芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

新党の顔

2016年03月08日 | ミニコラム

 民主党と維新の党が合従連衡し、新党を作っても、政治の風向きは変わらない。決して政治に新しい風は吹かない。看板を付け替えても風は吹かない。
 新党の党首に、両党のこれまでの党首や指導層の顔を並べてみればよく分かる。この面々では決して風は吹かない。
 よほど思い切ったことをしなければ、風向きを変えることも、新しい風を吹かせることもできないだろう。
 山尾志桜里議員を新党の党首にすれば、きっと風向きが大きく変わる。新しい風が吹き始める。かつての日本新党のような風が吹く。
 もちろん多くの先輩たちが嫉妬するだろう。前原とかは安倍と同じ改憲派の極右なので、出て行くだろう。
 蓮舫は小生意気で小賢しいので人気はない。女性有権者にも男性有権者にも嫌われている。山尾女史なら女性有権者のかなりの数を惹きつけるだろう。男性有権者も振り向かせることもできるだろう。年配者の有権者も引き付けることができるだろう。彼女は安倍総理が最も嫌う天敵なのである。安倍総理を追い詰め、彼がほとんど国民のことを考えていないことをあからさまにした。
 山尾志桜里が新党の党首になれば、風向きが変わり、新風が吹き始めるだろう。あの日本新党の風のような。

                                                 

聖火台はこう作れ

2016年03月08日 | ミニコラム
                                                  

 隈研吾設計の新国立競技場のには聖火台がなかったという。これは世界の嗤い者だ。オリンピック、新国立競技場に関わる人たちは、どいつもこいつも責任逃ればかりする呆れた連中だ。ジ・エンド五輪担当大臣はモソモソとわけの分からないことを言った。最初から議論にも上らなかったと。
 和をコンセプトにした隈案は屋根が木製のため消防法上無理なのだという。

 さて、新国立競技場は和がテーマなのだから、それを重んじよう。日本の伝統漁法に鵜飼漁がある。鵜飼漁は夏の夜の風物詩ともなっている。司馬遼太郎の「街道をゆく」にもある通り、鵜飼漁の歴史は古く、中国にもあったらしいが、夜に篝火を焚く鵜飼漁は日本独自の伝統文化であるらしい。鵜飼漁はかつて日本中の川で行われていた。このことは、このブログの「人のとなりに」の一篇に「鵜ン蓄」と題して掲載している。

 聖火台は鵜飼舟の舳先に篝火が付いているように、競技場の外に篝火のように吊せばいい。水を湛えた大きな皿と一体型にして吊すか、あるいは篝火の真下に池を作れば、その水面に聖歌が美しく映えるだろう。 夜の聖火は美しく揺曳するだろう。
参考となるデザインは、日本の伝統漁「鵜飼舟と舳先の篝火」、もうひとつは四国の宇和島あたりや九州の一部に伝わる漁船「打瀬船」の長く突き出た舳先だろう。打瀬船については「エッセイ散歩」の一篇「海亀的漂流」としてこのブログにも掲載している。
 新国立競技場の聖火台、聖火問題はこれだろう。日本の伝統文化と、胸を張って言える。


                    

環境の話

2016年03月08日 | エッセイ

 子どもの頃「杞憂」を抱いていた。環境の話しである。この環境は自然環境、教育環境、家庭環境を含めた意味である。

 幼少期を横浜で暮らした。いつも吉田橋から河を覗き込み、その汚れを気にかけていた。たまに行く山下公園の岸壁から海を見て、醤油色の汚い海に幻滅を感じていた。
 その頃お正月のお年玉として本をもらっていた。絵本や童話「桃太郎」「花咲爺さん」などである。その後私は、小学生になり少年期を銚子で暮らした。お正月のお年玉は相変わらず本であった。お年玉とは本のことだと思い込んでいた。普通、お年玉は現金をもらえるのだとは後に知った。小学二、三年生になると「少年読売年鑑」とか「朝日こども年鑑」をもらった。現在の広辞苑くらいの厚さの、ずっしりと重い箱入り本である。少年年鑑の内容は、今で言えば百科図鑑、イラスト百科事典である。これは実に素晴らしいものであった。

 これを日々飽かず眺めていると、火山やマグマや海洋等、地球の科学や宇宙の知識が得られた。世界の成り立ちや世界中のことが知れた。赤道のことや、南極北極のことや、国々の名前や旗や、ピラミッドにスフインクスや凱旋門、エッフェル塔にエンパイヤステートビルのような有名な建物や、自動車や飛行機、コーヒーや砂糖黍やコプラやマニラ麻やバナナ等の各国の特産物も知れた。世界中の動物のことも知った。ここに書かれていることを全部覚えてしまうと、低学年でも学校一の物知り少年になれたのである。

「少年読売年鑑」や「朝日こども年鑑」は、「〇〇ができるまで」というイラストが何ページにも渡って掲載されていた。
 例えば平べったい大きな船の絵があり、油槽船(タンカー)と書かれていた。これが中東から日本まで原油を運び、日本の原油タンクに貯蔵され、さらに精油所に入る。そこにはコンビナートと書かれていた。そこからいろいろな工場でナイロンになり、ビニールになりプラスチックになる。それがゴム靴になり、傘になり、ズボンやスカートのような洋服になる。まるで魔法のようである。これらのタンク、精油所、工場は海岸沿いにびっしりと整然と建ち並んで描かれていた。
 工場はノコギリ屋根で、巨大な煙突が立ち並び、そこから灰色の煙が盛んに吐き出されていた。勢いよく吐き出される煙は、日本の復興の象徴だったのであろう。そこには得意気な解説が付いていた。そしてノコギリ屋根の各工場の排水管からは、醤油色の排水が河や海に注がれる様子が描かれていた。

 私は横浜で見た河や海を思い出し心配になった。このままでは日本中の、いや世界中の海も川も空も汚れきってしまう。私はその懸念を母に話した。彼女は笑い、教えてくれた。
 「大丈夫!海はすごく大きいの、空はとても広いの。自然にはジジョウサヨウというのがあって、自然にきれいに戻るのよ」
「ジジョーサヨー?」…後に「自浄作用」と書くことを知った。
 それでも私の心配は晴れなかった。「毎日毎日、日本中世界中でこんなことを続けていたら、やっぱり汚れていくんじゃない?」と言う私の心配に対し、母は「そういうのをキユウって言うの。昔中国の人が、お空が落ちてくるんじゃないかって心配ばかりしていて、みんなから嗤われたのよ」と教えてくれた。…キユウとは「杞憂」と書くのだと後に知った。
 母は「自浄作用」のことを教えてくれたが、私の「杞憂」は全く消えなかった。

 やがて、毎夏家の裏に飛んでいた蛍が見られなくなった。向こうの高い松林に営巣していた白いサギの姿も消えた。カステラ山の砂の上に残される兎の足跡も見られなくなった。夜な夜な聞こえた雉や狐の声も聞かなくなった。
 後年「公害」という言葉を頻繁に聞くようになった。少年時代の私は公害という言葉は知らなかったが、公害を予知していた。70年代の中頃にレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読むずっと以前から、私はそうなることを予知していた。
 大人たちは子どもの「杞憂」や直感を馬鹿にしてはいけない。子どもは鋭いのである。そして、私の杞憂は当たっているのである。

           この一文は2007年の1月27日に書かれたものである。