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憲法9条は、アメリカの押し付けではなかった

2016年02月26日 | 憲法改悪、集団的自衛権反対
25日の報道ステーション、ご覧になりましたでしょうか。
本当に、古舘さん、辞める前の置き土産っていうか、気合の入ったスクープを見ましたよ。

自民党安倍政権は、次の選挙で改憲を目論んでいますが、その理由として今の憲法が、「アメリカから押し付けられた憲法」「アメリカが作った憲法」だからということを錦の御旗にしていましたね。

でも、9条に関して言うなら、それは間違っていました。国立公文書館で見つかった、59年前の憲法調査会の発言録音テープから、当時の出席者の生々しい肉声が流れてきた。
改憲派は、当時から「アメリカから押し付けられた」と言い続けていました。
嘘も100回言えば本当になるのか?いいえ、100回の嘘は、1度の真実にかなわない。

こういう地道で骨の折れる調査をしてくださった、86歳のジャーナリスト鈴木昭典氏には、感謝の気持ちを捧げたいです。

今から59年前、当時の岸総理の招集した憲法調査会。ここでの、改憲派の言い分だけでなく、護憲派の言いたかったことも、昨年の安保法制の成立の時の言葉とおんなじ。デジャブか?というくらい重なる部分が多く、びっくりしました。
若き日の中曽根康弘氏と英米法学者で調査会の会長を務めた高柳賢三氏の会話、改憲を唱える中曽根さんにこのようなことを言っていたのが小気味よかった。








「それはあなた間違い」


でも、政治家が、学者の意見をないがしろにするのも、デジャブ・・・

当時は東西冷戦時代のまっただ中で、「集団的自衛権がなければ現実に対応できない」と改憲派は、言っていました。
現在の改憲派の「中国の脅威があるから、今の憲法では現実に対応できない」、言っていることは、あの当時の改憲派の意見をそのまま踏襲していたのですね。
現実は、9条のおかげで、あのベトナム戦争にも、日本の自衛隊は巻き込まれずにすみました。
あの時、改憲が行われていれば、間違いなく自衛隊は、兵隊となり、集団的自衛権でベトナムに送られ、殺し殺される地獄を見なくてはならなかったでしょう。

では、9条は誰が作ったのか。アメリカから押し付けられたものなのか。
当時の中部日本新聞の政治部長が、憲法発布した当時の幣原(しではら)総理にオフレコで聞いたそうなんです。
すると、幣原元総理は、はっきりとこう言いました。







「それは私であります。
 私がマッカーサー元帥に申し上げて第9条の条文になった」
と。






そして、マッカーサー元帥からも文書でその言質を取りました。

「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです。
私は総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であるというと、総理は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました」



結果として、議会で、国民から選挙で選ばれた国会議員によって、日本国憲法は承認されたのですから、やはり「アメリカから押し付けられた」という被害者意識に浸るのは、違うと思います。

また、この資料を上げた、鈴木昭典氏も、当時は子どもだったのでしょうが、新憲法が戦争をしないということに対して、戦争で傷つき疲弊した国民にとっては「贈り物だった、喜んでいた」と語っていました。


私の知っている先輩方や、親戚筋も、同じようなことを言っていました。
戦争を放棄した日本国憲法は、不本意で恥ずかしい憲法を押し付けられた、のではなくて、当時の国民にとっては、ほんとうに嬉しかったのだと思います。


★関連記事
 9条を提案した幣原喜重郎氏の決断

★関連サイト(コメ欄で教えていただきました・番組動画があります)
 抜粋 憲法9条は幣原喜重郎首相のマッカーサーへの提案であった(フェイスブックより)

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6 コメント

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すばらしい!! (ひろみ)
2016-02-26 23:18:48
また、真実が明るみになりましたね。
今朝、facebookで見つけて、お知らせしようと思っていたのですが、金木犀さんはご覧になっていたのですね。
https://www.facebook.com/1046142615425875/videos/1115869361786533

一昨日、「東京新聞:東電、メルトダウンを過小評価 社内基準、5年間見過ごし」
https://t.co/jk3LRVrdvg
を見つけて、今さら?!
事故を知ったときから、こうなることは素人の私でも、予想できました。企業の隠蔽体質、政治や行政の無責任を露呈する、今さらの報道にあきれるばかり。。。
とはいえ、明るみになっただけでも、すごいこと。
さすが、東京新聞!とは思いましたが、やはり、やるせない気持ちがあったのです。

憲法9条の真実が明るみに出て、本当にうれしいです。
天皇陛下のご意向であったのかもしれません。。。

なんか、タイムラインがどんどん、よい方向へとシフトしているのが、目に見えるようになってきたような気がします。
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ひろみさんへ (金木犀)
2016-02-27 10:53:17
ありがとうございます
早速記事にリンク入れました。

東京新聞は、毎日、目を見張る記事があります。
なかなかご紹介しきれませんが、東京新聞を読んでいると、
今の政権を支持する人は、ちゃんと事実を知らないからなんだろうと、残念です。
返信する
記事を書きました (ひろみ)
2016-02-27 17:53:21
私も、この件に関して記事を書きました。
というのも、調べていたら、幣原元総理がお亡くなりになる前にオフレコということでインタビューに対応した文書「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」を見つけたのです。
この文書と、報道ステーションのことをまとめて記事にしました。

憲法9条は、日本製「愛のバクダン」
http://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/14254240.html

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ひろみさんへ (金木犀)
2016-02-28 10:47:58
読ませていただきました。

幣原総理の深い思考と、洞察力、感服しました。
リーダーの器とは、このような方なのだと思いました。

あのひどい時代にあって、幣原総理は500超えの愛のパワーの方でした。
幣原総理がいなかったら、戦後70年以上、戦争で誰も死ななかった、殺さなかった、今の日本の国はなかったのです。
たった一人のパワーの方が、全体を良くする典型でしょう。
本当は戦争になる前に気づけばよかったのでしょうが、それは無理だった。
あの戦争の残虐と混乱を経て、ようやく幣原氏の出番が出てきたのは、天の助けだったのか、必然だったのか。
返信する
Unknown (ましま)
2016-03-08 10:27:05
ちょっと遅いコメントになりましたが、9条幣原さんの提案という説は前からありました。しかし、裏が取れない、というような理由で、歴史として取り上げられることは少なかったようです。

しかし、9条のもとになった不戦条約締結の前年まで外相を務めていた幣原さんが、その実現に身を削っていたということもあるので、私はまず事実だと思います。
返信する
ましまさんへ (金木犀)
2016-03-08 15:01:52
昭和26年の平野三郎氏の聞き取りレポートによれば
戦争放棄を憲法に盛り込むことは、

>一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならないことであるから

> この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打ち明けることのできないことである。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

と書かれています。

当時は、アメリカが絶対ですから、押し付けられた、と言わなければ、各方面から反対意見がでて、憲法に盛り込むことは無理だったのだろうと察します。

過去を振り返れば、国民にとっては、よくやってくださったと思うことも、その場の時間軸では、評価されないこともあります。

なんだか、「脱原発依存」を口にした菅元総理と重なってきました。
国民にとっては歓迎できることも、各方面から叩かれて結局、脱原発は潰されてしまいました。
9条は、マッカーサーの協力もあって、うまく残されてよかった・・けれど、今またこの時期に、危機にありますね。
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