あまの鍼灸院ブログ

鍼灸院での毎日の様子をアップしています。
鍼灸院ってどんなところ?と知っていただけたらうれしいです。

鍼灸治療撲滅の危機を乗り越えて

2022-10-02 21:28:00 | ブログ
こんにちは。今日は本当に気持ちの良い秋晴れとなりました。
夜、東南方面に花火が打ち上げられていて、
なんだかほっこりした気分となりました。

毎週日曜日は、院長の自伝です。

さて、鍼灸治療は中国から日本に伝わり、江戸時代には、盲人鍼灸師の杉山和一の管鍼術の考案により
日本人による、日本人のための、日本の鍼灸は日本の民族医療として定着しました。
しかし、現在に至るまでその道のりは決して平穏ではありませんでした。
 明治時代には『尊皇攘夷』を隠れ蓑に幕府を滅ぼし政権を勝ち取った維新政府
は、多数の戦傷者と伝染病による患者を同一方法で救う事ができる合理的な西洋
医学を採用してそれまで日本の民族を守りつづけてきた漢方、鍼灸、按摩などの
治療を一気に葬り去ろうとしました。
 これに対して尾張藩の藩医であった浅井国幹達が立ち上がり、「漢方医学に何
の罪がある!」と血涙をしぼって叫び、反対運動を起こしました。
しかし漢方鍼灸医学の存続運動もむなしく、西洋に遂行必至の明治政府は、今後
の日本における医学を西洋医学とすることに決定し、漢方鍼灸治療を事実上廃絶
したのです。
 浅井国幹の告墓文が名古屋市の覚王山の常楽寺にあるのをご存じでしょうか。
「私の念願に背きまして、成功をみない結果となり、暗涙にむせびながら…」と、
漢方医学を守る事のできなかった悲しみが刻まれています。
こうしたなかで、近代医学を修得した医師、和田啓十郎は、青年時代より漢方の
優秀性に着目し、漢方医の弟子となり臨床経験を積み、開業医として漢方診療に
従事しながら、『医界之鉄椎』を自費出版し、漢方研究の必要性を世人に知らし
めようと精魂を傾けました。この名著は大正・昭和の時代を通して復刻され、多くの人々に読みつがれています。
 明治政府は西洋医学を奨励し東洋医学を弾圧しようとしたものの、国民は鍼灸
治療で治ると言う事実を知っていますので、政府の思惑どおり弾圧する事ができ
ませんでした。
対応に困った政府はしかたなく盲人の救済処置として、明治45年『鍼術・灸術
営業者取締規則』を発令し、鍼灸治療の廃絶の危機を免れる事ができたのです。
しかし、これは鍼灸治療を全面的に認めたものではありませんでした。 鍼灸治
療には科学性がないとして、『改正孔穴』120穴を定め、西洋医学の土俵に東
洋医学のまわしを付けて相撲を取らせると言った珍妙な鍼灸医学を推し進めたの
です。東洋医学の土俵に西洋医学のまわしを付けたのであれば、まだ救えますが、
土俵(根本)が違っては混乱を招くだけです。これが現代に至っても鍼灸医学の
発展を阻害している大きな要因の一つでしょう。

次週に続く

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