さてさて、長崎県島原市を訪れたワタクシですが、街を散策しているうちにお昼になりました。
お昼になればお腹が空くのは当然でありまして、ワタクシ達はお昼ご飯を食べることにしました。
ワタクシ達は商店街にほど近い「手打ちうどん ほんだ」というお店に入りました。
ここは観光客向けのお店ではなく地元の方が通うお店でありまして、地元の人に愛されるお店なら美味いに決まっておりますな。
お店は愛想のいいご主人と奥様が2人で切り盛りされており、ワタクシは手前の『えび肉うどん』(肉うどんにエビのテンプラ入り)を
家人は奥の『肉うどん』を注文しました。カツオが効いた出しが美味しい。
そしてそして、最近は讃岐うどんのブームのせいでコシが強いうどんが人気ですが、ここのうどんはフワッと柔らかい懐かしいうどんでありました。
九州生まれの家人は「これこれ、九州のうどんやわぁ」と喜んでおりました。大阪生まれでうどんにうるさいワタクシも、満足のお店でありました。
『手打ちうどん ほんだ』…長崎県島原市加美町1010
次に次に、ワタクシ達は「湧水庭 四明荘」という建物に行きました。
屋敷内にある池は、毎日1000㌧の水が湧き出ているとのことです。
話を聞くと、島原に湧水が湧き出るようになったのは1792年からとのこと。
1792年に「島原大変」と呼ばれた雲仙岳の大噴火とそれに伴う火山性の地震が発生し、その際の地殻変動によって湧水が街の至る所で見られるようになったのです。
街中に湧き出る湧水は年間を通して15℃前後に保たれており、真夏でも冷たい水が飲めるそうです。
雲仙岳の噴火は湧水と温泉という恵みをこの街にもたらしてくれています。
『湧水庭 四明荘』…長崎県島原市新町2丁目
しかししかし、火山の噴火は当然のことながら大きな被害をもたらします。
この日の宿泊地である雲仙温泉に向かう途中、道路に「旧大野木場小学校被災校舎」という看板を見つけました。
皆さんも記憶に新しいでしょう。1991年9月に起きた雲仙普賢岳の噴火によって発生した火砕流がこの地を襲いました。
この地域では幸い死者は出なかったのですが、周辺の民家153棟とともにこの小学校も全焼しました。
中には入れませんが割れた窓ガラスから建物の中が見えます。焼けただれた理科室、黒焦げの黒板等が見えました。
『旧大野木場小学校被災校舎』…長崎県南島原市深江町大野木場
使用したカメラ:Canon EOS7D
自然がもたらす恵みと災い…。その両方を感じることになり、多くのことを考えさせられました。
火山、地震、台風…日本は本当に自然災害の多い国です。
そんな災害に面したときの危機管理、初期対応の重要性を痛感します。
この地域も避難が迅速であったため、一人の死者も出すことはありませんでした。
「防災教育」…もっと行政が力を入れるべきことではないでしょうか。
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お昼になればお腹が空くのは当然でありまして、ワタクシ達はお昼ご飯を食べることにしました。
ワタクシ達は商店街にほど近い「手打ちうどん ほんだ」というお店に入りました。
ここは観光客向けのお店ではなく地元の方が通うお店でありまして、地元の人に愛されるお店なら美味いに決まっておりますな。
お店は愛想のいいご主人と奥様が2人で切り盛りされており、ワタクシは手前の『えび肉うどん』(肉うどんにエビのテンプラ入り)を
家人は奥の『肉うどん』を注文しました。カツオが効いた出しが美味しい。
そしてそして、最近は讃岐うどんのブームのせいでコシが強いうどんが人気ですが、ここのうどんはフワッと柔らかい懐かしいうどんでありました。
九州生まれの家人は「これこれ、九州のうどんやわぁ」と喜んでおりました。大阪生まれでうどんにうるさいワタクシも、満足のお店でありました。
『手打ちうどん ほんだ』…長崎県島原市加美町1010
次に次に、ワタクシ達は「湧水庭 四明荘」という建物に行きました。
屋敷内にある池は、毎日1000㌧の水が湧き出ているとのことです。
話を聞くと、島原に湧水が湧き出るようになったのは1792年からとのこと。
1792年に「島原大変」と呼ばれた雲仙岳の大噴火とそれに伴う火山性の地震が発生し、その際の地殻変動によって湧水が街の至る所で見られるようになったのです。
街中に湧き出る湧水は年間を通して15℃前後に保たれており、真夏でも冷たい水が飲めるそうです。
雲仙岳の噴火は湧水と温泉という恵みをこの街にもたらしてくれています。
『湧水庭 四明荘』…長崎県島原市新町2丁目
しかししかし、火山の噴火は当然のことながら大きな被害をもたらします。
この日の宿泊地である雲仙温泉に向かう途中、道路に「旧大野木場小学校被災校舎」という看板を見つけました。
皆さんも記憶に新しいでしょう。1991年9月に起きた雲仙普賢岳の噴火によって発生した火砕流がこの地を襲いました。
この地域では幸い死者は出なかったのですが、周辺の民家153棟とともにこの小学校も全焼しました。
中には入れませんが割れた窓ガラスから建物の中が見えます。焼けただれた理科室、黒焦げの黒板等が見えました。
『旧大野木場小学校被災校舎』…長崎県南島原市深江町大野木場
使用したカメラ:Canon EOS7D
自然がもたらす恵みと災い…。その両方を感じることになり、多くのことを考えさせられました。
火山、地震、台風…日本は本当に自然災害の多い国です。
そんな災害に面したときの危機管理、初期対応の重要性を痛感します。
この地域も避難が迅速であったため、一人の死者も出すことはありませんでした。
「防災教育」…もっと行政が力を入れるべきことではないでしょうか。
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素敵なお正月を過ごされたようですね^^
普賢岳
小学校いまだにこんなになってるとは@@驚くばかりです
又
ユックリ
九州旅行記拝見させて頂きますね^^
懐かしい町並みが続いていまね。
本年もよろしくお願いします。
少しは旅の疲れは摂れましたでしょうか。
今日も島原の風景画像と、
お話聞かせてみせていただきました。
有難う御座いました。
最後の画像を見た時、
何かモノ悲しさを覚えて、じーんときました。
今日も有難う御座いました。
撮って来られた画像の整理で大変なところを、
今日もお邪魔しました。
美味しい湧水が飲み放題とは羨ましいですね。
おうどんも美味しそう。孫は讃岐うどんは硬いので、柔らかいのが好きです。
雲仙普賢岳の噴火によって発生した火砕流の地はここだったのですか?
悲しいことと嬉しいことは隣り合わせなのですね。
鯉の泳ぐ縁側、素敵ですねー。
とてものんびりと穏やかに過ごしました。
またゆっくり見に来てくださいね(^^)
とても静かでいい街でした。
今年もよろしくお願いします。
まず驚きを感じました。
つい10年ほど前のように思っていたんです…
この小学校周辺の農家も建物が新しく
被災後に立て直ししたことがよくわかります。
東北の地がここと同じように
復興することを心から願いました。
表裏一体にあるということを実感しました。
ただ、災害をもたらしたとしても
雲仙がこの地のシンボルであり
皆さんがこの山を愛していることを
実感した旅でした。
高熱で溶け、折れ曲がった窓の鉄枠には
恐ろしさを感じました。
この小学校があることは知らなかったのですが
偶然ですが、来て良かったと感じました。