社長のひとりごと

社長のひとりごとです。ただし、病気ではありません。

この時期がやって来た。

2012-02-29 11:48:22 | 日記
今日は4年に一度の「2月29日」
本来であれば3月1日です。

3月は卒業、高校入試、進路による別れなど人生の岐路が待ち受けている時期。
人それぞれに「この時期」があると感じます。

今朝のこと。
ララと散歩に出かけたところ、道路の雪がバーンと凍っているのが判りました。
もしかして、と除雪されないで1メートル以上雪が積もっている農道に足を踏み入れたところ
足が沈まなかったのです。

春先になると積雪が硬くなり、道路だろうが田んぼだろうが何処でも歩けるようになるのです。
体重8キロのララは、2月上旬ころから田んぼの上をドックランして思う存分遊んでいましたが、
メタボの私はとてもズボズボと足がぬかる状態の田んぼには行けませんでした。

恐る恐る足を踏み出してみました。
1センチくらい沈みましたが、積雪の上に立てたのです。
雪が降らない地方の人には感覚が判らないと思います。
水面に立つようなものです。

積雪の上に立てるようになると、秋田も春です。
例年、積雪の上を歩きながら
前職時代の自分の人事異動のことや子供の進路などの事を考えていました。

今日は初日なので足が沈まないように注意していたので、考え事などありません。
私の直ぐ近くを疾風のごとくララが駆け抜けて行きました。

この時期、秋田は春を迎える時期です。
明日から2,3日は考えながら積雪の上を歩けそうです。
何を考えようか。

ビックリすました!!

2012-02-23 09:04:35 | 日記
題名は私の打ち間違いではありません。
実際に私が話した「秋田なまり」です。

これは、秋田ダイハツのCMで出演した時に私が話した言葉です。

知り合いの広告代理店の社長から
「50代の知り合いがいなくて」と話され即断で「いいよ」と快諾したのです。

撮影は、秋田ダイハツ土崎店で行われ、秋田県が生んだプロサッカー第1号の奥寺康彦さんとの共演でした。
演出もあり、セリフも渡され、試乗後奥寺さんから「いかがでしたか?」と質問され、
私が「低燃費で、ビックリしました」と話すCMです。
撮影自体はスムーズに進められ、最後に奥寺さんと握手して帰ってきたのです。
放送は2月11日午後9時54分からでした。

試乗中の私が写され、何かを心配しているかの様にオドオドした様子。
知らない人にすれば「落ち着きの無い中年男」。
実際は、メーター類が目新しくて、エコ運転に熱中しているのです。
エコ運転すればメーターの色が緑色に変わるのです。
私の愛車は平成8年産のハイラックスサーフ・ディーゼルターボ車。
アナログメーターであり、後から黒煙を出して加速してもメーターの色は「緑一色」。

次のシーンは、真ん中に私、向かって左に奥寺さん、右が会社の方。
奥寺さんから「いかがでしたか?」と質問され、次の私のセリフが
「ビックリすました!!」
見ていた私が「ビックリ」。
なんでこんなになまっているの~~~~~!!!!!!!!!!。

この仕事を始めてから首都圏の「東京弁を話す人たち」と話す機会が多くなりました。
「なまりはお国の宝」といいながらも、やはり典型的な「しょしがりの秋田県人」としては
「オラ」を「僕に」、「んだすよな」を「そうですよね」と舌を咬みながらも標準語に挑戦。
向こうの方(標準語圏の方)も「大丈夫ですよ、そんなになまっていませんよ」と言ってくれていました。
それでも時々タクシーや飲み屋で「お客さん、東北の人?」と言われることがありました。

ブルース・ウィルスと同次元の世界でCMに出演できたと内心大騒ぎだったのですが、
二度と見たくない、聞きたくない映像になりました。
ハードディスクからも即削除。

遠い昔。
小学校1年生か2年生の頃、口を開けたイラストを先生が見せて発生練習した事を思い出しました。
真面目でなかったなぁ~。

今度は止めよう。
東京から秋田に帰る日、御徒町のガード下の飲み屋で「ネッチャン、酒っこ」。
秋田に帰れる、誰も俺を知らない、秋田弁を使える安心感です。

今度は「オーダーを取りに来たそこの中国語を話している女性、日本酒を熱燗で1本」
と国際都市東京で話さねば。
疲れます。







ホイットニーに捧ぐ

2012-02-15 09:19:08 | 日記
血液型(AB)のせいかどうか判りませんが、そう簡単に動揺しない私が今年度最大の動揺です。
ホイットニー・ヒューストン 享年48歳。

映画「ボディーガード」は1992年製作というので、日本公開は平成5年ころでしたか。

当時私は某職場において金属15年の中堅でしたが、新係に配属され4年目の新人でした。
希望の係りでしたが、専門職のため仕事内容には困難の連続、その上後輩で年下の上司による「横暴」には
精神的に参っていました。
それでも他係でありましたが当直長や主任の支えもあり、前職においては最大の絶頂期でありました。

ある日の当直時、主任が「のぶさん、これ」と言いながら見せてくれたのが「ボディーガード」のサントラでした。
「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」を聞いた瞬間、虜になっていました。
音楽に特にジャンルがあるわけではありません。
民謡も聴くしクラシックも、フォーク、ポップス、カントリーも好きです。
ただし、聞いた瞬間「いいなぁ~」と感じた曲ばかりです。

ホイットニー・ヒューストンはツボにはまったシンガーでした。
心の底まで響く声が身体に受けたのです。
グラミー賞でジェニファー・ハドソンが「I/will~」を唄っていましたが
私には何ら感じられるものはありませんでした。
映像でいいからホイットニーの声が聞きたいと。

主任に聞かされて以来、洋楽の1位はビートルズ、2位がホイットニー・ヒューストンです。
多分これからも変わらないでしょう。

私の心の中の映画館では「れいちぇる

映画「ボディーガード」は1992年製作というので、日本公開は平成5年ころでしたか。

当時私は某職場において金属15年の中堅でしたが、新係に配属され4年目の新人でした。
希望の係りでしたが、専門職のため仕事内容には困難の連続、その上後輩で年下の上司による「横暴」には
精神的に参っていました。
それでも他係でありましたが当直長や主任の支えもあり、前職においては最大の絶頂期でありました。

ある日の当直時、主任が「のぶさん、これ」と言いながら見せてくれたのが「ボディーガード」のサントラでした。
「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」を聞いた瞬間、虜になっていました。
音楽に特にジャンルがあるわけではありません。
民謡も聴くしクラシックも、フォーク、ポップス、カントリーも好きです。
ただし、聞いた瞬間「いいなぁ~」と感じた曲ばかりです。

ホイットニー・ヒューストンはツボにはまったシンガーでした。
心の底まで響く声が身体に受けたのです。
グラミー賞でジェニファー・ハドソンが「I/will~」を唄っていましたが
私には何ら感じられるものはありませんでした。
映像でいいからホイットニーの声が聞きたいと。

主任に聞かされて以来、洋楽の1位はビートルズ、2位がホイットニー・ヒューストンです。
多分これからも変わらないでしょう。

私の心の中の映画館では「レイチェル・マロンとフランク・ファーマー」が地下室でいつまでも踊っています。

やすらかに。