松井秀喜が苦労していろいろな意味で正も負も体験した2006年。
このギプスの他、その時のグラブ、三角きんが地元、『松井秀喜ベースボールミュージアム』で公開されるらしい。我々庶民がギプスをしたらなんだか、かゆくなって早くギプス取れないかなーと思い何ヶ月経って取れると、お風呂に入れる嬉しさ、かゆいとこが手でかける、うーーん筋肉落ちたなーと思う。単純にして嬉しい回復への喜びだと思う。ただ、もうこんなのにお世話になりたくない、見たくもないし、つけたくもない。でも松井はこれを「負の遺産」と言い、松井自身石川のミュージアムでオフしか見れないし、見ないかもしれない。でも別に野球の世界でなくとも、何か来場者に勇気とかエールとか苦しさから抜け出す何かのキッカケとしての発案らしい。プライド高き選手はそんな夢与えるメジャーリーガーが負の原因になる、特に物理的なものの展示や自宅にだって数々のメダル、トロフィーの横に置かないだろう。でも松井は敢えて「負の遺産」を置く。それはNYでなく地元石川に。
それを見て人それぞれだが松井ファンなら見たい、見たくない。松井ファンでなくとも見たい、見たくないがあるだろう。
ただ、彼がそのギブスに込められた真意は彼や特にお父さんが知っているだろうが、スーパースターでもその前に人間。人生の中でいろいろあっても松井秀喜のその苦しみと葛藤の中、早く直れと支えたギプス。外来の怪我で苦しみ、心も痛む現代に彼なりの思いが詰まったギプス展示となる。人の思想はそれぞれだ。「過去を振りかえるな、未来を見据えろ」という大人もいるが、楽しく、辛いのも人が生きてきた過去は不変の真理で覆すことは出来ない。ただ「温故知新」と言う言葉があるが、過去の出来事で成功、失敗した教訓を今に、未来に活かす。それは僕にとっても人生の上でかけがえない「正の遺産」になる。