Manpukuji Temple, Uji City, Kyoto Pref.
さてさて、ワタクシは今回初めて京都府宇治市の萬福寺へやって来たのですが
なにせ黄檗宗なんて宗派のこともあまり知りませんし、普段訪れるお寺とは違う中国風の佇まいはすごく新鮮でした。
ワタクシ、見るもの見るものが目新しく、ワクワクしながら境内を散策しておりました
。

ワタクシ、地理や歴史が好きなので知らないことがあると、すぐに興味を感じて調べたくなるんですよ。
今回、萬福寺を訪ねてみてこのお寺の開祖である隠元という人にちょっと興味を感じたんですよねぇ
。

そもそも我が国に禅宗が伝わったのは鎌倉時代で、室町時代には京都の各地に臨済宗のお寺が建てられています。
ところが戦国時代を経て江戸時代に入る頃には法要のやり方などが乱れてしまうんですよ。
そこで、明の高僧で福建省にある黄檗山萬福寺の住職・隠元禅師を日本に招き、禅宗本来の姿を取り戻そうとしたのです
。

日本から何度も隠元には来日を依頼したのですが、高齢であることを理由に拒否されていました
。
隠元は代わりに自分の弟子を日本へ送るのですが、海難事故に合い弟子が水死しました。
そこでついに隠元は弟子たちとともに、1654年に来日するのです。その時、隠元は63歳でした。

隠元は当時の将軍家綱(四代将軍ですな)に手厚く歓迎され、宇治の地に土地を与えられお寺の建設にあたります。
寺の建立は1661年に始まり、1679年にはほぼ完成し、黄檗山萬福寺が開かれました。
しかし隠元禅師は寺の完成を見ることなく1673年に亡くなりました
。
明朝様式の萬福寺は日本のお寺とは違ったところがたくさんありますが、これは自分の故郷である福建省の萬福寺に似せてほしい、
という隠元禅師の思いが込められたものだということを今回初めて知りました
。

ワタクシ、以前に職場の同僚の父が死去した際、告別式に参列したのですが、同僚の家が黄檗宗でありました。
鮮やかな衣を着た住職さん達が、「シャンシャン」と賑やかな鳴らしものを奏でながら葬儀をする姿にすごく驚いたのを
ワタクシはこの時に思い出しておりました
。

境内を歩いていると、長さが2mもある巨大な木彫りの魚の形をしたものがぶら下がっておりました。
これは開梆(かいぱん)と言うそうで、これを叩いて鳴らすことで時を知らせたり、集合をかけたりするそうです。
口に玉をくわえていますが、これは玉ではなくあぶく(煩悩)なんですって。あぶくを吐くことで煩悩から解放されると聞きました。
なお、開梆は今ではどこのお寺でも見る木魚の原型だと言われてるんですよ
。

ワタクシはとても興味深く、萬福寺の境内を歩いておりました。これほどワクワクしながら境内を歩くのって
ずいぶん久しぶりな気がいたします
。

今まで知らなかったことを知る、わからなかったことを学ぶって楽しいですね
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
今回訪ねた萬福寺は、私の知的好奇心をずいぶんと刺激してくれました。
ただ、私の知的好奇心というのは地理、歴史、語学などには強く反応するのですが
数学、物理、化学には全く反応しないということが、学生時代から今まで変わらないのは残念です。
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さてさて、ワタクシは今回初めて京都府宇治市の萬福寺へやって来たのですが
なにせ黄檗宗なんて宗派のこともあまり知りませんし、普段訪れるお寺とは違う中国風の佇まいはすごく新鮮でした。
ワタクシ、見るもの見るものが目新しく、ワクワクしながら境内を散策しておりました



ワタクシ、地理や歴史が好きなので知らないことがあると、すぐに興味を感じて調べたくなるんですよ。
今回、萬福寺を訪ねてみてこのお寺の開祖である隠元という人にちょっと興味を感じたんですよねぇ


そもそも我が国に禅宗が伝わったのは鎌倉時代で、室町時代には京都の各地に臨済宗のお寺が建てられています。
ところが戦国時代を経て江戸時代に入る頃には法要のやり方などが乱れてしまうんですよ。
そこで、明の高僧で福建省にある黄檗山萬福寺の住職・隠元禅師を日本に招き、禅宗本来の姿を取り戻そうとしたのです


日本から何度も隠元には来日を依頼したのですが、高齢であることを理由に拒否されていました

隠元は代わりに自分の弟子を日本へ送るのですが、海難事故に合い弟子が水死しました。
そこでついに隠元は弟子たちとともに、1654年に来日するのです。その時、隠元は63歳でした。

隠元は当時の将軍家綱(四代将軍ですな)に手厚く歓迎され、宇治の地に土地を与えられお寺の建設にあたります。
寺の建立は1661年に始まり、1679年にはほぼ完成し、黄檗山萬福寺が開かれました。
しかし隠元禅師は寺の完成を見ることなく1673年に亡くなりました

明朝様式の萬福寺は日本のお寺とは違ったところがたくさんありますが、これは自分の故郷である福建省の萬福寺に似せてほしい、
という隠元禅師の思いが込められたものだということを今回初めて知りました


ワタクシ、以前に職場の同僚の父が死去した際、告別式に参列したのですが、同僚の家が黄檗宗でありました。
鮮やかな衣を着た住職さん達が、「シャンシャン」と賑やかな鳴らしものを奏でながら葬儀をする姿にすごく驚いたのを
ワタクシはこの時に思い出しておりました


境内を歩いていると、長さが2mもある巨大な木彫りの魚の形をしたものがぶら下がっておりました。
これは開梆(かいぱん)と言うそうで、これを叩いて鳴らすことで時を知らせたり、集合をかけたりするそうです。
口に玉をくわえていますが、これは玉ではなくあぶく(煩悩)なんですって。あぶくを吐くことで煩悩から解放されると聞きました。
なお、開梆は今ではどこのお寺でも見る木魚の原型だと言われてるんですよ


ワタクシはとても興味深く、萬福寺の境内を歩いておりました。これほどワクワクしながら境内を歩くのって
ずいぶん久しぶりな気がいたします


今まで知らなかったことを知る、わからなかったことを学ぶって楽しいですね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
今回訪ねた萬福寺は、私の知的好奇心をずいぶんと刺激してくれました。
ただ、私の知的好奇心というのは地理、歴史、語学などには強く反応するのですが
数学、物理、化学には全く反応しないということが、学生時代から今まで変わらないのは残念です。
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その宗派の漢字。読めないのは、私だけじゃないですよね。笑 最後の一枚。ことに美しいです!
いつも暖かいコメントと応援ありがとうございます。ポチ★
名前の「萬福寺」からして支那風です。
ポチ♪
支那風のお寺、名前通り雄大なスケールのお寺ですね。
境内の紅葉も見事な絶景ですね♪
P☆
最後から2枚目の写真2年位前の始めて見させて頂いた写真を思い出されます
こんな写真が好きです
有難う御座いました ポチ(*^^*)
好きなことは、とことん求める!
そういうよっちんさんの姿勢にも
刺激を受けますが・・・
あぁ~悲しい!
鈍かった頭、ますます鈍ってます・・・笑
応援ボチ☆
ラストの二枚は素晴らしい~私好みかな~(^^)
寺の建物と紅葉は相性が良いですね。
応援P☆
かと言って地理歴史もそれほど濃くは知らないのですが。
久々 Xシリーズが出してくれる写真を見させて
いただきました
応援ポチ
よっちんのブログは、綺麗な景色を見せていただくだけでなく、色々と勉強になります。
応援ポチ
宗派のことはよくわかりませんが
お寺の特徴が違うのも面白いですね(*^_^*)
☆~
隠元って方は、高齢にもかかわらず、日本に来てくれたんですね。
このお寺を見れなくて、残念でしたね・・・
やはり、雰囲気が日本のお寺と違いますね~。