越前一乗寺谷といえば、現在の福井県、滋賀県木之本町より北国街道栃ノ木街道を越え今庄町、武生市、鯖江市へて福井市に入ります。一乗城山と有りますがこのあたりことでしょうか。
朝倉家、朝倉義景の生涯です。朝倉家と云えば浅井長政を思い出します。
信長の姉、お市の方の嫁いだ所、浅井家は朝倉と縁があり信長に背くのですね。後に秀吉に攻められ三姉妹の数奇な運命があります。
戦国時代、僧侶が武器を持って百姓一揆を先導してたのですね。義景は一揆の対応、信長の侵略そして追い詰められ自害します。
平泉寺三千人の僧兵、そして僧侶らが年貢に苦しむ百姓を煽り百姓一揆を起こすのです。百姓は竹槍などの武器ですが、それは殺し合いの悲惨なものです。
平泉寺は坂倉家によって建てられたものですが、追い詰められた義景につかず信長勢につきます。次々部下も信長につき最後まで寺へ逃げるのを案内してくれた景鏡まで裏切られます。義景は自害します。
景鏡は手柄として義景の首を信長に差し出すのです。義景は小少将の妻の間に四歳の愛児がいましたが、母君と愛王は殺害されます。妻の小少性は景鏡に犯されます。
信長は、義景の首をさらし者にして酒を呑んだいいます。戦国時代敵の大将の首を取ったのもが手柄、恩賞を貰えたのですね。
義景を裏切ったもう一人の逆臣佳田が一乗寺谷の城に入りますが。束の間信長についた逆臣、富田弥六に首を取られます。弥六は百姓一揆と本願寺派の僧侶を巧みに煽動し同じく逆臣の桂田の首をはねます。
そして、富田弥六は同じく早く信長に寝がえった魚住景固、父と子を殺害します。
それも、朝食をご馳走したいといってです、
朝倉義景、将軍の宝物、戦利品を見せると言って魚住親子を招待します。そして、酒
や山海の料理をだし、義景の名刀、太刀を見せると言って魚住親子を殺害します。
下剋上の地獄絵図がそこにあります。人殺し、横領、強盗、殺人、やらねば生きてゆけない乱世の時代、
一揆、本願寺、坊主の中でも内乱が起き殺し合いが始まります。
富田弥六は、部下が急に寝返り鉄砲で殺されます。
義景が、景鏡の計略で自害してわずか三年景鏡は(大野犬山の城主)一揆に殺されます。
後は、明日にでも書きます。
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