虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

「いつまでモリカケ」という批判は国家の本質的な危機が見えていない

2018年06月03日 | パワーかフォースか

枝野さんと片山善博さんのでてくる「時事放談」を見た。


土台が崩れていたら、信頼に足る議論ができない。そのとおりだと思う。




NHKのコント番組「LIFE!」に登場する「うそ太郎」。
息するように紡ぐ言葉は全部ウソ。めちゃくちゃでも、どこか憎めぬその言葉を信用するのは、寿司屋の大将ただ一人だけ。視聴者はそれは嘘だと当然わかっているからこそコントが成り立つ。でもうそ太郎は嘘ついた直ぐ後に、「嘘つきやした、すいやせん」ってちゃんとそこだけは正直なんだから、あの人よりは、まだましか。

で、政治はコントじゃない。政治は虚構の世界じゃない。

現実世界で、総理大臣がうそ太郎のごとく、次々と信用のできない言葉を吐いて、周辺がつじつま合わせに右往左往する。
その様子を見て、視聴者(国民)は、この内閣を信用できるのか。という問題だ。





それは、まるでヴァーチャルな虚構のゲームの世界に存在する内閣が、自分たちの作ったルールや嘘の世界で好き勝手にしているような違和感。
ずっと気になっていたのだが、意識レベルマイナスは、虚、嘘の世界らしいのだ。
ここまで下がってしまえば、それが日常になっているから嘘をついたら普通の人なら感じる良心の呵責を感じなくなるのだろう。

森友の文書改ざん問題では、近畿財務局職員の方の自死という、ショッキングな出来事があったにもかかわらず、失われた命に対する誠意が全く感じられないのも腑に落ちる。彼らは普通の感受性と違う世界に生きているから。
人一人の命の重さなど、深く考えられないのだ。
確かに、昔の政治では、「関係者の自殺・秘書の自殺」ということは政治の闇としていくつもあったのだろうし、当時の政治家にとっては暗く重たい影を残したろうが・・・それともやや違う感じ。もっと薄くてもっと軽いというか・・・。
そういう虚構のような政権が、いま日本の中枢で国を動かしているという危機である。





今、意識のエネルギーの上昇、意識のアセンションと勝手に申し上げている事象が起こっているので、目には見えなくても、人々の中に良心的な正義とか正直さを良しとする「まっとうさ」が、わあっと吹き上がるように出てきていると感じます。
それはうんざりするほどの、嘘や不誠実さを反面教師として、湧き上がってくるものなのかもしれませんが。
と、すれば、日大を始めとしてスポーツ界の理不尽さや、総理及びその周辺の繰り返す卑怯なふるまいも、日本人を鍛えてくれているのでしょうか。

日大アメフト部の宮川くん、彼の行為自体は間違っていた。
しかし、たった一人で会見に臨んだ彼の言葉は、嘘と詭弁に塗り固められた言葉とは違うものだった。
言葉だけでなく彼の目の力、声、態度、姿勢から自ずと見えてくる、真実(パワーのエネルギー)を感じた方も多かったと思う。
その感覚こそが、宮川くんの起こした日本におけるMフィールド(下記参照)です。

森友加計問題や日大アメフト部の一連の出来事は、ある意味、日本における意識の二極分化の試金石にもなっているのではないだろうか。
そういう時代になってきたんだとつくづく思う。


180603 時事放談 枝野幸男 えだのん


3日の時事放談、さっそくYou Tubeにあがっていました。ありがとうございます。


※Mフィールド
生物学者ルパート・シェルドレイクの提唱した仮説で、形態形成場という場が、いったん形成されると、利用可能なパターンとして、それが空間を超えてあらゆるところ、いたるところに存在するエネルギーフィールドになるという概念。



6月6日追記
頂いたコメントで、私自身も大変勉強になり、参考になりました。引き続きコメント欄も読んでいただければ、と思います。

コメント (33)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 立憲民主党のネクスト内閣・... | トップ | プラスチックと海:使い捨て... »
最新の画像もっと見る

33 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
究極の選択・正解はないがより苦しい道はどっち? (私は少数派)
2018-06-04 16:33:48
私はそれでも宮川くんのやってしまったことはやっぱりいけないことだと思います。そこはちゃんとはっきりさせないと、彼を擁護しすぎるのはどうかと思う部分があります。現に大変な怪我をさせてしまったわけで、どれほど追い詰められていたとしても、超えてはいけない一線を超えてしまったことは事実だからです。
私は今回の事件をたとえば背中に銃を突きつけられて「(眼の前の人間を)殺せ! 殺さないならお前を殺すぞ」と言われている状況を考えてしまいます。自分だったらどうするか?
「殺さなければ殺される状況」において、どういう選択をするのか?
そのときとっさに「銃を突きつける相手」に反撃できればそれがいちばんいいのでしょう。でもそれができないことは多いです。自分だったら「殺人者になるよりは殺される方を選ぶ」と思います。「殺人者になることは魂を汚す様な気がして、それは殺されるより恐ろしいことだから」です。これはどちらの選択が正解というのではないと思います。「殺されるわけにはいかないから止むを得ず殺す」という選択もあるでしょう。
私は宗教を信仰してはいませんが、聖書にあるイエスが示した教えはそのような状況で「殺すよりは殺されることを選択するほうが実は試練が少ない」ということを言っているのだと思えるのです。ある意味そのほうが「楽な道」(私はこの言葉をいい意味で捉えています。)だということのような気がしてなりません。
そしてそのどちらかが正解だというわけでもない、と思います。

返信する
私は少数派さんへ (金木犀)
2018-06-04 19:38:12
おっしゃるように、彼のしたことはやってはいけないことでした。それは間違いなく悪いことです。
本人もいうように、自分が実行しなければそれですんだことですから。

でも、私には彼の会見を見た時、戦時中の特攻隊の若者が重なってきたんです。坊主頭ってこともあったかもしれませんが。
こうやって特攻隊の若者たちも、上から命令されて追い込まれて死んでいったんだろうな、というイメージが湧いてきて、悲しい気持ちと怖い気持ち、
そして、彼の勇気ある謝罪に救われた気持ち、いろいろな気持ちがわきました。

>私は今回の事件をたとえば背中に銃を突きつけられて「(眼の前の人間を)殺せ! 殺さないならお前を殺すぞ」と言われている状況を考えてしまいます。自分だったらどうするか?
>「殺さなければ殺される状況」において、どういう選択をするのか?

それは究極の選択ですね。
私にはそんな究極を考えるのも怖いです。
でも今生は私は、魂の世界をぼんやりとでも感じられる人生ですので、少数派さん同様に殺されることを選ぶほうがいいです。

ただ、話をもとに戻しますと、彼は前々から、コーチから「いじめ」と呼ばれる圧力を受けて追い詰められていたようだし、それしかできないっていう心情になっていたのではないでしょうか。
オウムの死刑囚たちも、やったことは絶対悪ですが、それしかないという追い詰められた気持ちになるのは「洗脳」のなせるわざ、怖さだと思います。

何が正しいとかわかっていてもその時は正しかったと思っても、間違ってしまうのが人間かもしれません。
むしろ間違ったと気づいた時こそ、その人が、ためされるときなんじゃないでしょうか。逃げてごまかして、人のせいにして、ということであれば、更に自分自身の心、もっと言えば魂にも傷をつけてしまうでしょう。
宮川くんにはそれが耐えられなかったのだと思います。そこで一人で謝罪した彼は、「その点においては」立派だったと思います。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もあります。
難しい問題ですが、彼が危険なタックルをしたときは彼自身も恐怖の100という数値でした。彼も怖くてたまらなかったんだろうと思います。
すべてを正直に語って誠実に謝罪した時、愛の523に上がっていました。

被害を受けた選手が、無事に試合に復帰できたこと、宮川くんの刑事処分を望まず示談が成立したことで、今回の件は宮川くんに関して言えば、落着したということでよいのではないでしょうか。
返信する
まさに!ですね。 (ひろみ)
2018-06-04 20:31:22
>土台が崩れていたら、信頼に足る議論ができない。
政治はコントじゃない。政治は虚構の世界じゃない。
虚構のような政権が、いま日本の中枢で国を動かしているという危機...

まさに、まさにです!!!
意識レベルマイナスが、虚の世界であることがはっきりし、すっきりですが。。。
その論理を現実の、それも政治の世界に持ち込んでいる人たちがいるってことなんですよね。
でも、よくよく考えたら、その手法は、今に限ったことではなく、ローマ時代(もっと昔?)とかから延々と続いていたような気がします。
宗教を支配ツールとして使って。。。
今は、経済(お金)だったりします。
たしかに、お金は物質かもしれませんが、そこに、広告や宣伝というベールをかぶせて、人々を消費生活に誘い込んでいるような気がしてなりません。

こういう仕組みを知り、巻き込まれないこと、が大切ですが、スルーし続けるにも限界がありますよね。
健全な社会はどうしたら実現できるのだろう・・・と、考えてしまいます。
少なくとも嘘と誤魔化しが蔓延していない社会じゃないと生きるのはつらいです。
そのためには、反面教師と同じレベルでやりあっても解決にはならないとは頭で分かっていますが、具体的にどうしたらいいのか、が分からないのです。

アインシュタインの言葉に
問題はそれが起きたのと、同じレベルで解決することはない』
というのがあり、なるほどなーという感じです。


私は少数派さん、

>どれほど追い詰められていたとしても、超えてはいけない一線を超えてしまったことは事実だから

そうなんですけれど、大多数の人は、追い詰められたら、やってしまう、それが実験でも証明されています。
アインヒマン(ミルグラム)実験です。
その件については、まだ記事にしていないのですが、「付和雷同?!」の記事の中で、twitterでのメモのリンクを入れています。
上からの命令に逆らえないというのは、よくあることで、パワハラです。
上下関係ないところで生まれているのが、同調圧力です。
多数派に流されやすくなり、抵抗すると仲間はずれにされるとか変人と思われるという不安がそうさせます。

先日、去年書いた「付和雷同?!」の記事を
アメブロで再シェアしたら、精神科のお医者さまが
興味深い内容と転載して補強説明の記事を書いてくれました。
「付和雷同?!」
https://ameblo.jp/nekopiano1121/entry-12380756664.html

8883
1006
返信する
魂の法則 (ひろみ)
2018-06-04 21:53:54
強要されて仕方なく・・・というのも、後々苦しむということが、「魂の法則」の中で書かれています。

その部分を抜き出します。

もし誰かが襲われて、自己防衛で加害者を殺してしまったらどうですか?また、これは例えですが、子どもたちに危害を加える者がいて、加害者を殺さなければ子どもが守れない、としたらどうでしょう?

いいかね、霊的世界では、出来事自体はそれほど重要ではなく、その時の意図が重要なのだ。
殺されるのを回避しようとしただけで、相手を殺すつもりのなかった者を、最初から殺意を抱いていた者と、同じように裁くことはできない。その人は、大きな損害を与えることなく被害を避けようと、できる限り努めるだろうから。
しかし、戦争に行く人たちはこのケースではない。人が戦争に赴く時には、いつかは他の人間を殺したり、自分が死ぬ羽目になると、完全に自覚している。
神を信じる「愛の法則」の信奉者ならば、敵軍に転生した自分の兄弟を殺害に行くために、絶対に自ら進んで入隊などしない。殺人を正当化し得るほど高尚な理念や信仰は、何一つ存在しないからだ。

でも、多くの人びとが意に反して徴兵されて、前線に出向くように強要されていることも確かではありませんか。これについては、どうでしょう?

当事者の魂にとっては、崖っぷちの選択になるので、かなり大きな試練であろう。しかし、このような状況は偶然ではない、と知るべきである。このような試され方をされる者は、おそらく前世では、他者を同じような状況に誘導したのであろう。
これは、愛に賛同する自分の信念が試される、大変厳しい試練である。
殺して殺人者となり果てるか、敵軍に拷問されたり傷つけられるか、違反者や裏切り者のレッテルを貼られ「友達」だった自分の一味からは投獄されたり拷問され、さらには死刑にされるか、を選択しなければならない。これらの選択には情状酌量の余地があるが、死ぬか殺すかや戦争に行くように他者を強要したものの責任はもっと重く、重責だとされる。
君たちの世界では、命を危険にさらして敵軍の兵隊を殺した兵士は、勇者である。一方、一人の敵兵も殺さないで済むよう自分の命をさらしたものは、臆病者とされる。
しかしながら、霊的世界では、それが正反対となる。勇敢なのは、殺人に反対する平和主義者であり、造反者であり、裏切り者であり、兵役忌避者である。見知らぬ、おそらく別の信仰やイデオロギーを持つ者の命を守るために、死ぬまで自軍に迫害されることになるだろうと知りつつ自らの命を冒すので、勇者なのだ。他方、どちらかの軍に自分が一番初めに殺されることを怖れて、他者の命を奪おうと危険に身をさらす者は勇者からは程遠いのだ。
いずれの場合にせよ、どちらを選ぶかを決めるのは魂だ。兄弟の殺害を拒んだために、利己主義者に報復されて地上で一時的に苦しむが、霊界で報酬を授かるのか、それとも、戦争の英雄として地上で報われるが、兄弟を傷つけたために、後で霊界で苦しむのか。

この記事からの抜粋です。
https://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/16017499.html

1322
返信する
言いたかったこと (私は少数派)
2018-06-04 23:26:29
私の言葉足らずだったことをおわびします。
宮川くんが悪いと言いたいんではありません。
今の世間の流れが「宮川くんは悪くない。悪いのはコーチや監督だ」という声が大きくなっていて、やってしまったことの是非をうやむやにする様な方向へ来ていることに疑問を感じたからです。
宮川くんも被害者なのですが、「彼は被害者だから仕方がなかった」という倫理観を変えていく事が必要なのだと思うのです。うまく言えません。
宮川くんを責めているのではないんです。私が「殺すか殺されるか」という究極の話を出したのも「やってはいけないことはどんな事情であってもいけない」という倫理観が日本人には欠けている様な気がしたからです。
もちろんこれに正解はないと思っています。でも「たとえ追い詰められても、命令されてであっても、誰かに危害を加えるのは結局自分を苦しめることになる」ということが世間に
広まって欲しいという思いがあり、
コメントしました。


返信する
「魂の法則」に書かれている通りですね。 (私は少数派)
2018-06-04 23:31:31
ひろみさん、
魂の法則の抜粋ありがとうございました。うまく言えませんでしたが、
この本で言っていることすごく共感します。私は言葉足らずでうまく表現できませんでした。
返信する
いつのまにか加害者 (tamariba)
2018-06-05 09:53:33
以前、テレビで誰だったかわすれましたがオウムの死刑囚が彼はなぜオウムに入ったかの再現ドラマでやってました。
彼は大学には進学したけどなかなか親しい友達ができない…
大学で孤立した寂しさを紛らわすためにふと入ったヨガ教室が…
だったそうです。統一教会でもそうですよね。大学のダミーサークルが存在するのですから…
幸いうちの子は興味のある健全なサークルをすぐに見つけましたが…
統一教会も何か人のために役に立ちたいと考え、ボランティア団体だと思ったらいつのまにか霊感商法に…
最近は見かけませんが家にやってきて「子どもたちに車椅子を」といってハンカチや靴下を一つ2000円でなんてありましたよね。
ある大学生が何も知らず統一教会に勧誘され、入会させる手前でなんとかなったそうですが引き止めるのが大変だったそうです。
しかし日大アメフト部は表向きは決して危険な部活ではないはずです。
ある意味汚職大学部活版かな?
宮川くんの行為は決してしてはいけない行為です。しかし彼を操った監督はもっとしてはいけない行為です。
かつて世界大戦という暗黒フォースの世の中で殺戮が繰り返されたように。
オーバーだったかな?
返信する
それも自己選択・・、なのですが・・・。 (私は少数派)
2018-06-05 11:52:47
今回の様な事件で「宮川くんは悪くない。」ということにしてしまうことは
かつての日本軍の特攻隊を美化することと根っこは同じなのです。特攻隊の若者は究極の被害者です。でもそれが同時に加害者でもあるのです。
被害者である事が同時に加害者になることの危険性と悲劇を日本人は理解する必要があると思います。宮川くん個人を責めようと思ってはいませんが、宮川くんのしたことを「いけないこと」と理解することなくしては
人物が変わるだけで、同じような過ちがまた繰り返されるでしょう。
それもまた自己選択、と言ってしまえばそうなのですが・・・。
返信する
少数派さんへ (金木犀)
2018-06-05 12:46:08
そうですね。
私も本文記事の内容は、言葉足らずだったと思います。
「彼の行為自体は間違っていた」という一語付け加えました。
ご指摘、正しいと思います。ありがとうございます。
返信する
今の政権も・・・ (ひろみ)
2018-06-05 15:02:37
ある意味、究極の被害者であり、加害者なんですよね。。。

もちろん、法的には犯罪を犯していないのですけれど。。。

自分で気づいて直していくしかないのですが、どうなるのでしょう。。。
この数年、いろいろなパターンで、いろいろな業界から同時多発的に内部告発が続いています。
嘘や誤魔化し、パワハラ、モラハラ、セクハラのない社会へジャンプアップするための膿出し期間なのでしょうね。
3628
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

パワーかフォースか」カテゴリの最新記事