あまの鍼灸院ブログ

鍼灸院での毎日の様子をアップしています。
鍼灸院ってどんなところ?と知っていただけたらうれしいです。

先生&奥様&お母さん

2021-10-03 21:43:00 | ブログ
こんにちは🌞今日は本当に気持ちの良い秋晴れでしたね。
毎週日曜日は、私の自伝です。(本日は長文になります)

 15歳で住み込みの丁稚奉公に入った家庭は奥様が洋裁学校の先生をしていた
関係で私達見習い職人は奥様の事を先生と呼んでいました。
親方(おやじさん)は勿論のこと先生にも大変お世話になりました。
先生の洋裁学校の夜間部は21時に終わります。私の通う定時制高校が終わるの
は21時10分でした。学校が終わって帰って来ると21自30分が過ぎる。
家に帰ると先生はこたつでくつろいでいるが、私が帰ると直ぐに立ち上がり、お
勝手に行き、私の夕食を作ってくれるのだ。下ごしらえをしてあるので、「先生
自分でやります。」と言っても、自室で着替えをして食卓に行くと既に食事の用
意が調っている毎日でした。
 父兄会や個人面談にも、親代わりとして、洋裁学校を他の先生に任せて来てくだ
さった。そんな環境であるために私も先生の頼みは快く引き受けました。「やす
ちゃん(当時の私の呼び名)、どこどこまで車に乗せていって」、「やすちゃん
出来上がった洋服○○○さん宅まで届けてもらえない」など快くお手伝いしたも
のである。

 先生は大変な努力家で、新幹線が無い時代に、朝早く起きて、東海道線で、清水
(現在の静岡県清水区)から東京の目黒にある杉野ドレスメーカー女学院まで通
い、洋裁学校の指導教員の資格を取ったので有る。
ずっと後で分かることになるが、私も鍼灸の学術修得の為に目黒まで毎月通っていた。
いつもなら同じ勉強仲間の肩につかまり歩いていたが、その日は妻と同じであっ
た。「あれ! 清水の先生が通っていたドレメがあるよ!」「エ!」ずっと知ら
ずに通っていたが、なんと私が毎月通っていた目黒さつき会館の隣が先生が通って
いた杉野ドレスメーカー女学院であったのです。なんとも不思議なご縁を感じました。
私の人生にとって陰に陽に大変お世話になった先生は、平成30年数え99歳で
眠るように旅立ちました。告別式には妻にエスコートをたのみ出席して、弔辞を読ませていただきました。
大恩有る先生に捧げた弔辞を皆様にも読んでいただけたら幸いです。

弔辞

先生、靖之です。やすちゃんです。
先生との思い出やご指導を受けた数を数えたらきりがありません。
お別れの言葉よりも感謝の言葉を述べて弔辞とさせていただきます。
 先生との出会いは私が15歳の時でした。
中学卒業後、木工所の住み込み職人として、先生のお宅にお世話になったのが出会いでした。
七年間の御縁でしたがその七年間での教えがわたしの七十年の人生を支え続けて
いる事は間違いありません。
 見習い職人として三年がたち、だいたいの仕事を覚えた頃自分に何かやり残し
ている事を感じて悩んでいました。
 先生と親方に相談しましたね。すると、「これからは職人と言えども学問が大
切だ! 定時制高校に行きなさい」と言われましたね。
この一言と、定時制生活が私の人生の全てと言っても過言ではありません。
『やれば出来る。出来ないのは努力が足りないのだ!』このことを気付かせていただきました。
定時制では、私の親代わりとして、父兄会や個人面談にも洋裁学校を休んで来て
下さいましたし、学校が終わり帰ってくれば、先生もドレメの夜間部の指導で疲
れているにもかかわらず、私だけの為に夕食を用意して下さいました。
 出会いから七年目、アルミサッシの登場で、建具業界に不況が訪れました。
ちょうど定時制を卒業する時でしたので、「大学に進みたい!」と言ったところ、ここ
でも先生は私の背中を押して下さいました。
 名古屋の大学に進み、前期の試験が終わりホットしていたある朝の事、眼を開け
ても回りが見えません。眼科で受診したところその場で失明宣告を受けました。
当に青天の霹靂です。
盲学校の理療科(鍼灸・按摩・マッサージ・指圧師免許を取得する為の学校)へ
進む事にしましたが、高校の卒業資格がないと理療科に入学出来ないのです。
ここでも、「職人と言えども学問は大切だ!」と言う先生の判断に助けられました。
 そして、三年が過ぎ、無事国家試験に合格して鍼灸師と成りました。
小さなアパートを借りて治療院を開設すると同時に学術の修得の為に月一回東京
の研修会に通うことにしました。
その研修会場は、なんと、先生が毎朝四時起きで通われた杉野ドレスメーカー女学院の隣だったんです。
盲目の鍼灸師と言う新たな人生のスタートですが、ここでまた、先生との御縁をいただいたのです。
“成せば成る” 東京に通うのが楽しくなりました。
 先生の悲報を聞き、妻と子供に先生との思い出話をしていました。
「99歳、眠る様に行かれた様だよ」と言うと、妻が先生は間違い無く天国に行かれるね。と言いました。
すかさず子供が「お父さんも眠る様に無くなるでしょうね。だって、お父さんが
天国に行かなければ天国に行ける人はいないよ」
中学一年生で反抗期の娘からこんな言葉を聞かされるなんて思ってもいませんでした。
仏教の教えに、“忘己利他”が有ります。己を忘れ他を利す」
当に先生が歩かれた道のりで有り、私の心と体に深く刻まれた生き方に成っていたのでしょう。
先生のおかげで反抗期の娘の心をも開くことができました。。
ここに来てまでも先生に助けられました。本当に有り難う御座います。

 お別れにあたり、私のわがままを一ツだけ聞いて下さい。
“おかあさん”と呼ばせて下さい。
“おかあさん”長い間お導き下さり本当に有り難う御座いました。
“おかあさん”安らかにお休み下さい。

  合掌

次週に続く

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の花粉症  | トップ | 足裏の脳⁉️『メカノレセプター』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿