丸山真男は、思想的中核が欠如した日本というシステムの無責任の体系について、1960年代に論じていた。しかし日本という国家システムも国民も、それに一顧だも与えず、経済成長にのみ邁進し、自民党体制を支持し続けたのであった。つまり丸山が影響を与え得たのは、日本の極一部、知的空間だけであって、現実社会ではその名を知る人すら極一部なのであった。
カレル・ヴァン・ウォルフレンが「The Enigma of Japanese Power (日本権力構造の謎)」書いたのは1986年だった。その書でウォルフレンは、日本において事の本当の責任の所在はどこにあるのか、誰が責任者なのかを不明にする日本のシステムについて鋭く指摘したのだ。ウォルフレンは日本人の外人信仰と、出版社(界)の販促も功を奏し、丸山よりは売れた。日本人にとって外人の意見はありがたいのだ。
競馬界にとって外人騎手は「上手い」と信仰され、外人ならとにかくありがたがるのである。ちなみに出版社(界)の販促(話題づくり)が「火花」をベストセラーにしたのである。
ウォルフレンの「日本権力構造の謎」と奇しくも同じ年、山本七平が「洪思翊(こうしよく)中将の処刑」を発表した。
洪思翊中将は朝鮮出身で陸大を出、日本陸軍で中将まで登りつめた人物であるが、終戦時に南方総軍山下麾下で兵站監、捕虜収容所司令長官だったがために、捕虜虐待の「責任者」として絞首刑に処された。
「洪思翊中将の処刑」は、リーガル・マインドに則った優れた裁判記録であり、裁判・法の論理論証の見事な記録である。見事というのは、裁判・法の論理論証というものが、実は何も真実も現実も捉えるものでないということを、「見事に」暴いているという意味に於いてである。
山本七平は、さらに戦時の「責任」とは何かを問い、欧米の論理論証で進められる戦争裁判の無理と、日本的「責任」の不明さを浮き彫りにしていったのだ。日本というシステムは、各組織の各部署が、彼等に定められた諸規則や運用マニュアルの「決まり」に則って、それを真面目に適用あるいは運用すればするほど、その責任の所在が曖昧になるような構造体なのである。
明治憲法では日本の主権者は天皇であり、日本の唯一の総覧者で、唯一大権を持ち、統帥権も唯一天皇が持っていた。しかし天皇の行為としてなされたことには一切の責任はなく、責任は天皇の行為を補弼する者にあるとした。国務上の輔弼は国務大臣、宮務上の輔弼はについては宮内大臣と内大臣、統帥上については参謀総長と軍令部総長の責任なのである。しかし彼等は補弼責任、補佐責任を負う者だが、権限責任はないのである。全ての権限は唯一「大権者」である天皇にあるのだ。しかし大日本帝国憲法上は、天皇は一切の責任を負わない存在と規定されている。
欧米法に「補弼責任・補佐責任」という概念は存在しない。あるのは「権限責任」のみなのである。欧米では、責任は権限を持つ者が負うものである。
日本に於いて、例えば参謀長を補弼する者は彼の下の部局長たちであり、彼等にその補弼責任がある。その部局長たちを補弼する者は次長・課長と規定されており、次長・課長を補弼する者は係長・主任と規定されているのだ。そして皆、その規定に則れば補佐はすれども権限はなく、権限を持たないのだから責任もない。しかも、事の決定は形式的でも会議という合議制で決めたもので、みんなで決めたことだから、その責任は全員にある。つまり終戦時に幣原首相が言った「敗戦の責任は一億国民にある」という言葉に至る…
思えば山本七平は「日本人とユダヤ人」以来、「私の中の日本軍」「一下級将校の見た帝国陸軍」と、日本とは何か、日本人とは何かを問い続けていた。
いじめ問題、未履修問題で、次々と学校長が自殺している。彼等が思った責任とは何か。教育基本法改正の本当の目的は、国家のために死ねる愛国心の涵養であって、いじめ問題を解決するための教育改革ではない。未履修問題は市場原理主義を支える成績重視・勝ち組になるための受験競争に因があって、教育基本法改正では解決しない。
最近の一流大学出の若者は何て教養がないのだろうと思っていたら、世界史も近現代史も教えてもらっていないのだから止むを得ないか。