南方熊楠(みなかたくまぐす・1867年 - 1941年)
南方熊楠は、ご存知の方も多いと思うけれど、粘菌の研究その他、日本を代表する博物学の研究者であり、超人的なエピソードもある知の巨人である。
そんな彼が、刑事被告人になったことがあるというのだ。
5月20日の東京新聞のコラム「筆洗」に南方熊楠の事が書いてあった。以下、文章はそのままですが、少し編集しました。
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おととい生誕百五十年を迎えた知の巨人・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、刑事被告人になったことがある。地元熊野の新聞に寄せた「人魚の話」が、新聞紙法が禁じる風俗壊乱とされたのだ。
超人的な博覧強記の人らしく、人魚伝説を古今東西の文献・伝承を使い躍動的に論じた随筆だが、性的な伝承の紹介が罪にあたると告発された。
裁判で南方は「風俗壊乱などは、こじつければどんなものでも罪になる」と恣意的(しいてき)な法の運用を論難したが、検事は開き直った。「事実が同一でも、見様(みよう)と手心とがある。その職にある者の手心によって罪になるのである」。そして、有罪判決が下された(『南方熊楠百話』)
この事件には裏があった。政府が進める神社統廃合のために聖なる森が伐採された。貴重な生物や村人の暮らしが損なわれる一方で、木材売却で役人らが甘い汁を吸っていた。それを暴露された当局が意趣返しで告発したとされるのだ。
当局の恣意的な運用を許す法律がいかに危険かは、歴史が繰り返し教えるところだが、政府与党は、異論を封じ込めるかのように、「共謀罪」の導入を急ぐ。
鶴見和子さんの名著『南方熊楠』によると、硬骨の人・南方もこんな言葉を漏らしたという。「中国との戦争はよくない…しかし、なにかいうとぶちこまれる。ぶちこまれると時間がおしいから、できるだけ官憲にはたてつかないことにした」
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共謀罪を危惧するのは、テロの取締と言いながら、当局を批判するような、うざったい人々の身辺を調べて、犯罪者でもないのに、難癖をつけて逮捕できる可能性がある、ということに尽きる。
小林よしのり氏は、「もの言う市民を萎縮させる」と言ったが、そのとおりだ。民主主義の掲げている個人の思想の自由、内心の自由を奪うもの。
熊楠も、拘束されることで研究者としての時間が失われるのが惜しいから、「中国との戦争は良くない」と思っていたのに、それを飲み込んでしまったという。
19日の国会では、委員でもない維新の会の議員、丸山穂高という人が突然出てきて、何を血迷ったのか、議論取りやめの口火をきった。歌舞伎で言えば見得を切る役回りをもらったのか?・・・あまりにも芝居じみていた。
喜劇のような悲劇。馬鹿馬鹿しいパフォーマンス。本人はさぞや得意満面だったのだろうが、私には、とても愚かしく見えた。
★こちらもぜひ。
→今朝の東京新聞、必読。共謀罪の恐ろしさー「政府 内 個人」という日本主義の復活は、国連からも批判。(ブログ「思索の日記」より)
(多数派の)国民がアホだからどうしようもない、ということなんでしょうか?
自民党や公明党や日本維新の会に投票した人たちに責任取ってもらいたい。
投票した人たちに対して腹が立っています。
「あなたたちがアホなのは仕方ないとして、私たちを巻き込まないでほしい。」と声を大にして言いたい。
(少々感情的になっています。)
感情的にだってなりますよね。
お返事兼ねて、今日、新記事アップしました。