さてさて、ここ鞆の浦が朝鮮通信使の寄港地だということは何度か書きましたが
ワタクシ、通信使が見た風景を眺めたくて福禅寺というお寺に向かいました。
福禅寺には対潮楼という建物があり、江戸時代には通信使の迎賓館として使われたということです
。

対潮楼からの眺めです。この場所で通信使をもてなし、学者達の交流も行われたそうです。

海を行く船は向かいの仙酔島と鞆の浦を結ぶ渡船です。海援隊の「いろは丸」を模して作ったのでしょうね。

「日東第一形勝」と書かれてあるのが見えるでしょうか。
1711年にここ対潮楼に来た通信使が、対潮楼からの眺めを見て「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい風景の意味)
と賞賛したそうです
。

お寺の前にある路地の光景も素敵でした。

対潮楼を海の上から眺めてみました。歴史の重み、風格を感じます
。
朝鮮通信使…江戸時代に12回、通信使が日本にやってきましたが、鎖国時代に彼らが持ち込む大陸の文化や学問は貴重なものであり
それ故に通信使の歓待は相当なものだったようです。
一方、彼らをもてなすための負担も大変なもので、通信使が立ち寄る諸藩の出費は大きな財政負担だったようですね。
そういうことを対潮楼の方と話しながら、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
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ワタクシ、通信使が見た風景を眺めたくて福禅寺というお寺に向かいました。
福禅寺には対潮楼という建物があり、江戸時代には通信使の迎賓館として使われたということです


対潮楼からの眺めです。この場所で通信使をもてなし、学者達の交流も行われたそうです。

海を行く船は向かいの仙酔島と鞆の浦を結ぶ渡船です。海援隊の「いろは丸」を模して作ったのでしょうね。

「日東第一形勝」と書かれてあるのが見えるでしょうか。
1711年にここ対潮楼に来た通信使が、対潮楼からの眺めを見て「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい風景の意味)
と賞賛したそうです


お寺の前にある路地の光景も素敵でした。

対潮楼を海の上から眺めてみました。歴史の重み、風格を感じます

朝鮮通信使…江戸時代に12回、通信使が日本にやってきましたが、鎖国時代に彼らが持ち込む大陸の文化や学問は貴重なものであり
それ故に通信使の歓待は相当なものだったようです。
一方、彼らをもてなすための負担も大変なもので、通信使が立ち寄る諸藩の出費は大きな財政負担だったようですね。
そういうことを対潮楼の方と話しながら、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

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通信使をもてなすのも、御苦労されてたんですね。
昔と変わりない対潮楼を拝見出来て、良かったです。
また海から見た対潮楼も風格があって素敵な建物ですね。
鎖国時代に本当に貴重な文化を持ってきた通信使のおもてなしが如何に大変だったか分かるような気がします。
いつも丁寧に分かりやすい説明で、私が旅をしているような気分になってます。
通信使の時代は、やっぱりこんな風景だったのでしょうか。
いい雰囲気と思います
美しい風景ですね。
この時代から学問や文化の交流があっとは
驚きです。
貴重な歴史を知ることができ
ありがとうございました。
大きな負担だったようです。
あと、通信使の中には
かなりひどい奴もいたようで
傍若無人、傲岸不参な態度もあったようですよ。
牛窓、室津など
通信使ゆかりの港町があり
歴史に触れるのが楽しいです(^^)
大きく風景は変わっていないでしょうね。
ただ、日本と朝鮮の関係は
ずいぶん変わったように思います。
全く見ることがないので
よくわかりませんが
お寺に残っている
古い資料を見ているだけで
楽しかったです。
今日は花火に行って遅くなったの、拝見して、でクリックだけに伺いました
夏の風物詩ですね(^^)