まもなくあの時刻がやってくる。
3月11日午後2時45分。
2月の中旬、仕事の都合で自家用車で関東に出向いた。
下旬、帰路についた。
宮城で仕事があり、検索したら常磐道が時間的に早く宮城に着く
と分かり、埼玉から常磐道へ進んだ。
埼玉を発ったのは午後6時。
夕暮れの中を茨城を通り、水戸や東海村の夜景を左右に見ながら北上した。
2時間くらいしたら茨城から福島に入った。
いわき市である。
夕焼けも消え夜に入っている。
北上する。
広野町、楢葉町、大熊町。
次々と知った名前の案内看板が出ては去って行く。
高速道路には放射線量を知らせるサイン看板が数カ所設置されている。
双葉町の浪江に入った。
速度は100キロで走行していたので景色はそんなに注意していなかったが、
あることに気づいた。
左右の明かりは「街灯」の明かりだけ、住家の、商店の明かりは見えない。
未だここは災害の真っ最中だと感じた。
やがて仙台が近づいて暗闇から明るい光が見えてきて、夜の常磐道は終わりを告げた。
同じ東北人として、私の人生が終わる瞬間まであの日の事は忘れない。
3月11日午後2時45分。
2月の中旬、仕事の都合で自家用車で関東に出向いた。
下旬、帰路についた。
宮城で仕事があり、検索したら常磐道が時間的に早く宮城に着く
と分かり、埼玉から常磐道へ進んだ。
埼玉を発ったのは午後6時。
夕暮れの中を茨城を通り、水戸や東海村の夜景を左右に見ながら北上した。
2時間くらいしたら茨城から福島に入った。
いわき市である。
夕焼けも消え夜に入っている。
北上する。
広野町、楢葉町、大熊町。
次々と知った名前の案内看板が出ては去って行く。
高速道路には放射線量を知らせるサイン看板が数カ所設置されている。
双葉町の浪江に入った。
速度は100キロで走行していたので景色はそんなに注意していなかったが、
あることに気づいた。
左右の明かりは「街灯」の明かりだけ、住家の、商店の明かりは見えない。
未だここは災害の真っ最中だと感じた。
やがて仙台が近づいて暗闇から明るい光が見えてきて、夜の常磐道は終わりを告げた。
同じ東北人として、私の人生が終わる瞬間まであの日の事は忘れない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます