西村ヒロのハーモニカ・ダイアリー

ハーモニカ、音楽のことなどを綴ります
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2012-07-19 ブルース愛好家の死

2012-07-19 01:53:33 | Weblog
7/14に亡くなった森永セイジくんと知り合ったのは30年近く前。自分はまだギターを弾いていた広島時代だったがその頃の山口、広島地域で本格的にブルース・ギターを弾いてる奴なんてほとんどいない状況の中で彼の噂をチラホラ聞くようになった。きっかけは忘れたがそのうちに何となく出会って彼の店、徳山Boogie Houseにも行くようになったが、たぶん最初に行ったときは自分のバンド演奏でだったような気がする。このバンドにはBRREAK DOWN(関西ブルースを牽引したバンド、入道:Vo.が脱退後のBLUES HOUSE B.B.に近藤房之介が加入してバンド改名 )を辞めて家業を継ぐために福山市に帰っていたドラマー:小川俊英氏を引きずりこんでメンバーにしていたのだがライブのたびに福山市から広島市に通ってくれていて、ライブ翌日は本業である建築関係の営業にネクタイを締めて出かけて行き仕事後に再び合流して酒を飲むということもしばしばだった。そんな小川俊英も12年前にやはりガンで他界した。
森永くんの好きなブルースはたぶんFreddie,Albert,B.B.King及びEric Claptonといったようなスクイーズ系ギターのものでスタイルは白人ブルース・ロックなのだがその頃の自分はT-Bone Walkerといったノン・ディストーション系のブラックなスタイルそのものを目指していたのでごくたまにセッションをするくらいだったがハーモニカ・プレイヤーとして東京に居を構えてからは広島で一緒にライブをやったり静岡、名古屋とツアーしたこともある・・・この時のベース:柴籐氏(北九州在住)も数年前にやはりガンで亡くなった。
山口県徳山市を支えた重化学工業はその後年々衰退し瀬戸内工業地帯も死語と化した人口減がすすむ地域で店を維持するのは大変で昼間は他でバイトをしながら夜は店を開け、たまに好きなボーカル、ギターをプレイしにライブに出かけるのだが冬場のとても寒い中でギターを背負い愛車YAMAHA SR500(確か貰ったとか?)に跨って山口市まで走ったこともあるという非常にタフな生活を続けていたがそういった日常がブルースそのものだったように思う。後期は広島県海田市の実家に一人住まいの母親の介護のために徳山市とを行ったり来たりしながら週末のみの開店でなんとかやりくりしていたようでますますheavyにブルースがのしかかって来ていたようだが、会うと「大変じゃけど何とかやっちょるィね!」とちょっぴり渋い顔をしていた。
早すぎる死に対して同い年の自分としては「ご苦労様でした」とは言いがたいが「よく頑張ったね」とは言いたい。
そして残った自分に「やるべきことを心置きなくやるべし」ということを再確認をさせてくれたと思っている。
それにしても見知った人がまだ早いだろうと思える年齢で亡くなるこの頃。長寿国っていうのはなんとなく皆が長生きするという意味だと思っていたが、死亡率は高くても長寿の年数が高くその人数が多ければ平均寿命は高くなるということか・・・・?