馴染みの薄い・しかも読み方も覚えにくい歴史上人物の名前がなかなか頭に入っていかず読むのにえらく日数がかかってしまった。某国が歴史認識ナンタラカンタラで大騒ぎしているけれども、まずスタートラインとして本書の研究を共通認識とすべきであろう。本の帯に書かれている通り「文明が半島から来た」なんて大ウソ!半島に初めて統一国家を築く新羅の基礎づくりを指導したのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済も倭国のことを「文化大国」として敬仰していた。『古事記』『日本書紀』など、日本の古史書の記述内容を国粋主義的な視点から解析していけば、そういう結論になるというのではなく、半島で、半島の史官が、半島の王の命令を受け、半島の王朝と人民のために編纂した半島の正史『三国史記』『三国遺事』に、そうした内容が書かれている。半島や中国の正史を「素直」に読んでいくと、現在の多くの日本人や韓国人が抱く「常識中の常識」とはかなりかけ離れた本当の歴史が浮かび上がってくる。これが本書のもっとも重要なポイントなのだ。また「故事は今を知る所以」とは名言で、韓国の大英雄として崇められている乙支文徳の行動と彼が英雄として偶像化されていった過程を知ると、今日の韓国・朝鮮人の行動原理・歴史館を理解する上で大きなヒントとなる。目から鱗だった。自分のつたない文章よりも宮崎正弘さんのメルマガ『宮崎正弘の国際ニュース・早読み通巻2944号』に、とてもいいレビューが載っているので、ここの引用をもって締めくくりとする。
天皇が朝鮮半島から渡来したという大がかりな嘘はいかにしてデッチあげられたか
日本文化も思想も、すべて朝鮮半島が教えたという虚説を爽やかに粉砕
♪
室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
前々からこういう本こそ読みたいと思っていた。
これまでにも漠然と感じてきた朝鮮半島の「歴史」なるものの胡散臭さ、しかし原典にあたる時間も読解力もなく、誰かがやるべきだろうが、いったい誰が半島歴史のデタラメと偽造、改竄の歴史を明確に証明しておくのか。
本書はそのポイントを突いた、いわば古代史解釈の盲点を深く抉った、画期的な書物と言って良い。判型こそ新書版だが中味は優に単行本一冊以上。あとがきを読むと半分に濃縮したという。
ともかく韓国で流布している歴史解釈が嘘の固まりであることは百も承知でも、日本からは反論がしにくかったのは自虐史観の悪影響が残っているからで、半島側が巧妙にでっち上げた「神話」も無批判に日本に輸入されてきた。
韓流ブームにいたっては時代考証も服装も会話もすべて近代的視点からのフレームアップがなされている。
秀吉は単純に「侵略者」? 日韓合邦が「日帝の侵略」?
理由は何か。戦後とくに朝鮮史学が滅茶苦茶なことになったのは、全体的空気が左翼の嵐のなか「戦前の歴史研究はすべて皇国史観だから、そこから脱却すべきだという日本版紅衛兵による文化大革命」があり、それは「マルクス主義史観への没入」に他ならなかったと著者は言う(212p)。
そして韓国では「超夢想的朝鮮民族絶対主義史観」なるものが確立され、テロリストが民族の英雄となり、その反日テロ礼讃支援団体の会長が李明博大統領ときたからには始末に負えない。
「伊藤博文は韓国併合に反対したのですよ」と韓国人に言っても鼻から受け付けない。
ましてや評者の経験では「安重根が撃った弾は伊藤博文の致命傷とはならず、真の暗殺者は駅の二階から撃ったのですよ」という真実を喋っても韓国人は、まるで聞く耳がない。
かれらにとって真実は知らなくても良い。歴史に客観的事実などどうでもいいのである。この事大主義は本場=中国を超えるのではないか。
現代自動車は一台買えば一台おまけといって強引に売っている国だから、「約束」とは一時逃れの方便としか解釈されていない社会だから、学歴詐称もカンニングも出世のためには許される社会が醸し出す異常さは、自ら改竄した歴史を信じなければ生活がなりたたず、その懐疑をうけつけようとはしない不寛容。この非科学的なメンタリティがなぜ生まれてきたのかが、本書の背景に流れる副次的なテーマである。
まさに本書をよむと従来の古代史の常識があたまのなかで転覆する。
騎馬民族説は既にその嘘は木っ端みじんに吹き飛ばされていたはずだが、昨年韓国へ行って講演した小沢一郎の没論理の基盤にまだ騎馬民族説が残存していた。洗脳は解けていないのである。
江上波夫の奇妙奇天烈な「騎馬民族」説が象徴するように、戦後の日本では日本人学者による反日史観からの演繹によって改竄半島史が積み重ねられてきた。
嘘のうえに嘘を、その上に新しい嘘を塗りこめた。こうなると韓国に流布する歴史は架空の物語を超えて、あの左翼のサンドイッチマン=家永史観より韓国の歴史学者、御用学者がやったことは悪質なのである。それをしかも恥とは取らず、インチキへの倫理観が欠如しているのが、かの半島に住まう民族なのである。
古代史の真実は、たとえば『三国史記』では新羅の基礎は倭人が造ったと書かれており、中国の『随書』では、新羅も百済も倭国を文化大国として尊仰していたと明記されている。
評者(宮崎)にとっては韓国のインテリゲンチャのなかでも、とりわけ知日派の学者と意見をかわすことが多かったが、かれらは知っていた。「壇君神話」はとてつもない大法螺に過ぎず、日韓合邦(「韓国併合」って語彙もおかしい)は日本側の一方的な持ち出しであり、文明は倭人倭種から逆輸入されて半島にやってきたことを!
丹念に歴史書を紐解いて、客観的な歴史的展望のもとに偽書偽説の矛盾を完膚無くまでに批判した本書はじつに長い間、日本の学術界、出版界から待ち望まれた。
待望の書の出現に乾杯!
天皇が朝鮮半島から渡来したという大がかりな嘘はいかにしてデッチあげられたか
日本文化も思想も、すべて朝鮮半島が教えたという虚説を爽やかに粉砕
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室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)
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前々からこういう本こそ読みたいと思っていた。
これまでにも漠然と感じてきた朝鮮半島の「歴史」なるものの胡散臭さ、しかし原典にあたる時間も読解力もなく、誰かがやるべきだろうが、いったい誰が半島歴史のデタラメと偽造、改竄の歴史を明確に証明しておくのか。
本書はそのポイントを突いた、いわば古代史解釈の盲点を深く抉った、画期的な書物と言って良い。判型こそ新書版だが中味は優に単行本一冊以上。あとがきを読むと半分に濃縮したという。
ともかく韓国で流布している歴史解釈が嘘の固まりであることは百も承知でも、日本からは反論がしにくかったのは自虐史観の悪影響が残っているからで、半島側が巧妙にでっち上げた「神話」も無批判に日本に輸入されてきた。
韓流ブームにいたっては時代考証も服装も会話もすべて近代的視点からのフレームアップがなされている。
秀吉は単純に「侵略者」? 日韓合邦が「日帝の侵略」?
理由は何か。戦後とくに朝鮮史学が滅茶苦茶なことになったのは、全体的空気が左翼の嵐のなか「戦前の歴史研究はすべて皇国史観だから、そこから脱却すべきだという日本版紅衛兵による文化大革命」があり、それは「マルクス主義史観への没入」に他ならなかったと著者は言う(212p)。
そして韓国では「超夢想的朝鮮民族絶対主義史観」なるものが確立され、テロリストが民族の英雄となり、その反日テロ礼讃支援団体の会長が李明博大統領ときたからには始末に負えない。
「伊藤博文は韓国併合に反対したのですよ」と韓国人に言っても鼻から受け付けない。
ましてや評者の経験では「安重根が撃った弾は伊藤博文の致命傷とはならず、真の暗殺者は駅の二階から撃ったのですよ」という真実を喋っても韓国人は、まるで聞く耳がない。
かれらにとって真実は知らなくても良い。歴史に客観的事実などどうでもいいのである。この事大主義は本場=中国を超えるのではないか。
現代自動車は一台買えば一台おまけといって強引に売っている国だから、「約束」とは一時逃れの方便としか解釈されていない社会だから、学歴詐称もカンニングも出世のためには許される社会が醸し出す異常さは、自ら改竄した歴史を信じなければ生活がなりたたず、その懐疑をうけつけようとはしない不寛容。この非科学的なメンタリティがなぜ生まれてきたのかが、本書の背景に流れる副次的なテーマである。
まさに本書をよむと従来の古代史の常識があたまのなかで転覆する。
騎馬民族説は既にその嘘は木っ端みじんに吹き飛ばされていたはずだが、昨年韓国へ行って講演した小沢一郎の没論理の基盤にまだ騎馬民族説が残存していた。洗脳は解けていないのである。
江上波夫の奇妙奇天烈な「騎馬民族」説が象徴するように、戦後の日本では日本人学者による反日史観からの演繹によって改竄半島史が積み重ねられてきた。
嘘のうえに嘘を、その上に新しい嘘を塗りこめた。こうなると韓国に流布する歴史は架空の物語を超えて、あの左翼のサンドイッチマン=家永史観より韓国の歴史学者、御用学者がやったことは悪質なのである。それをしかも恥とは取らず、インチキへの倫理観が欠如しているのが、かの半島に住まう民族なのである。
古代史の真実は、たとえば『三国史記』では新羅の基礎は倭人が造ったと書かれており、中国の『随書』では、新羅も百済も倭国を文化大国として尊仰していたと明記されている。
評者(宮崎)にとっては韓国のインテリゲンチャのなかでも、とりわけ知日派の学者と意見をかわすことが多かったが、かれらは知っていた。「壇君神話」はとてつもない大法螺に過ぎず、日韓合邦(「韓国併合」って語彙もおかしい)は日本側の一方的な持ち出しであり、文明は倭人倭種から逆輸入されて半島にやってきたことを!
丹念に歴史書を紐解いて、客観的な歴史的展望のもとに偽書偽説の矛盾を完膚無くまでに批判した本書はじつに長い間、日本の学術界、出版界から待ち望まれた。
待望の書の出現に乾杯!
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