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わだつみの遺書、削除された部分

2014年05月08日 | 憲法改悪、集団的自衛権反対
少し前になりますが、4月29日の東京新聞が印象に残ったので。
この日の東京新聞、一面トップで戦没学徒の遺書や遺稿を集めた「きけわだつみのこえ」に載せられた木村久夫さんの遺書にもう一通別の遺書があったこと、恩師によって2通の遺書が編集され、また削除された部分があったことがわかったと、この日の東京新聞は、遺書全文を含めて、かなりの紙面をさいて報じていました。




新たに見つかった遺書の末尾には、「処刑半時間前擱筆す」とあった。
刑場に連れ出される直前までつづったことが分かる。(画像:東京新聞)


 「わだつみ」に別の遺書 恩師編集、今の形に

戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(一九一八~四六年)の遺書が、もう一通存在することが本紙の調べで分かった。「わだつみ」ではすべて獄中で愛読した哲学書の余白に書かれたものとされていたが、実際は二つの遺書を合わせて編集してあり、辞世の歌も今回見つかった遺書にあった。


 「もう一通の遺書」は手製の原稿用紙十一枚に書かれており、遺族が保管していた。父親宛てで、末尾に「処刑半時間前擱筆(かくひつ)す(筆を置く)」とあった。
 この遺書で木村は、先立つ不孝をわび、故郷や旧制高校時代を過ごした高知の思い出を語るとともに、死刑を宣告されてから哲学者で京都帝国大(現京都大)教授だった田辺元の「哲学通論」を手にし、感激して読んだことをつづった。また、戦後の日本に自分がいない無念さを吐露。最後に別れの挨拶(あいさつ)をし、辞世の歌二首を残した。
 木村の遺書は、旧制高知高校時代の恩師・塩尻公明(一九〇一~六九年)が四八年に「新潮」誌に発表した「或(あ)る遺書について」で抜粋が紹介され、初めて公になった。「凡(すべ)てこの(「哲学通論」の)書きこみの中から引いてきた」とされ、「わだつみ」でも同様に記されたが、いずれも二つの遺書を編集したものだった。
 「わだつみ」の後半四分の一は父宛ての遺書の内容だった。二つの遺書を精査したところ、「哲学通論」の遺書で陸軍を批判した箇所などが削除されたり、いずれの遺書にもない言葉が加筆されたりしていたことも分かった。「辞世」の歌二首のうち最後の一首も違うものになっていた。
 大阪府吹田市出身の木村は京都帝大に入学後、召集され、陸軍上等兵としてインド洋・カーニコバル島に駐屯。民政部に配属され通訳などをしていたが、スパイ容疑で住民を取り調べた際、拷問して死なせたとして、B級戦犯に問われた。取り調べは軍の参謀らの命令に従ったもので、木村は無実を訴えたが、シンガポールの戦犯裁判で死刑とされ、四六年五月、執行された。二十八歳だった。
 木村は判決後、シンガポール・チャンギ刑務所の獄中で同じく戦犯に問われた元上官から「哲学通論」を入手。三たび熟読するとともに、余白に遺書を書きつづった。執行間際には今回見つかった遺書を書き、両方が戦友の手で遺族のもとに届けられたとみられる。


◆衝撃、改訂を検討したい

 日本戦没学生記念会(わだつみ会)の高橋武智理事長の話 もう一つ遺書があったことは初めて知った。「きけ わだつみのこえ」の編集上、頼りにしていた塩尻公明の「或る遺書について」とも違いがあると知り、二重に衝撃を受けている。今後、遺書が公になれば、ご遺族の意見も伺いながら改訂を検討したい。
 <「きけ わだつみのこえ」> 東京大協同組合出版部が1947(昭和22)年に出版した「はるかなる山河に-東大戦没学生の手記」を全国の学徒に広げ、49年に刊行された。82年に岩波文庫に入り、改訂を加えた95年の新版は現在もロングセラーを続けている。74人の遺書・遺稿を収録。木村久夫の遺書は、特別に重要なものだとして「本文のあと」に掲載されている。

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東京新聞では、この木村氏の遺書全文が掲載されていましたが、特に、軍部(特に陸軍)、をかなり痛烈に激しく批判した部分が削除されていたことが興味深いものです。木村氏の遺書を編集したのは、彼自身が深く信頼を寄せていた恩師の手によるものなので、記事にも書かれていましたが、いわゆる戦争のプロパガンダのためではなく、終戦間もなかったことで諸事情、配慮しての善意の削除であったのだろうということです。

木村氏は、当時は、京都帝大生、「通訳」という仕事を命じられ、エリートとして普通の兵士よりも見聞きする部分が多かったので、よけいに軍部のことが許せなかったのかなあとこの文章を読みながら思いました。処刑直前まで、遺書を書き続けていたのだから、どれほど無念の思いがあったことか…。
「八重の桜」の会津藩士たちではないけれど、もし彼が生きていたら、戦後の日本にどれだけ役に立つ人材であったことでしょうか。

連合国の看守とも、英語で話していたのでしょう。日本の当時の軍事体制の不合理を指摘され、「真赤な不合理が平然と横行するまま許して来たのは、何と言ってもわれわれの赤面せざるべからざるところである。」と陸軍の不合理(横暴)を許した自分たちを恥ずかしいことと表現しています。




学生時代の木村久夫氏(画像:東京新聞)



以下、東京新聞より、遺書の削除された部分をご紹介します。


東京新聞(2012・4・29)クリックで拡大


軍人正直に反省せよ

「哲学通論」への書き込みのうち、「きけ わだつみのこえ」で削除された主な個所は以下の通り。

 日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちの予測していた通り、やはり国を亡ぼしたやつであり、すべての虚飾を取り去れば、我欲そのもののほかは何ものでもなかった。(25ページ)

 大東亜戦争以前の陸海軍人の態度を見ても容易に想像されるところであった。陸軍軍人はあまりに俗世に乗り出しすぎた。彼らの常々の広言にもかかわらず、彼らは最も賤しい世俗の権化となっていたのである。それが終戦後、明瞭に現われてきた。生、物に吸着したのは陸軍軍人であった。(27ページ)

 (連合国の看守から)全く不合理と思えることが、日本では平然と何の反省もなく行われているを幾多指摘されるのは、全く日本に取って不名誉なことである。彼らがわれわれより進んでいるとは決して言わないが、真赤な不合理が平然と横行するまま許して来たのは、何と言ってもわれわれの赤面せざるべからざるところである。
 単なる撲る(なぐる)ということからだけでも、われわれ日本人の文化的水準が低いとせざるべからざる諸々の面が思い出され、また指摘されるのである。 
 ことに軍人社会、およびその行動が、その表向きの大言壮語にかかわらず、本髄は古い中世的なものそのものにほかならなかったことは、反省し全国民に平身低頭、謝罪せねばならぬところである。
(59,61ページ)

 この(見るに堪えない)軍人を代表するものとして東条(英機)前首相がある。さらに彼の終戦において自殺(未遂)はなんたることか、無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。(101ページ)

 彼らの言う自由主義とはすなわち「彼らに都合のよい思惑には不都合なる思想」という意味以外のは何もないのである。またそれ以上のことは何も解らないのである。(107ページ)

 軍人が今日までなしてきた栄誉栄華は誰のお陰だったのであるか、すべて国民の犠牲のもとになされたにすぎないのである。労働者、出征家族の家には何も食物はなくても、何々隊長と言われるようなお家には肉でも、魚でも、菓子でも、いくらでもあったのである。――以下は語るまい涙が出てくるばかりである。(109,111ページ)

 天皇崇拝の熱の最もあつかったのは軍人さんだそうである。(略)いわゆる「天皇の命」と彼らの言うのはすなわち「軍閥」の命と言うのと実質的に何ら変わらなかったのである。ただこの命に従わざる者を罰するときにのみ、天皇の権力と言うものが用いられたのである。
 もしこれを聞いて怒る軍人があるとするならば、終戦の前と後における彼らの態度を正直に反省せよ。
(113,115ページ)

 高位高官の人々もその官位を取り去られた今日においては、少しでも快楽を少しでも多量に享受せんと、見栄も外聞も考慮できない現実をまざまざ見せつけられた今時においては、全く取り返しのつかない皮肉さを痛感するのである。
 精神的であり、また、たるべきと高唱してきた人々のいかにその人格の賤しきことを、我、日本のために暗涙禁ず能(あた)わず。
(125,127ページ)

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戦争は人間を使い捨てにする。人間の心を壊し命を奪う。

戦後、日本人が日本国憲法のもとで培ってきた平和と民主主義こそが「戦後レジーム」であって、それらから脱却させるなんて、時代錯誤もいい加減にして欲しいです。
また、日本人を悲惨な戦争に巻き込んだA級戦犯を合祀した靖国神社を政治家が詣でることは、侵略された国の国民だけでなく、犠牲になった日本人にも、傷口に塩を塗られるような悲痛の思いがあることすら慮る能力がない人は、人の思いを汲み取る政治家としての能力もないのだと思います。
後々、戦前の日本に戻るような国にして、「あの時のことは赤面せずにいることなど出来ない」などと・・・反省しても遅いのだから、無関心を決め込まず、国民誰しも、心すべきでしょう。

この時期、突然に表に出てきた、木村氏のもう1通の遺書に意味があるとするなら、彼の思いを私たちが我が事として真剣に受け止め、過ちを繰り返すなということなのだと思います。

---続く

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