私が小学校の1~2年生のころ、読んだ本の中に「白いぞうのでんせつ」という、民話がありました。
挿絵の雰囲気から、中央アジアあたりの砂漠地帯、女性がスカーフをかぶっていたので、イスラム圏のお話だと思います。
ざっとあらすじを言いますと・・・
-------------
ある国に戦争がおこり、侵略者に国を追われ、人々は着の身着のまま逃げ出しました。(今でいう戦争難民です。)
長い逃避行にみな疲れ果て、食べ物もすでに底をついてしまっていたとき・・・
砂漠の向こうから、大きな白い象が、こちらに向かってやってきました。
象はいいました。
「みなさん、どうしたのですか」
人々は答えました。
「戦争がおこり、逃げてきましたが、もう食べるものもなくなり、私達は困っています」
すると象は、彼らに教えてくれました。
「この先をずっと行くと、がけがあります。がけの下には、水もあり、食べ物もありますよ」と。
彼らはその言葉に勇気を得て、がけの下まで行って見ると・・・
先ほどの巨象が、がけの上から落ちて死んでいました。
象が言った食べ物とは、自分自身のことでした。
逃げてきた人々は、そのがけの下に暮らすことを決め、そこに町を作り、白い象のことを忘れないように、銅像を建て、朝に夕に象に感謝しながら暮らしたということです。
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私はこのお話が、子供心にも悲しいお話なのになぜか好きで、何度も繰り返して読みました。もう本はなくしてしまいましたが、白い象のさし絵が今でも頭の中に焼きついています。
どうしてこんなことを書いたかといいますと・・・
(写真・時事通信)
今、出ている科学雑誌「ニュートン」で、フランス南西部で発見された「ロッコソルシエ遺跡」に、クロマニヨン人の作った動物のレリーフが刻まれていたという話を読んだからです。
約1万5000年前の旧石器時代後期の芸術ともいえる、リアルな動物たちのレリーフを見たとき、なぜかお話の中の白い象の絵とかぶってしまったのです。
当時、まだ人々は、大自然の中で人間が万物の霊長だなどという考えもなく、みな等しく生き物として、生きていたんじゃないかと想像します。
以下は、私の妄想ととってくださってけっこうですが・・・
(写真・「動物の恋人」様より)
野生動物たちは、当時の人々(クロマニヨン人)にとって食べることはあるにしても、生き物として対等の存在であった。
厳しい氷河期の末期だというこの時代に、食べ物を得ることは、どんなに大変だったか。
あるとき、彼らは動物の親子を捕まえ、親を食べ、子どもは大きくして食べようと育てることにした。
まだ家畜という概念もなかったころの話。しかし、彼らにとっては、命をいただくという行為は、自分たちが育て共に暮らした動物に対して、ありがたいけれど、悲しく、せつないことであった・・・。
作者は、命をいただいた動物たちのことを忘れずいたいという、感謝と祈りをこめてこのレリーフを作っていたように思えてならず、胸がいっぱいになってしまいました。
このビジョンは、私の脳内の妄想であったとしても。しかし、このレリーフのさらに大きな写真を「ニュートン」で見たとき、魂の奥底に埋まっていた記憶が目覚めたかのように、当時の人々の気持ちが呼び起こされて、なぜだか胸が締め付けられたように切ない気持ちになってしまったのは、私にとっての真実なんです。
★アニマルコミュニケーション(虹色オリハルコン)
挿絵の雰囲気から、中央アジアあたりの砂漠地帯、女性がスカーフをかぶっていたので、イスラム圏のお話だと思います。
ざっとあらすじを言いますと・・・
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ある国に戦争がおこり、侵略者に国を追われ、人々は着の身着のまま逃げ出しました。(今でいう戦争難民です。)
長い逃避行にみな疲れ果て、食べ物もすでに底をついてしまっていたとき・・・
砂漠の向こうから、大きな白い象が、こちらに向かってやってきました。
象はいいました。
「みなさん、どうしたのですか」
人々は答えました。
「戦争がおこり、逃げてきましたが、もう食べるものもなくなり、私達は困っています」
すると象は、彼らに教えてくれました。
「この先をずっと行くと、がけがあります。がけの下には、水もあり、食べ物もありますよ」と。
彼らはその言葉に勇気を得て、がけの下まで行って見ると・・・
先ほどの巨象が、がけの上から落ちて死んでいました。
象が言った食べ物とは、自分自身のことでした。
逃げてきた人々は、そのがけの下に暮らすことを決め、そこに町を作り、白い象のことを忘れないように、銅像を建て、朝に夕に象に感謝しながら暮らしたということです。
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私はこのお話が、子供心にも悲しいお話なのになぜか好きで、何度も繰り返して読みました。もう本はなくしてしまいましたが、白い象のさし絵が今でも頭の中に焼きついています。
どうしてこんなことを書いたかといいますと・・・
(写真・時事通信)
今、出ている科学雑誌「ニュートン」で、フランス南西部で発見された「ロッコソルシエ遺跡」に、クロマニヨン人の作った動物のレリーフが刻まれていたという話を読んだからです。
約1万5000年前の旧石器時代後期の芸術ともいえる、リアルな動物たちのレリーフを見たとき、なぜかお話の中の白い象の絵とかぶってしまったのです。
当時、まだ人々は、大自然の中で人間が万物の霊長だなどという考えもなく、みな等しく生き物として、生きていたんじゃないかと想像します。
以下は、私の妄想ととってくださってけっこうですが・・・
(写真・「動物の恋人」様より)
野生動物たちは、当時の人々(クロマニヨン人)にとって食べることはあるにしても、生き物として対等の存在であった。
厳しい氷河期の末期だというこの時代に、食べ物を得ることは、どんなに大変だったか。
あるとき、彼らは動物の親子を捕まえ、親を食べ、子どもは大きくして食べようと育てることにした。
まだ家畜という概念もなかったころの話。しかし、彼らにとっては、命をいただくという行為は、自分たちが育て共に暮らした動物に対して、ありがたいけれど、悲しく、せつないことであった・・・。
作者は、命をいただいた動物たちのことを忘れずいたいという、感謝と祈りをこめてこのレリーフを作っていたように思えてならず、胸がいっぱいになってしまいました。
このビジョンは、私の脳内の妄想であったとしても。しかし、このレリーフのさらに大きな写真を「ニュートン」で見たとき、魂の奥底に埋まっていた記憶が目覚めたかのように、当時の人々の気持ちが呼び起こされて、なぜだか胸が締め付けられたように切ない気持ちになってしまったのは、私にとっての真実なんです。
★アニマルコミュニケーション(虹色オリハルコン)
ノイローゼの虎や、意地悪なウサギなんて…
とても想像できません。
引きこもりのライオンや、ずる賢い羊もネ!(笑)
自己犠牲…という単純では表しきれない大きな愛が
地球上には満ちているのだと思います。
野生の動物たちは、ただそのように生きているだけ。
人間だけが、自然の摂理に逆らって、無理をしている。
自分の首を自分で絞めている。
優しい動物の瞳を見つめていると、
忘れていた「何か」を、私も思い出せそうな気がしました。
コメントありがとうございます。
>今の先進国は、資本主義経済のサイクルを優先させ それ以外の事を余り見ようとはしたがりません。
そうですね、特にアメリカ。
ヨーロッパは、CO2の排出権取引で動き出しているようですが、CO2の取引そのものが、お金を中心に動いてますから、これも度を過ぎると本末転倒のおそれもあり危ういところですね。(でも、ちょっと期待してます・・・)
オバマ大統領になって、ゴアさんが環境大臣?をしてくれるとずいぶん変化があるかもしれませんが・・・
ゴアさんが、原発促進をしていると、まことしやかにネットでも言われていますが、これこそ誰かが触れ回っているネガティブキャンペーンのようです。
>実際に活動しょうとすると結構障害も多くて 大変ですけどネ!!
そうですね。経済のしがらみや、人間一人ひとりのエゴがより困難な状況を作ってしまうのでしょう・・・
でも、私たちが、地球や地球に住むすべての命をいつくしむ気持ちを忘れないでいれば、きっと乗り越えられますよね!
>自己犠牲…という単純では表しきれない大きな愛が
地球上には満ちているのだと思います。
ああ、深いなあ。すごいなあ。その通りだなあ。
>野生の動物たちは、ただそのように生きているだけ。
>人間だけが、自然の摂理に逆らって、無理をしている。
自然の摂理は、残酷にみえて調和が取れている。この調和は、些細なほころびから、すぐにほつれてしまう可能性もあります。
人間がその調和を壊しているなら、修復できるのも同じ人間。だから、人間は、偉いんじゃなくてすべての生き物に対して責任があるんだと思っています。
動物の目は、裏表がありませんよね。だからこそ癒されるのかも。
ゆりあさん、何か思い出したら、教えてね。え?ないしょ?(笑)
白象は、懐妊の夢のように、ブッダの象徴として受け止めることもできます。
ナザレのイエスも、自分の血と肉を最後の晩餐で分け与えましたね。まるで母蜘蛛が子蜘蛛に自分を食べさせるように。
日本でも五穀は食物神の死をもってもたらされました。
宗教や神話は、自然の理を伝え、畏敬の念を持たせることが、もともとの意義だったのでしょうね。
私も普段は菜食です。なにせ肉を食べると、その後ろにある家畜ビジネスの飼料の穀物が大量に消費されるからです。今は、住宅バブルが終わって投機が石油と農産物に集中してます。今月大豆が90%値上がりしました。で、家族専門の大店舗のCOSCOで米になんと販売制限がかけられました。米を主食とする私にとっては、痛手です。さらに、発展途上国では、農産物が輸出ばかりに集中し、自国の国民に回らない事態まで起きています。
動物も植物も神と同じぐらい尊い存在、もしくは神そのものでしたが、今ではマネーゲームの対象です。私たちは、自分で植物を育てて殺したり、動物を育てて殺すことはなく、市場で買うだけですから。神が生活から消えました。レリーフは、私たちの生活が殺害の上に成り立っているということを気付かされますね。
ここで、捨身飼虎の絵が出てくるとは思わなかったけど、今にして思えば、イスラム圏の話じゃなくて、インドの土着の宗教か仏教系のお話かもですね。
イスラムは偶像崇拝しちゃいけなかったものね。
おっしゃるような事例から類推すると、信仰の始まりは、食べ物を象徴とした命をもたらしてくれるものたちへの鎮魂や感謝から始まったっていうことだと思われますね。
現代人は、肉を食べても、命をいただいているということへの罪の意識なんてぴんとこないだろうけど・・
当時は、まさに昨日の友人が今日の食事に変わってしまうわけで、他の命の犠牲の上に自分が生きてることの悲しくていたたまれない気持ちが、何か祈りにも似たレリーフを作ったように思えて仕方ないのです。こんなふうに思うのは私だけかもしれないけど・・・。
>私も普段は菜食です。なにせ肉を食べると、その後ろにある家畜ビジネスの飼料の穀物が大量に消費されるからです
ほんと、肉食をやめれば、水問題も食糧問題も少しは解決するんじゃないでしょうか。家畜の飼料に、膨大な水や穀物を使ってるわけですからね。
私も、最近は、お肉を食べるのは、以前よりずっと少ないです。牛肉は、結婚式に呼ばれた時、うっかり口にしただけで、もう10年以上食べていません。
理由は、自然食志向とかBSE問題より、牛がかわいそうだからって言うかなり情緒的な部分が大きかったんですが、このレリーフを見て、「ああ、そうだったんだ」と、勝手に腑に落ちました。
これからも、牛は食べないと思います。
穀物の値上がりは日本もいっしょです。でも大豆が90%の値上げとは、きついですね。アメリカでおこることはすぐに日本でもおこるからなあ・・・
アメリカ人も肉食やめて、これからはどんどん米を食べれば良いと思いますが、米にも販売制限?大変!
こうなったら、ほとんど食べなくても大丈夫な体質にするとか(笑)
>動物も植物も神と同じぐらい尊い存在、もしくは神そのものでしたが、今ではマネーゲームの対象です
本当ですね、ちょっといいかげん、考え直さないとね。
同感です。クロマニヨン人のレリーフを通じての暖かさは、その悲しみのアファーメーションのような気がします。現代人の冷たさは、その悲しみを忘却してしまったためでしょうね。
自分の命は数えきれない命の犠牲の上に成り立ってる、その真実はほんと悲しい、サウダージです。原罪というか、みんな罪人というキリスト教的な考え方は、そこが原点かも知れませんね。そんな輪廻から解脱したいと思うのも、それかもしれません。
>理由は、自然食志向とかBSE問題より、牛がかわいそうだからって言うかなり情緒的な部分が大きかったんですが、このレリーフを見て、「ああ、そうだったんだ」と、勝手に腑に落ちました。
金木犀さんはとても優しい方ですね。レリーフにそう感じられたのは、素晴らしい感性だと思います。
>アメリカ人も肉食やめて、これからはどんどん米を食べれば良いと思いますが
ほんとですよね。日本人は、もちろんおかずとか食べますが、ほとんど米で腹を膨らませてるような食事で、寿命が長いですからね。田舎の中西部は、肉食はアイデンティティーにかかわることですが、中西部のオハイオ出身のクシニッチは、菜食ですね。彼は中西部人じゃなくて本当は異星人という噂も…。
>こうなったら、ほとんど食べなくても大丈夫な体質にするとか(笑)
私もそう思ったんですよ!以前、「アンビリーバボー」かなんかの番組で、食事しなくても生きてる人を紹介していて、とても驚いたんです。その真相はわかりませんが、ああいうふうになれたらいいですよね。
>自分の命は数えきれない命の犠牲の上に成り立ってる、その真実はほんと悲しい、サウダージです。原罪というか、みんな罪人というキリスト教的な考え方は、そこが原点かも知れませんね。
原罪には、アダムとイブがエデンの園から出されたこととか、いろいろな宗派によって意味が違うそうですが、私も今回のことで、「生きるためには他の命を犠牲にしなければならない」ということが、生きるものの生まれ持った罪というか、そういうことなのかなあと思いました。
ヘルメスさんの心のサウダージも少しだけわかった気がします。
>日本人は、もちろんおかずとか食べますが、ほとんど米で腹を膨らませてるような食事で、寿命が長いですからね
長い江戸時代に、日本人の体質は、腸が長くて(胴が長い?)米を食べるのに適してる人たちで淘汰されたという説がありますよ(笑)。
どんどん足が長くなる最近の日本人のスタイルのよさは、肉食のせいかしら。
クシニッチは、米食に向いてそうな体型ですよね。
どちらにしても、米を食べられる日本人でよかった。
ごはん大好きですもん。
>食事しなくても生きてる人を紹介していて、とても驚いたんです。
ロシアの女性の話ですよね!私も驚きましたよ!
でもそういう人って、少なからずいるんですよね。日本人にもいるし。びっくりです。
ちょっとうらやましいなあ。でも食べる楽しみがないのもさびしいかしらね。