写真:絵画『死の勝利』(ピーテル・ブリューゲル、1562年)には、社会に壊滅的な打撃を与えた疫病と戦争がヨーロッパ人の想像力に残した強烈な印象が描き出されている(PHOTOGRAPH BY ORONOZ/ALBUM)
1347年のある日、地中海の港に停泊した大型帆船から、歴史上最も危険な疫病の1つが解き放たれた。「黒死病」だ。積荷や乗客に紛れて上陸したネズミたちには、病原菌をもつノミが付いていた。同じことがヨーロッパじゅうの港で繰り返された結果、1347年から1351年にかけてヨーロッパを襲った黒死病のパンデミック(世界的な大流行)は史上最悪の規模となり、ヨーロッパの人口の3分の1が命を落としたとされる。黒死病の正体がアジアとヨーロッパで周期的に流行する腺ペストだったことに、ほとんどの歴史学者が同意している。腺ペストはペスト菌が引き起こす疾患で、6世紀にビザンチン帝国(東ローマ帝国)で大流行して2500万人の命を奪った「ユスティニアヌスの疫病」も同じものだった。(以下小見出しと抜粋)
●猛スピードで広がり、膨大な死者をもたらした:
●ペスト菌の発見:(3度目のパンデミックの後)1894年に日本の北里柴三郎とフランスのアレクサンドル・イェルサンという2人の細菌学者が同時期にペスト菌を発見した。
●「すぐに逃げろ」が拡散を助長:(海上貿易が拡大の時代)交易路を介して、感染は大きな商業都市から。近隣の町や村へと放散、田舎へ。巡礼路も黒死病を運び、各地の聖地は、伝染の中心地に。(感染後16-23日の潜伏期間のため、感染・移動後の場所で大流行)
●各地で社会が崩壊、そして:
大災害の影響は生活のあらゆる領域に及んだ。パンデミック後の数十年間は労働力不足により賃金が高騰した。かつての肥沃な農地の多くが牧場になり、村が丸ごと打ち捨てられることもあった。英国だけで1000近い村が消えた。地方から都市に向かって大規模な移住が起きたため、都市は比較的速やかに回復し、商業は活気を取り戻した。田舎に残った農民は遊休地を手に入れ、土地を持つ農民の権力が増し、農村経済が活性化した実際、歴史学者たちは、黒死病から新しい機会や創造性や富が生まれ、そこからルネサンスの芸術や文化や概念が開花し、近代ヨーロッパが始まったと主張している(日経ナショナル ジオグラフィック社)*日経 記事より) . . . 本文を読む
(05/25~29) 予想日 (05/24) ドル・円 105.00ー108.00 ユーロ・円 115.00ー118.00 豪ドル・円68.00ー71.00 日経平均19,500ー21,000 NYダウ23,000ー25,000 . . . 本文を読む