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安保法成立から2年「主張する自由失うな」by山田洋次

2017年09月19日 | 憲法改悪、集団的自衛権反対
2015年9月19日、戦後70年平和を守り、日本は戦争をしない国だと、子供の頃から信頼していたものが、安倍政権によって壊された日。
あの日から、2年たった。
今も引き続き、絶望感に支配されているような危うい政権がこの国の舵を取っている。
恐怖を煽り、さらに暗黒フォースへと導かれるような時代の空気。与野党含めて、保守化した政治家が我が物顔で跋扈するような国になってほしくない。なっているが・・

東京新聞1面トップの映画監督山田洋次氏のインタビューをご紹介します。
山田洋次さんのような戦中戦後を体験した世代は、憲法発布は過去の歴史のひとつではなく、リアルタイムで経験した大きな衝撃だったのだ。




主張する自由 失うな 映画監督・山田洋次さん
東京新聞2017年9月19日

 他国を武力で守ることを可能にし、日本を「戦える国」に変質させる安全保障関連法が成立して十九日で二年。この間、犯罪を計画段階で処罰し、内心の自由を侵す恐れがあるとして、「現代の治安維持法」とも指摘される「共謀罪」法が成立した。不戦を掲げた憲法九条を変えようとする動きも進む。映画監督の山田洋次さん(86)が、いま「言わねばならないこと」を語った。

 民主主義の国の政府が国民の批判を誠実に受け入れる姿勢を持たねばならないことは当然のこと、むしろ喜んで耳を傾けるべきなのに、今の日本のジャーナリズム、マスコミ、あるいは国民の間にそのことについて一種の敗北感というか、表現の自由を自主規制するような萎縮した風潮があるようです。この不幸な傾向は、今年、僕たちの前に立ち現れた恐ろしい法律と関係があると思わないわけにはいきません。

 日本人はいま元気がない。古い表現ならファイトがない。特に若者、学生層に深い虚無感が漂っている。自由に考えること、自由に発言し、何でも主張できる伸びやかさ、明るさを失うことによって、僕たち国民は活力と想像力を失いつつある愚かしさに、この国は気づく必要がありはしないか。

 僕が大学を卒業した頃、戦後のごった返しのカオス(混沌(こんとん))のような混乱期のなか、個性的な文化人が輩出して豊かな文化が次々と生まれて、今日の日本の基礎がつくられた。あの伸びやかな民主主義の揺籃(ようらん)時代のことをいま懐かしく思うのです。

 憲法が誕生した時のことはよく覚えている。空襲の跡が生々しく残っている地方都市での物資不足の日々。旧満州(中国東北部)からの引き揚げ者だった僕は食べるものがない。芋(いも)を食べられればいい方で、芋のツルを煮て食べたり、着るものも履く靴もないから、すり減った下駄(げた)で中学に通っていた。そんな状況で新憲法を読んだわけです。


 ■戦争をしない国

 衝撃的でした。軍国少年だった僕はこの国が軍隊を持たない、戦争をしない国になるというのは、言葉にはならないくらいの驚きだった。日本は変わるんだ、新しい国になるんだという興奮をあの頃の市民は誰もが戸惑いながら覚えたものです。社会の授業で痩せっぽちの若い先生が唾を飛ばしながら、憲法について語った姿を僕はまざまざと覚えています。

 民主主義や三権分立について懸命に勉強していた中学生の僕は、あれから七十年後、テレビで国会中継が始まると、憂鬱(ゆううつ)になって消してしまう。日本の心ある人が皆そうしたら、実は権力側の思うつぼなのでしょうか。

 昔の泥棒戸締まり論と同じように、憲法は米国に押しつけられたという乱暴な論理がある。これは歴史学、憲法学上の複雑な議論が必要な問題なのに、それを無視して、単純で下世話な俗論に置き換えるという危険な言論操作です。



■撮らねばならない

 僕たち市民は、民主主義をよく学んで賢くあらねばならない、ということを近頃しきりに思う。父親が治安維持法で逮捕された家族を描いた「母べえ」と、ナガサキの原爆が主題の「母と暮(くら)せば」は、僕にとって「撮らねばならない」映画でした。
 (聞き手・清水孝幸)

 <やまだ・ようじ> 1931年大阪生まれ。父が旧満州の南満州鉄道(満鉄)に勤めていた関係でハルビンや瀋陽などで暮らし、大連で敗戦を迎えた。東京大卒業後、54年に松竹大船撮影所に助監督として入社。69年に「男はつらいよ」シリーズを開始。作品に「幸福の黄色いハンカチ」「学校」「たそがれ清兵衛」「家族はつらいよ」など。2012年に文化勲章受章。来年1月に舞台「家族はつらいよ」が東京・日本橋の三越劇場で上演される。



こちらも→社説「安保法成立2年 越えてはならぬ一線
(抜粋)
 違憲と指摘された安全保障関連法成立から二年。地域情勢はむしろ緊迫化し、日本に忍び寄るのは、敵基地攻撃能力の保有と核武装という「誘惑」だ。
 「平素からいざというときの備えをしっかりとつくり、隙のない体制を整えることが紛争を未然に防止する抑止力を高める。日本が攻撃を受ける国民全体のリスクを減少させることにつながる」
 二〇一五年九月十九日未明、議場に「憲法違反だ」との掛け声が響く中、成立した安保法。歴代内閣が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」を一転、可能にした安倍晋三首相が法案審議で強調し続けたのが、日米同盟の強化によって抑止力を高めることだった。
◆日本のリスク減少せず
 しかし、日本を取り巻くアジア・太平洋地域の情勢はどうか。
 例えば、北朝鮮。安保法成立前の一年間に二発だった弾道ミサイル発射は、成立後の二年間で三十九発に上る。成立前の一年間は行われなかった核実験は成立後二年間で三回に達する。北朝鮮は日本への核攻撃を公言し、八月二十九日と今月十五日には弾道ミサイルが日本上空を通過した。
 中国公船などによる沖縄県・尖閣諸島周辺の日本領海への侵入も成立前の一四年九月から一五年八月の一年間は九十八隻だったが、一五年九月から一六年八月が百十四隻、一六年九月から一七年八月は百二十一隻と増加傾向にある。
 航空自衛隊機による緊急発進回数も成立前の一四年十月から一五年九月までの一年間は七百五十三回だったが、成立後の一年間で千百二十四回に上る。その後もペースは落ちず、中国機に対するものは過去最多を更新し続けている。
 各種統計を読み解くと、安保法成立で抑止力が高まり、「日本国民全体のリスク」が減少したとはとても受け止められない状況だ。

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