生まれた時から、否応なく自分の人生に関わってくるわけですから。
私自身も、今にして思えば父親の脳の病気のせいだったのだと思うのだけど、父親に対して心を開けず不自然で他人行儀で違和感のある関係でした。

幸いなことに、私は、家族の過去世を知ることで、今の家族への怒りを捨てることができたのだけれど(詳しくは、こちらの記事)、多くの人々は、そんなことはわからないものなのですから。
しかし、飯田史彦さんが言われたように、その理由を思いつくことができるかどうかに関わらず、 まず理由が存在するからこそ、あなたがたは家族になっているのです。ということなのでしょうね。

人生が苦難などを乗り越えて魂を修行させる場であるということだけでも理解できると、次々と起こる試練も、生まれる前に自分が自分に課した練習問題なんだと、前向きにとらえることができます。
過去世で失敗した経験もやり残したことも、今生はきっとクリアしようね、と約束して生まれてきたもの同士、それが家族というソウルメイトです。
すれば、家族だからこそ、甘えが出て傷つけあったりすることがあっても、家族だからこそ許しあうこともきっとできる。それこそが、家族になる理由であるのだと、私は思います。
一番身近で大切な魂、それが家族です。家族へのいたわり、思いやり、感謝の気持ちを忘れてはいけませんよね。

まあ、今でこそ偉そうに書いてはいますが、私自身、かつてはよくぶちぎれて、物に当たったり、真昼間っからやけ酒あおり?(ビール、グラス3cm・・・なんせ、すぐ酔っ払うもんで・汗)なんてこともよくありました。このごろは、そのあたりの怒りが消えてしまったのがありがたいです。(たまには怒りますが、怒ってもすぐ、すぐ我に返りますから。)
これもやっぱり、家族と猫のおかげかな。((*´ω`*))


【追記】

家族を大切にするということに対して、誤解があったらいけないので、付け加えますね。それは家族のためにすべてを犠牲にするという意味ではありません。
この世に生まれて来る前にもってきた約束は、家族の数だけ人の数だけあるのであり、それは人智のはかり知れないことです。ですから、もし何かの理由で離婚したり、離婚したいのに我慢していたりということであったとしても、それはどちらも自分の魂を成長させるための糧となるもの・・・ですから、「離婚してもよし、しなくてもよし、どちらであっても順調な人生を送っているのです」、ということを飯田史彦さんもおっしゃっています。
ただどんな場合においても、深いご縁のある人たちへのいたわり、思いやり、感謝の気持ちは忘れないでいたいと、私は自分に言い聞かせています。
まだまだで、 の歩みの私です。
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ロッコソルシエ遺跡の動物たち

2008年04月28日 | 
私が小学校の1~2年生のころ、読んだ本の中に「白いぞうのでんせつ」という、民話がありました。
挿絵の雰囲気から、中央アジアあたりの砂漠地帯、女性がスカーフをかぶっていたので、イスラム圏のお話だと思います。

ざっとあらすじを言いますと・・・

 -------------

ある国に戦争がおこり、侵略者に国を追われ、人々は着の身着のまま逃げ出しました。(今でいう戦争難民です。)
長い逃避行にみな疲れ果て、食べ物もすでに底をついてしまっていたとき・・・
砂漠の向こうから、大きな白い象が、こちらに向かってやってきました。

象はいいました。
「みなさん、どうしたのですか」
人々は答えました。
「戦争がおこり、逃げてきましたが、もう食べるものもなくなり、私達は困っています」
すると象は、彼らに教えてくれました。
「この先をずっと行くと、がけがあります。がけの下には、水もあり、食べ物もありますよ」と。
彼らはその言葉に勇気を得て、がけの下まで行って見ると・・・

先ほどの巨象が、がけの上から落ちて死んでいました。
象が言った食べ物とは、自分自身のことでした。

逃げてきた人々は、そのがけの下に暮らすことを決め、そこに町を作り、白い象のことを忘れないように、銅像を建て、朝に夕に象に感謝しながら暮らしたということです。


-------------

私はこのお話が、子供心にも悲しいお話なのになぜか好きで、何度も繰り返して読みました。もう本はなくしてしまいましたが、白い象のさし絵が今でも頭の中に焼きついています。

どうしてこんなことを書いたかといいますと・・・


(写真・時事通信)

今、出ている科学雑誌「ニュートン」で、フランス南西部で発見された「ロッコソルシエ遺跡」に、クロマニヨン人の作った動物のレリーフが刻まれていたという話を読んだからです。
約1万5000年前の旧石器時代後期の芸術ともいえる、リアルな動物たちのレリーフを見たとき、なぜかお話の中の白い象の絵とかぶってしまったのです。

当時、まだ人々は、大自然の中で人間が万物の霊長だなどという考えもなく、みな等しく生き物として、生きていたんじゃないかと想像します。
以下は、私の妄想ととってくださってけっこうですが・・・


(写真・「動物の恋人」様より)

野生動物たちは、当時の人々(クロマニヨン人)にとって食べることはあるにしても、生き物として対等の存在であった。
厳しい氷河期の末期だというこの時代に、食べ物を得ることは、どんなに大変だったか。
あるとき、彼らは動物の親子を捕まえ、親を食べ、子どもは大きくして食べようと育てることにした。
まだ家畜という概念もなかったころの話。しかし、彼らにとっては、命をいただくという行為は、自分たちが育て共に暮らした動物に対して、ありがたいけれど、悲しく、せつないことであった・・・。
作者は、命をいただいた動物たちのことを忘れずいたいという、感謝と祈りをこめてこのレリーフを作っていたように思えてならず、胸がいっぱいになってしまいました。

このビジョンは、私の脳内の妄想であったとしても。しかし、このレリーフのさらに大きな写真を「ニュートン」で見たとき、魂の奥底に埋まっていた記憶が目覚めたかのように、当時の人々の気持ちが呼び起こされて、なぜだか胸が締め付けられたように切ない気持ちになってしまったのは、私にとっての真実なんです。

アニマルコミュニケーション(虹色オリハルコン)
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桜の涙

2008年04月02日 | 

桜を見るとただうれしいだけの頃もありましたが、少しだけ長く生きてくると、桜に寄せる思いもちょっと複雑になってきます。
1年に一度、区切りのように華やかに咲いて散る花に、多分、人の生死を重ねてしまうからでしょう。
病院の窓辺に桜の花が見えるのにあの人の病室からは見えないんだよとか・・・もう少しだったのに最期の桜の季節に間に合わずにいってしまった人とか・・・あの時、たった一度だけいっしょに桜を見た人とか・・・先に旅立っていった人たちの顔が何人も浮かんでくるのです。
もう20年も前、「死のうと思った」と、修羅から逃げてきた人と大きな公園へ桜を見に行きました。花びらが地面の上でくるくると風に舞い、きれいだった。持ってきたお弁当に花びらが落ちてきて、荒らぶる心が、静まってゆくのを感じました。

先日、せつない別れの話を知りました。

知り合いの甥っ子さんの話です。20代の彼は、某地方都市で営業の仕事をしていました。大企業には、好景気というけれど、地方にはまったく実感のわかない現実、ノルマに追われて休みもなく働いて。
実家は田舎にありました。今年のお正月に帰ってきたとき、あまりに顔色が悪いので、母親は「お医者さんに行きなさい」と、何度も言ったそうです。
息子は、「大丈夫だよ」と言い残し、戻っていきました。
3月。彼はひとりで、自室で亡くなっていました。
桜の花びらがあっけなく落ちるように。

残されたお母さんの気持ちを考えると、かけるべき言葉もみつかりません。
この話をしてくれた知り合いは、たまたま飯田史彦さんの本を読んでいる最中でした。もう少し落ち着いたら、母親の家に飯田史彦さんの本を置いてくると言っていました。
今「たまたま」と書きましたが、これは偶然ではないのかもしれませんね。

【追記】
 若い皆さんへ
  つらかったら、その場所から離れてください。
  親より先に死んでは絶対にだめです。


★トップの桜は、「SozaiRoom.com」さんよりお借りしました。
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猫ちゃんの不思議な能力

2007年08月06日 | 
私は、人は死んだらすべてがおしまいなのではなくて、体は死んでしまっても魂は存在し続けるのだと知っております。
ゆえにこのオスカー君という猫の話は、大変興味深いものです。

【こぼれ話】「死の天使」?=患者の死を予知する猫、オスカー君-米(時事通信) - goo ニュース

【ニューヨーク26日AFP=時事】米ロードアイランド州プロビデンスの養護・リハビリセンターで飼われている2歳の一見、無邪気そうな猫のオスカー君は、医師や職員から「死の使い」と呼ばれている。オスカー君に「予知」されると、その患者は近いうちに必ず死亡するからだ。(写真は、「死の天使」?オスカー君)
オスカー君は同センターの認知症看護のスタッフによって飼われているが、次に死亡する患者を予知するという。同センターの老人病専門医デービッド・ドーザ氏が「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メデシン」誌で明らかにしたところによると、オスカー君は定期的に患者を「回診」する。その際、患者をのぞき込んで少し鼻をひくひくさせてにおいをかぎ、そのまま通り過ぎるか、またはその患者のそばで体を丸めて横になる。
オスカー君が体を丸めて横になった患者は必ず亡くなるため、職員は直ちに家族の呼び寄せや牧師の手配を開始するという。ドーザ氏は、3階でオスカー君がとどまらなかった患者で死んだ者はいないと書いている。そのために医師や職員がオスカー君に付けた別名は「死の天使」。ドーザ氏はこのようにして、これまでに25人以上の患者を見送った。
ドーザ氏は、オスカー君にどうしてこのような予知能力があるのかは説明していないが、患者にはまだこのことは知られていないとしている。〔AFP=時事〕


以前当ブログで、母が亡くなる数日前に、眠っている体から、別の体(幽体?)が、すうっと浮いてにこにこしながら、こちらに手を振った、というお話を書いたことがあります。といっても、私は霊能者ではないので、自分で確認できたわけではないのですが、家族にそういう能力のあるものがおりますので、その様子をリアルタイムでつぶさに、聞き知ることができたのです。
これは、不思議な体験でした。体は重態であるのに、浮いている姿は、本当に元気そうで、にこにこしていて、しかもなぜか後ろが ピンク色 のお花に囲まれていたそうです。なんだか、少女マンガみたいでしょう。
恐怖とかそういう気持ちは一切ありませんでした。むしろ、それまでの張り詰めた状況が一変、ただただうれしくて、声をあげて笑いそうになってしまいました。
病室には、看護師さんたちが時折、沈痛な面持ちで入ってきます。この状況で笑い声を上げたら、大変不謹慎なのはわかっておりますが、家族Aも母につられて笑っているし、私も笑い顔になってしまいました。

ですから、このオスカー君は、人の魂がみえる猫ちゃんなんだろうなと思ったわけです。

なお、別のニュース番組では、終末医療にオスカー君が持っているような動物たちの力が役立つのではないかと言っていました。
「肉体の命は終わっても、魂は元のふるさとに帰るだけ、決して終わりではないのですよ」と、死に向かう人たちにはっきり言うことができたら、みな、今よりどれだけ安らかな気持ちになれるでしょうか。

参考記事 「魂のふるさと」ってあると思う(虹色オリハルコン)
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気高い人の魂

2007年07月25日 | 
我が家の不思議人間Aの見た話です。

うちの近所の小学校には、養護学級があるんです。
学校帰り、そのクラスに通っている女の子だと思いますが、口からよだれを出して歩いていた。
それを口さがないほかの子達が、「汚いなあ」とかなんとか、はやしたてながら歩いていたんですって。
でも、その女の子、泣くでもなく怒るでもなく、ただにこにこと笑いながら歩いている。それがとても自然体で素敵だったんですって。
そして、見送った彼女の後、すごく輝いていて(Aは、時々普通の人が見えないものが見えるんですよ)、穏やかで優しい光に包まれていたそうです。

その時、Aは思ったそうです。気高い魂をもった人は、こうしてわざわざハンディキャップを自分に課して生まれてくるのだなあと。
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魂の記憶

2007年06月14日 | 
猫嫌いの人の話の中で、最初は大嫌いだったのに、飼ってみたらかわいくなった、かわいさがわかるようになったということは、よく聞きます。
しかし、その人は、どうしても猫が苦手でした。
なぜか身近にいつも猫がいるのに、どうしても好きになれなかったのです。
夜光る目が怖いとか、いろいろ言い訳を考えるのですが、本当は理由もわからず、猫が自分をいつもにらんでいるような気持ちになるのだといっていました。

たまたまその人の過去世のひとつを知ることができたのですが、江戸時代貧しい暮らしをしていたその人は、結婚した相手が行商でしばらく家を開ける仕事をしていたようです。
夫が稼ぎを持って帰ってくるまでのその間、彼女は生活のために、猫を殺して皮を三味線屋に売っていたようです。猫の体に傷をつけてはいけないので、毒入りのえさをまいて殺していた・・・。
生活のためとはいえ、彼女はやがてそのような行為に自分自身嫌気がさして、あるとき急にその仕事をやめました。
しかし、そのカルマは、今生に持ち越し、理由もわからず猫におそれを抱くようになったのでしょう。

この話を聞いたとき私は、「殺す」という行為は、たとえその時点で罰せられなくても、自分自身の魂に大きな傷をつくり自分自身を来世まで苦しめることなのだと思いました。仏教で「殺生」を禁じている理由も、改めてわかったような気もします。

これは、飯田史彦さんの言葉を借りれば、自分自身が過去世を反省して今生に自分で作った設定ということになります。
だって、その人は猫嫌いなんだから猫のいない環境に住めばいいものを、なぜだかいつも猫がそばにいる状況に置かれてしまうのですからね。
どこかで自分に負荷をかけることを、あえて選択した今生なのかもしれません。



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イルカさんの夫、神部さんとの一期一会

2007年05月18日 | 
私は若いころの数年間、東京の某こじんまり音楽事務所で働いていたことがあります。
今と違って、ファクシミリがまだ一般的でなくて、もちろんバイク便なんてものもなく、入社して最初のお仕事は、雑用係としてあちこちにお使いに行っては、書類や資料などのお届け物を届けることでした。
ほとんど「子供の使い」といっても、過言ではないっす(笑)

当時から東京の地下鉄網は、素晴らしかったのでたいてい地下鉄に乗って各社に行きました。上の人が、「ではうちの女の子に届けさせますから」と電話していると出番です。今なら、「女の子」なんて馬鹿にした言い方で、ちゃんと名前で呼んでください、とか一言あるんでしょうが、当時の私は、向上心も何もない文字通りのただの小娘で、別段なんとも思わずに、ちゃらちゃらと生きておりましたゆえ。(ああ、今となっては恥ずかしい。ほんと頭、悪かった私。)←追記:こう書くと今はよほど賢いといいたいのかと思われるかもしれませんが、少しは大人になったけど、基本たいして変わらんとです。

それで、たまたま「イルカオフィス」という、当時「なごり雪」という大ヒット曲のあとで、まさにニューミュージックの代表だったイルカさんの事務所にも、何か届けるという大役をいただきました。何を届けたのか、とんと思い出せませんが。
もしかしたら、イルカさんの顔でも見られるかもしれない、なんてちょっと浮ついた足取りで行ったんじゃないかと思います。
お訪ねしたら、当然のように、イルカさんはいらっしゃらなかったのですが、事務の方とご主人で社長である神部さんが、二人で出迎えてくださいました。
いつものパターンなら、お届けして、では失礼しました、と帰って来るのですが、帰ろうとしたら、なんとこの時、神部さんが「ご苦労様、お茶でも飲んでいらっしゃい」といって椅子を出してくれて、お茶まで入れてくださったんです。
お使いごときの私めに。びっくりしちゃいました、今までどこに行ってもそんなおもてなしを受けたことがなかったので・・。うれしかったですよ。
昔のことで何を話したのかすら、覚えていませんが、イルカさんが描いたイラスト入りのノートと便箋までお土産にいただいて帰ってきました。

お茶の世界では、一期一会という言葉がありますよね。今回、イルカさんの亡き夫、神部和夫さんを送る会のニュースを知ったとき、まさに、ん十年を隔てて今、あのときいただいたお茶が、神部さんとの一期一会だったのだと、しみじみと思い出されます。
神部さん、その節は、私のようなものにまでご配慮くださって本当にありがとうございました。イルカさん同様に、神部さんも優しくて穏やかな方だったのだとお人柄を偲んでおります。

イルカさんは、魂のことをとてもよくわかっていらっしゃる方のようです。
記事にはこんな風にかかれていました。


最後にイルカは「病気というのは不幸なことだけど、おかげで家族がひとつになりました。たくさん修行をさせてくれました。これから頑張らなきゃ」と話し「お父さんも新しい自分の修行を頑張ってください」と亡き夫・神部さんへメッセージを送った。

きっと、神部さんも「わかったよ」と笑っておっしゃってることでしょうね。

★故・神部和夫さんを送る会の様子


 ジュゴンのことも忘れないでね
★辺野古からの緊急情報 http://henoko.jp/info/
ジュゴンを守るための緊急アセスを!←こちらで署名協力できます。
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