よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

富田林の「御坊さん」-大阪府富田林市:寺内町

2024年12月24日 | 大阪(大阪市以外)
Jinaimachi Town, Tondabayashi City, Osaka Pref.

さてさて、自宅から歩いて富田林市に向かったワタクシは、歴史を感じる「寺内町」を訪れました


この日は放射冷却で冷え込んだ朝となりました。でも、歩いている時には冷気が心地いいんですよ


昨日のブログにも書きましたが、寺内町とは多くは一向宗(浄土真宗)の寺を中心に寺と町が合体して作られた町です。
広い寺の敷地の中に都市がある、というイメージがわかりやすいかと思います


ここ富田林の寺内町の中心となったお寺が見えてきました。堂々とした立派なお寺さんです


このお寺は「富田林 興正寺別院」と言い、京都にある興正寺の別院です。地元の人からは「御坊さん」と呼ばれているそうです。
記録によれば、戦国時代の末期に興正寺第16世証秀上人が、富田林周辺の四ヶ村の庄屋2人ずつに
町づくりの要請をしたことに寺内町の町づくりがはじまります。
芝地の開発、御坊の建設、畑の開墾、屋敷地の整備、計画的な町割り等をおこない、寺内町の基礎を作ったとされています


その後、商工業者をはじめ多数の住民が御坊を中心に集まるようになり、寺内町は発展しました。
戦国大名から禁制の発給をうけるなど、特権を与えられたことからも寺内町が特別な町であったことが伺えます。
永禄年間(1560年頃)には活発な経済活動がおこなわれ急速に発展していきました


江戸時代になると南河内地域の商業の中心地となり、酒造業なども栄えていたようですね。
幕末には町衆による自治も行われていたという記録も残っているようです


ところで、皆さんは「消滅可能性自治体」という言葉をご存知でしょうか。消滅可能性自治体とは、2020年~2050年までの30年間で、
子どもを産む中心になる年齢層の20歳~39歳の若年女性人口の減少率が50%を超えると予想される自治体のことなんです。
秋田県なんて自治体のうち、秋田市以外が全て消滅可能性自治体になっているのですが、この富田林市も消滅可能性自治体となりました


上記したように、かつては南河内地区の中心地であり、ワタクシが小学生から中学生の頃はいわゆる「ドーナツ化現象」によって、
大阪などの都心部から近郊の郊外都市へ人口が大きく流れていった頃、富田林って住宅地開発が進んですごく人口が増えたんです。
それが今では消滅可能性自治体ですから、時代の流れというよりも日本の衰退を実感しますわ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


今年も残すところ一週間となりましたね。先日、今年の一文字は「金」だと発表されました。
「オリンピックが開催されたら、その年はいつも「金」やから面白ないがな」と思わずにはいられなかったんですよ。
さて、来年は大阪で大阪万博が開催されます。来年の一文字が失敗の「失」、赤字の「赤」などにならねばいいのですがね。



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大阪にもある古い町並み-大阪府富田林市:寺内町

2024年12月23日 | 大阪(大阪市以外)
Jinaimachi Town, Tondabayashi City, Osaka Pref.

さてさて、11月のある日曜日なのですが、ワタクシは朝起きると「今日はしっかりと歩きたいなぁ」と思いました。
カメラを片手にちょっと歩こうと思ったワタクシは、1時間少し歩いて大阪府南部の富田林市に着きました


ワタクシがやって来たのは富田林の「寺内町」。ただ、寺内町という住所はありません。
住所で言うと富田林市本町や富田林町のあたりになるのですが、この辺りは寺内町と呼ばれるのが一般的です


寺内町というのは城下町、門前町などと同じく、その町の成り立ちを表す言葉です。
寺院の周囲に町屋が建てられ、町家の外側を濠(堀)と土居(土塁)で囲まれ、
町全体が広い意味での寺院の境内であるとの考えで寺内町と呼ばれました


寺内町は一部日蓮宗でも見られますが、一般的には浄土真宗寺院を中核とするものです。
ですので、浄土真宗の勢力が強い近畿、北陸、東海地方で数多く見られるんです。
ワタクシ、このブログでは富田林以外では「三重県津市一身田」「和歌山県御坊市」「奈良県御所市」などを紹介しました
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/111d0db55b60e50756009f91408a82e3
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/c69a35d300f31f70ebc8ad59a9c1162a
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/40d5c8612fed50a66c33c5df8c747a56


富田林寺内町は1560年(永禄3年)に開発された一向宗(浄土真宗)の宗教自治都市です。
今でも戦国時代の町割(都市計画)を留め、江戸時代以降の町家約40軒が昔の姿そのままで残されているんです。
大阪市の主要ターミナルである阿部野橋駅から、電車でわずか30分の場所によくこのような町並みが残ったものだと思います


寺内町一帯は、1997年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
大阪府にも重要伝統的建造物群保存地区があるのは意外に思われるかもしれませんね。
重伝建が無いのは山形県、東京都、神奈川県、熊本県なのですが、山形と熊本に重伝建が無いというのは意外な気がします


遠くに白くて不気味な塔が見えますが、あれはPL教団の「大平和記念塔」という高さ180mの建造物です。
かつてはエレベーターで展望台に行くことも出来たのですが、今は内部に入ることは出来ません。
まあ、PL教団は信者が激減していますし、あのPL学園も廃校寸前の状態なんですよ


最近はこういう古民家に引っ越してくる若者も少なくないようです。
ワタクシが初めて寺内町を訪ねた時に比べて、若い人が経営するカフェや雑貨屋さんなどが随分と増えました


書道教室でしょうか。たくさんの作品が貼ってありました。今でも書道を習う子ども達がたくさんいるんですね

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


ふと思ったのですが、明日はクリスマスイブですね。皆さんのブログにもクリスマスの飾りつけなどがよく出てきます。
そんな中でクリスマスとは全く関係のない古い町並みの写真をアップするというのも、ちょっと場違いな気もします。
でも、それも私らしくて良しとしましょう。



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けまりの庭-奈良県桜井市:談山神社

2024年12月22日 | 奈良(奈良市以外)
Tanzan Shrine, Sakurai City, Nara Pref.

さてさて、「談山神社」で紅葉を楽しむワタクシですが、十三重塔から石段を下ってきました。
すると、ちょっと開けた場所にたどり着くんですよ


ここは「けまりの広場」というのですが、置かれてあるのは蹴鞠の鞠を表すオブジェでしょうか。
そうそう、ここ談山神社って「蹴鞠」とゆかりの深い場所なんです


というのは、談山神社の祭神である藤原鎌足は、飛鳥で行われた蹴鞠の席で中大兄皇子と出会い、意気投合して親交を深めます。
その故事に基づき、談山神社では春と秋に「けまり祭」が斉行され、蹴鞠保存会による蹴鞠奉納が執り行われているんです


そもそも藤原鎌足という人は何をした人なのでしょうか。ちょっとまとめておきたいと思います。
天皇中心の国づくりを目指した「聖徳太子」が622年に死去すると、大臣を務める蘇我氏が権勢を振るい、
皇位継承における人事にも大きな発言力を持つようになるんですね。
後に、蘇我氏の中心人物となった蘇我入鹿は、人望があり皇位継承権のある聖徳太子の息子である山背大兄王が邪魔でした。
そこで蘇我入鹿は、643年に挙兵。山背大兄王のいる斑鳩宮に攻め入り、自害に追い込んでしまいました


この蘇我氏の横暴に憤りを感じていたのが、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)でした。
2人は蘇我入鹿の暗殺計画を練り、645年、朝鮮三国(高句麗、百済、新羅)の使者が朝廷を訪れて貢物を献上する
「三国の調の儀式」が執り行なわれる日に蘇我氏暗殺を実行しました


三国の調の儀式が始まると、中大兄皇子は自ら蘇我入鹿を殺害します。
蘇我入鹿の父である蘇我蝦夷は息子の訃報を聞くと自邸に火を放って自害しました。栄華を誇った蘇我氏はあっけなく滅びてしまうわけです。
蘇我入鹿暗殺のわずか2日後、中大兄皇子を皇太子とし中臣鎌足を天皇の最高顧問で政務の機要を掌握する内臣とする新政府が樹立され、
これまで無名だった中臣鎌足が事実上のナンバー2として歴史の表舞台に躍り出るわけですな


こののち中臣鎌足は、中大兄皇子の腹心として活躍し、日本史上初の官僚機構を築き上げ、国政の改革に乗り出します。
この一世一代のクーデター「乙巳の変」以降、中大兄皇子や中臣鎌足らによって行なわれた改革が「大化の改新」と呼ばれています。
中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼしたという出来事だけを大化の改新という訳ではないのですよ


この日は「紅葉まつり」ということで、いろんなイベントが行われていました。
猿回しのお猿さんは休憩中で、リラックスした表情を見せてくれていました


長きにわたって続けてきた「紅葉シリーズ」も今日で終わりです。長いお付き合い、ありがとうございました。
今年の紅葉はダメだ…と諦めかけていたのですが、室生寺と談山神社で素晴らしい紅葉に出会うことが出来ました。
また来年も美しい紅葉に出会えるように、しっかりと足腰を鍛えておきたいと思います

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は歴史に詳しいように思われているかもしれませんが、学生時代は歴史が得意なわけではなかったんですよ。
子どもの頃から地理は大好きでしたし、中学生の頃からは洋楽を聞いていた影響で英語も好きでした。
歴史が好きになったのは社会人になってからでして、これからも勉強を続けていこうと思っています。
強いられる勉強は嫌いですが、自ら学ぼうと思う勉強って楽しいですね。



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木造の十三重塔-奈良県桜井市:談山神社

2024年12月21日 | 奈良(奈良市以外)
Tanzan Shrine, Sakurai City, Nara Pref.

さてさて、室生寺に続いて紅葉を楽しもうと「談山神社」にやって来たワタクシですが、
さすがに「奈良県屈指の紅葉の名所」だけあって紅葉も見事ですし、参拝者の数も多かったです


右側の建物が拝殿、左側は本殿になります。本殿は大宝元年(701)創建ですが、現在の本殿は嘉永3年(1850)に造替られたものです。
朱塗りの上に極彩色の装飾を施す本殿は、日光東照宮のお手本になったと伝えられています


ワタクシは霊的なことなどは全く感じることも無いし、信じることもありません。
ただ、神社の境内に足を踏み入れるとなんとも言えない凛とした空気感は感じます


ではでは、談山神社の境内をさらに進んでいくとしましょうか


談山神社に数ある建造物の中で、圧巻は高さ約17メートルの「十三重塔」ではないでしょうか。
藤原鎌足の長男の定慧(じょうえ)が678年、鎌足を祀るために建てたものなんです。
現在の塔は1532年の再建で、木造の十三重塔としては世界で唯一ということです


参拝客の誰もが十三重塔の前で足を止め、塔に向かってカメラを向けます。
もちろんワタクシも足を止め、アングルを考えながら撮影します。いつ見ても美しい塔だなぁと思います


ワタクシが初めて談山神社を訪れたのは30歳頃だったと思います。その時も紅葉を見るために訪れました。
それ以降、紅葉や新緑の美しさを求めて何度もこの場所を訪れましたが、これからも訪れたい気持ちは変わりません


関西には北海道や信州のような雄大な大自然というのがありません。
その代わり、京都や奈良を中心に長い歴史に彩られた素晴らしい建造物を数多く見ることが出来ます。
それらの建造物が時代の流れとともに、周囲の風景に溶け込んでいく姿は「自然と人工の調和」だと感じます


談山神社には、珍しい鶴の手水鉢があります。手水舎といえば、大抵は龍の口から水が出ているものですが、鶴の手水鉢とは珍しいです。
この手水鉢なのですが、明治13年に五摂家の九条道孝公が奉納したと伝えられています

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


ここ数年、大阪市は京都や東京に次ぐ外国人観光客の宿泊者が増えています。次々と新しいホテルが建設されているのを目にします。
私は「大阪なんか別に見るものも無いし、なんで大阪に泊まるんやろ」と思っていたのですが、次のような理由があるそうです。
・京都や東京のホテル価格が高騰しているのに比べ、大阪はまだ価格が安い。
・安くて美味しい飲食店が多い。
・人々が気さくでフレンドリー。
・京都や奈良に1時間以内で行けるので、移動に便利。世界遺産の高野山や吉野にも電車一本で行くことが出来る。
ということらしいのです。確かに京都や奈良に近いのはその通りで、大阪に住む私はその恩恵を十分に味わっています。



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「大化の改新」ゆかりの地-奈良県桜井市:談山神社

2024年12月20日 | 奈良(奈良市以外)
Tanzan Shrine, Sakurai City, Nara Pref.

さてさて、室生寺を参拝した後、ワタクシは次の目的地へと向かいました。
向かったのは奈良県桜井市。桜井市の山あいにある「談山神社」です。この神社も紅葉の名所なんですよ


談山神社に行ってみてビックリ。神社に近い場所にある駐車場は全て満車なんです。紅葉を求める気持ちは誰もが同じなんですね。
かなり神社の下の方まで道を戻ると「東大門」の前にスペースがあったので、そこに車を停めて歩いて行くことにしました


東大門から10分ほど歩いたでしょうか。神社の入り口である鳥居の前に着きました。
こちらの紅葉は室生寺に比べて、まだ色づきが遅れているようです


談山神社は中大兄皇子と中臣鎌足が、大化の改新に向けた話し合いを行なった場所として知られています。
祭神は中臣鎌足。言うまでもなく、後の藤原鎌足ですな


藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山からこの地に改葬し、鎌足の長男定慧が木造十三重塔を建てたことに談山神社は始まります。
社名は鎌足が中大兄皇子と蘇我入鹿を暗殺するために談合をした「談い山」からとったものなんです


談山神社の境内には楼門(重要文化財)、本殿(重要文化財)、権殿(重要文化財)をはじめとする朱塗りの華麗な社殿が建ち並びます。
漆塗極彩色、三間社春日造の本殿には鎌足像が祀られており、日光東照宮の手本になったといわれている。
そんな経緯から、談山神社は「関西の日光」とも呼ばれるんです


「拝殿」の中に入っていきました。長い廻縁に沿って下げられた吊灯篭が、いい雰囲気を醸し出しているんです。
ワタクシはこの廻縁から紅葉や新緑を眺めるのが大好きなのです


ワタクシは談山神社に来る時は、いつも朝一番に参詣します。ですので、境内にはほとんど人がいないんです。
しかし、この日は先に室生寺に行ったので、談山神社に着いたのはお昼前でした。
当然ながら境内は人がいっぱい。この写真も人が途切れる瞬間を狙って撮ったものなんですよ


「拝殿の中から外の紅葉を撮るのは無理やろなぁ」と思っていました。しかし、ほんの一瞬だけ人の流れが途切れました。
その瞬間、自分としては思い通りの一枚を撮ることが出来ました

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


平安時代に権勢を誇った藤原氏は、談山神社に祀られた藤原鎌足を祖とする一族です。
大河ドラマでも話題となった藤原道長は、鎌足から見れば5代後の子孫になります。
ただ、「天皇中心の国家を造ろうとした」藤原鎌足の子孫である藤原頼通、道長は「天皇を蔑ろにした摂関政治」を執り行うのですから、
鎌足の目には頼通や道長の姿はどのように見えていたのでしょうね。



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