よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

ミナミのランドマーク-大阪市中央区:道頓堀

2025年03月25日 | 大阪(大阪市内)
Doutonbori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、「道頓堀」にやって来たワタクシは、道頓堀川へと向かって行きました


この道頓堀川なのですが、以前は異臭を放つほど汚染された川でした。
大阪市が長年にわたり水質改善に努めて来たおかげで、随分と川が綺麗になりました。
今では「とんぼりリバークルーズ」というクルーズ船が通航しています。
ただ、ワタクシは乗りたいという気持ちにはなりません


時刻も11時前になり、道頓堀川の周辺はかなりの観光客の数になっていました。
この写真の右端には、美味しそうにたこ焼きを食べている東南アジア系の外国人カップルがいました。
大阪というと「たこ焼き」「お好み焼き」「きつねうどん」などがガイドブックに載ってるんでしょうね


ビルの壁一面がド派手にペイントされています。鬼太郎の目玉親父が描かれていたり、
かつての大阪府知事だった横山ノックが描かれていたり、どういうコンセプトなのかよくわかりません


これはもう皆さんもご存知。道頓堀の、いやミナミのランドマークと言うべき「グリコの看板」です。
これ、正式には「道頓堀グリコサイン」と言いまして、1935年に初代のものが設置されているんです


その後、何度も付け替えが行われていき、現在のものは6代目になるんです。
代替わりがしても両手と片脚を上げる「ゴールインマーク」は変わることはなく、
今も看板の前で同じポーズを取って撮影している観光客が数多くいます


道頓堀を西に進むと大阪のメインストリートである「御堂筋」に辿り着きます。
御堂筋は梅田と難波を結ぶ全長4.4kmの道路で、イチョウ並木がシンボルとなっています。
奥の方に「大」と書かれた大きな看板が見えますが、大丸百貨店の心斎橋店なんです


歴史ある大丸百貨店の建物はウィリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けたヴォーリズ建築の一つです。
ワタクシはヴォーリズの建造物が好きで、ヴォーリズを目的に滋賀県まで足を運ぶことがあるんです


御堂筋には高級ブランドの店舗も数多くあります。しかし、どの店舗もワタクシには無縁な存在です

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


グリコ(江崎グリコ)って大阪生まれの企業なんですが、考えてみると定番商品って多いですよね。
「ビスコ」「ポッキー」「プリッツ」などのお菓子類はもちろん、アイスクリーム、ヨーグルトやカレーなども人気です。
私はグリコ、森永、明治などの日本のお菓子類ってレベルは高いと思うんですよ。



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ド派手!!-大阪市中央区:道頓堀

2025年03月24日 | 大阪(大阪市内)
Doutonbori, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、法善寺横丁を後にしたワタクシは、すぐ北側にある「道頓堀」へとやって来ました。
道頓堀の名は、慶長17年(1612)に私財をなげうって川を開削した安井道頓(やすい・どうとん)の名前に由来します。
その後、芝居や歌舞伎の娯楽の街として栄え、現在は多くの飲食店が集まる人気の観光地となっています。
そして、道頓堀の飲食店の特徴が、とにかくド派手な看板が多いことなんですよ


「しばいたろか!!」というたこ焼きのお店です。看板はともかく、「しばいたろか!!」という屋号はどうなんですかねぇ


明治製菓の「カールおじさん」ですな。大阪ではまだカールは販売されています。関東の方ではカールって販売されてないんですよね。
東日本では売れ行きが悪かったのですかねぇ


これは有名な「かに道楽」の看板です。ちなみにこの看板、1962年2月1日の開店と同時に作られたそうですので、
ワタクシと同じ学年になりますな。阪神タイガースが1985年に日本一になった時は、この看板によじ登った虎キチがおりまして、
カニの爪が折れてしまったというのは有名な話です。なお、2023年の日本一の時は目玉が取られてしまいました。
阪神ファンが道頓堀川にダイブすることでも有名な戎橋は、この看板のすぐ北側にあるんです


こちらは「大阪王将」の餃子の看板です。なお、王将という名前の中華料理のチェーン店ですが、
京都発祥の「王将」と大阪発祥の「大阪王将」があるのでややこしいんですよ


この大きなビリケンさんは「新世界いっとく」という串カツ屋の看板です。
串カツも大阪名物の一つのように言われていますが、大阪人って日常的にさほど串カツを食べているわけではないんですがねぇ


この看板は「くいだおれ太郎」といいまして、「くいだおれ」という飲食店ビルのマスコットキャラクターでした。
これも1985年の阪神タイガース日本一の際、興奮した阪神タイガースファンの群衆が、くいだおれ太郎を担ごうと狙ったが、
当時の営業部長が一人で体を張って死守しました。代わりにケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネル・サンダース像が
橋のうえから道頓堀川に投げ込まれ、その後、阪神タイガースの低迷期が続いた時には
阪神がこれほど弱いのは「カーネル・サンダースの呪い」やと言われたものでした


これは「串カツだるま」の看板です。大阪では有名な串カツのチェーン店なんです。
この看板のモデルになっている会長さんは、タレントの赤井英和が高校生だった時のボクシング部の後輩で、
先代が店を閉めようとした時に赤井英和が「お前、店を継げ」と命令して店を継がせたという話が残っています


これは「金龍ラーメン」の看板なのですが、龍が泣いているののには理由があるんです。
龍のしっぽ部分が隣接地にはみ出ているとして、土地の所有者が店の運営会社に撤去を求めた訴訟で、大阪地裁が土地の所有権侵害を認め、
しっぽ部分や外壁のひさしの撤去を命じる判決を言い渡したんです。その結果、しっぽの部分を撤去したので泣いてるんですよ。
これも大阪らしいユーモアですね

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


誤解のないように書いておきますが、大阪人がみんな「派手好き」というわけではありません。地味な人もいます。
大阪人がみんな「阪神ファン」というわけではありません。巨人ファンもいます。
大阪人がみんな「面白い」というわけでもありません。喋りが下手で面白くない人もいます。
ただ、テレビなどの影響で「大阪人のステレオタイプを演じる大阪人」が増えたのは嫌な気がしますわ。
私はネィティブ下町大阪人ですが「〜でんがな」「〜まんがな」なんて言葉は使いませんし、
指でピストルを作った人にパーンと撃たれても、「ウゥ〜」と言って倒れたりしません。



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石畳-大阪市中央区:法善寺横丁

2025年03月23日 | 大阪(大阪市内)
Houzenji Alley, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、大阪を代表する繁華街である難波の町を、ワタクシは北に向かって歩いていました


商店街になんとも不思議な、いや、奇妙奇天烈な自転車が停まっていました。
誰かが乗ってきて、この場所に停めたと思われるのですが、どうしてこんなデコレーションをしているのでしょうか。
そう思ってこの自転車を眺めていたら、ワタクシよりも年上で薄汚い格好をしたオッサンが自転車に乗って去って行きました


こういうオバハンがよくテレビなどで紹介されますが、実際に大阪にいるんですよ。
生息しているのは大阪の下町。商店街などでこういう人に出会うことはよくあります


「法善寺横丁」へとやって来ました。「法善寺横丁」と書かれた看板がありますが、この看板の文字は藤山寛美さんが書いたものです。
藤山寛美というと昭和を代表する喜劇役者であり、ミナミの飲み屋街の帝王のような存在だったんですよ。
彼の豪快な逸話は山ほど残っていますが、今の時代ならテレビからも舞台からも追放されていたでしょうな


法善寺横丁の歴史は江戸時代までさかのぼります。この時代は法善寺の境内に寄席が2軒あっただけといわれています。
法善寺の境内が栄えてきたのは、明治の終わりから大正・昭和にかけてです。
当時のなんば・道頓堀は、歌舞伎や人形劇などの文楽が盛んで船場の旦那衆の娯楽の場所、商談や社交の場所として栄えていました。
なんば・道頓堀に向かう途中で法善寺に参拝に来る人や芝居小屋に向かう芸能の人を対象に、
また芝居小屋へ向かう旦那衆を乗せた車引きの休憩所として、茶店や屋台、露店といったお店が集まりだしたのが横丁の始まりだそうです。
そんな歴史を調べるのはワタクシにとって実に楽しいことなのです


法善寺にある水掛不動尊は念ずることでご利益を与えてくださり、どんな願いごとでも手助けをしてくださると信じられています。
人々はお不動さんに水を掛け、手を合わせて願いごとをします。ですので、お不動さんは常に苔で覆われているんです


こんな場所もガイドブックで紹介されたり、SNSに載ったりするのでしょうね。
ワタクシの横には東南アジアから来たと思われるグループが、楽しそうに写真を撮っていました


法善寺横丁は石畳が美しいのですが、元々は石畳ではなく普通のアスファルト通りだったんです。
昭和55年(1982年)に、古くなった排水本管の工事によって横丁内の路地が壊される時に、
元々アスファルト舗装だった路地を「石畳にしよう」という案がでました。
この時に提案してくれたのが、法善寺横丁内のお店を良く利用していた、当時南海電鉄(南海電車)に務めていた方々です


南海電鉄の協力のもと、大阪と堺を結ぶ阪堺電車の路面の敷石に使っていた石を譲り受けて石畳にしました。
なお、阪堺電車というのは南海電鉄の子会社なんです。
こうして、現在の風情ある法善寺横丁の雰囲気を生み出す石畳は完成しました。
今では風情ある石畳の風景は、すっかり法善寺横丁に馴染んでいますね

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


藤山寛美が現役の頃、当時は豪快な遊びで知られる芸人さんも多く大阪にはこんな言葉があったそうです。
「キタの雄二にミナミのまこと、東西南北藤山寛美!」
雄二とはミヤコ蝶々さんと夫婦漫才で一世を風靡した南都雄二。まことは「てなもんや三度笠」で人気絶頂だった藤田まこと。
共に遊び人で有名でしたがその遥か上を行くのが藤山寛美だということです。
芸人の藤山寛美、俳優の勝新太郎。こんな人たちが活躍した時代というのは今の価値観からすればダメなことだらけでしょうが、
私は芸人なんて破天荒だからこそ面白いのだと思うんですがねぇ。



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朝からちょいとお寿司で一杯-大阪市中央区:「竜田屋」

2025年03月22日 | 大阪(大阪市内)
“Tatsutaya”, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、ワタクシは難波の街を縦横無尽に歩いておりました。六十路の爺さんになりましたが、足腰は丈夫なのです


この建物は「味園ユニバースビル」といい、キャバレー、スナック、ダンスホール、宴会場、サウナなどが入居した建物です。
かつてはミナミの歓楽街を代表する存在であり、ワタクシはここで中学校の同窓会をしたことがあるんです。
和田アキ子はデビューする前に、ここのダンスホールの専属歌手だったんですよ


しかし、建物の老朽化もありすでに飲食店は営業を辞めており、今年の5月から建物の解体作業が始まるそうです。
難波から「昭和」がまた消え去っていくことになりました


こういった場末の飲み屋街も、いずれは区画整理などで小綺麗な通りに変わっていくのかもしれません。
でも、それは「難波らしさ」を失っていくような気がするんです


時刻は朝の10時。ワタクシは朝食を食べずに難波へやって来ていました。なにせ難波には朝から飲める店がたくさんあるのです。
そろそろ空腹感を感じていたワタクシは「竜田屋」というお店に入ることにしました


壁には多くの芸能人のサインがありました。よく見てみると関西ローカルの芸人さんのサインが多いようです。
場所的にもなんばグランド花月に近いので、吉本の芸人さんが訪れるのでしょうね


まずは「生ビール」をグッと一杯。この後、もう一杯おかわりをしましたが、朝ですので2杯でやめておきました


オーダーしたのは「お寿司5貫盛り」「ブリ」を追加しました。ワタクシ、ブリが大好きなんですよ


ここの店内にも外国人の観光客がいました。メニューも英語、中国語、韓国語が書かれています。
彼らにしてみると日本の食事って安くて美味しいし、定員の礼儀正しいサービスなどにも感心するでしょうね


お寿司を食べ、ビールも飲みました。エネルギーをチャージしたので、さらに歩いていくとしましょうか

「竜田屋」…大阪市中央区難波千日前11-24

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


4月になると大阪では万国博覧会が開催されます。1970年の開催から55年ぶりの開催となるわけです。
しかし、この日は難波の町を歩きましたが、万博の盛り上がりを感じるようなことは何一つありませんでした。
私は別に万博が成功しようが失敗しようがどちらでもいいのですが(それは興味がないということになるのでしょうね)、
赤字になった時の負債を大阪府民に背負わされるのだけは勘弁してほしいと思うんですよね。



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ここは日本か!?-大阪市中央区:黒門市場

2025年03月21日 | 大阪(大阪市内)
Kuromon Market, Chuo Ward, Osaka City

さてさて、大阪屈指の繁華街である難波の散策を楽しむワタクシでありますが、
「裏ナンバ」と呼ばれるエリアにやって来ました


「ウラなんば」とは、正式な定義はありませんが、北は千日前、南はなんさん通り、東は黒門市場、西は髙島屋辺りまでのエリアのこと。
100店舗近くの飲食店が立ち並び、安くておいしいお店が多いのが特徴で若い人に人気があるんです。
ただ、ワタクシが訪れたのは朝ですので営業しているお店は皆無でした


こういうネーミングが大阪らしいといえば大阪らしいですな


続いて「黒門市場」を訪れました。「黒門、ええもん、ほんまもん」と言うキャッチフレーズで知られた黒門市場は、
良質な食材が揃う大阪を代表する商店街です。しかし、今、この商店街が大きく変わってしまったんです


「最近の黒門市場は外国人観光客だらけや」とは聞いていましたが、実際に訪れてみてビックリ。
中国、韓国、台湾などアジア圏の観光客が8割、あと2割が欧米圏という感じでしょうか。
日本人観光客や地元の買い物客はほとんどいない。いや、ワタクシ以外は日本人はいないのではないかという状況です


コロナ禍の時に数十軒のお店が閉店したのですが、そこに中国をはじめとする外国資本が入ってきました。
その新規の店が外国人観光客向けに『インスタ映え』するデカいタラバガニや神戸ビーフの肉巻き、
生ウニなどを5000円~1万円という日本人には手が出ない高値で売り始めたそうなんです。
このお店などがまさにそうなんでしょうな


日本人が見たら誰もが高いと思う価格設定ですが、今は円安もあって外国人観光客の財布のひもは緩み、高値の店が繁盛しています。
でも、そのせいで『安価で新鮮』という黒門市場のイメージが崩れ、地元の常連客や日本人観光客の足がどんどん遠のいているんです。
なんとも皮肉というか、異常な事態になっているんですよ


ワタクシは難波で叔母が暮らしていた時、叔母の家に泊まりにいくと「黒門に行って肉買うてきて」などとよくお使いに行かされました。
その当時の記憶とは全く違う商店街に変わってしまったことが悲しくてなりません


政府は「訪日外国人観光客を今年は4000万人に」などと言っていますが、もうオーバーツーリズムは限界に近いのではないでしょうか。
なんらかの手を打たないと、日本人と外国人の衝突が次々に起こりそうな気がしました

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私は日本の入国税が1000円というのは安すぎると思っています。例えばタイが2830円ですから、どう考えても安いです。
それと城郭、寺社などの入場料や参拝料は日本人と外国人観光客で料金設定を変えるべきです。
どうも日本って外国人に甘いというか、お人好しすぎる気がしますわ。



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