私は三歳の頃からの相撲好きである。相撲放送のラジオの前に座り込み、アナウンサーの早口で興奮ぎみの取り組みの様子に耳を傾けていた。テレビのない時代である。
新聞に載っている力士の大一番の写真を見て、その姿を目に焼き付けた。
お気に入りの力士は、固太りの見事に丸いお腹をしたアンコ型の横綱・鏡里、それより固太りと思われる見事に均整がとれた美男横綱・吉葉山、そして見事な筋肉質のソップ型で長身横綱・千代の山であった。
鏡里は四つ相撲で、大きなお腹で相手を土俵外に寄り切っていた。吉葉山は悲劇の横綱と呼ばれ、両膝の怪我がもとで活躍できなかった。千代の山は豪快な突っ張りで相手を土俵外に突き倒していた。しかし千代の山も膝の怪我に苦しんでいた。その頃、たしか横綱・東富士が引退し、プロレスに転向していった。栃錦が大関から横綱に昇進し、若乃花はまだ小結か関脇であった。何を言いたいかというと、実は白鵬が気になるのである。
白鵬は宮城野部屋である。この部屋は吉葉山が創設した。彼は高島部屋だったが引退後に独立したのである。後年、高島部屋は吉葉山の弟弟子の大関・三根山が継いだ。
吉葉山は幕下優勝して十両昇進直前に応召され、戦場で二発の銃弾を浴びた。一発は貫通、一発は体内に残り、彼は死線をさ迷った。四年後にガリガリに痩せて復員したとき、高島部屋の人たちは幽霊が出たと思ったらしい。体重が半減し六十キロの骨と皮になっていたのである。すでに彼は戦死したものとされて力士名簿から消されていた。
吉葉山には悲劇がつきまとったが、そこから横綱にまでなったのだ。彼の土俵入りは不知火型であった。写真で、その綱を締めた立ち姿や土俵入りを見ると実に美しかった。白鵬の土俵入りの不知火型は、その吉葉山に由来する。
白鵬が十両に上がってきた頃、私は周囲の人たちに、この力士は必ず横綱になると断言した。相手力士の力を吸い取るような身体の柔らかさ、足腰の良さ、膝を折った重心の低さ、運動神経の良さ、立ち合いのスピードは抜群であった。これは大鵬だ。大鵬のような可能性を秘めた逸材だと見えたのである。幕内力士になり、どんどん昇進した。何という相撲勘、何という安定感。もしかすると大鵬の優勝回数32回を超えるのは、彼ではないかと思われた。白鵬がまだ優勝さえしていなかった頃である。
白鵬は横綱になった。そして優勝回数を重ねた。すでに朝青龍とは互角以上になっていた。
朝青龍の俊敏さと相撲力はともかく、その取り口の荒々しさは好きになれなかった。また素行の悪さをよく耳にした。彼は場所中にもかかわらず、毎晩六本木で浴びるように酒を飲んでへべれけとなり、あげく朝青龍を部屋まで車で送ろうとしたその酒場の店長を殴り、彼の鼻梁をへし折ってしまった。相手は一般人である。その男は暴力団の準構成員であった。朝青龍はその場所中に三千万円の示談金を払ったそうである。場所後に朝青龍の行動が問題となり、暴力団関係者との交際も囁かれ、相撲協会は彼に引退を勧告した。もしそれを断れば解雇するというものであった。朝青龍は退職金がもらえる引退を選んだ。
白鵬はひとり横綱となって優勝回数を重ねていった。朝青龍が現役を続けていたとしても、すでに白鵬には敵わなかったであろう。
その後の時津風部屋のしごき死亡事件、名古屋場所に弘道会のやくざ衆が土俵下をぐるりと占めた異常な事態(木瀬親方が捌いたチケットが弘道会に渡り、暴力団との付き合いを疑われた)、一年後に野球賭博に八百長問題が発覚し、大相撲は危機に陥った。
それを横綱として、力士会会長として、ひとり支えたのが白鵬である。記録は無論、白鵬は真面目で、悠揚迫らぬ大横綱であった。
その白鵬に関して、おやっと思わせはじめたのは昨年2015年の初場所からである。13日目、彼は稀勢の里を破り、大鵬の記録を抜く33回目の優勝を果たした。その記念すべき場所は全勝優勝である。
千秋楽の翌日の記者会見で白鵬は「疑惑の相撲が一つある」と言った。その相撲は稀勢の里戦である。彼は立ち合いから稀勢の里を圧倒し西方に寄り立てたが、足が流れたのと稀勢の里の捨て身の小手投げが同時であった。軍配は白鵬に上がったが物言いがつき、協議の結果、取り直しとなった。
この一番を白鵬は「疑惑の一番」と言ったのである。「勝っている相撲ですね。一番目。帰ってビデオを見たら、子供が見てもわかる。なぜ取り直しにしたのか」「ビデオ判定も元お相撲さんでしょ。もう少し緊張感を持ってやってもらえれば。簡単に取り直しはやめてほしい」「本当に肌の色は関係ないんだよね。髷を結って土俵に上がれば、日本の魂なんです。みんな同じ人間」とまで言った。おそらく、館内の稀勢の里の声援の凄さに苛ついたのだろう。誰も自分を応援していない。自分がモンゴル人だからか。
さらに白鵬が言った。「大鵬親方が45連勝して勝った相撲が負けになった。それからビデオ判定ができたんじゃないの。なのにビデオ判定は何をしたのか」…これが物議をかもした。
土俵下の審判団は「白鵬の右手と稀勢の里の左手とどちらが先についたか」を協議したが、ビデオ室の親方衆は「稀勢の里の体が飛んで落ちるのと、白鵬の右足の甲が返ってつくのと同時」と見て「取り直し」を妥当とした。
私は三歳の頃からの相撲ファンである。白鵬に言いたい。相撲は足の裏以外の身体が先に土俵についた方が負け」なのである。何度その一番の映像を見直しても「白鵬の足の甲が返り土俵につくのと、稀勢の里が飛んで落ちるのが同時」なのである。土俵下の親方衆はその早く激しい動きは見づらかろう。ビデオ室でのスロー再生で判断し、土俵上で協議中の審判団に伝えた親方衆のほうが確実で正しいのである。
この白鵬の審判批判に、彼が敬愛する大鵬の納谷幸喜さんが苦言を呈した。「審判に文句を言ってはいけない。そういう相撲を取った自分が悪い」
また大鵬は自らが誤審で戸田(後の羽黒岩)に敗れたときもこう言った。「そういう相撲を取った自分が悪い」
もう一つ白鵬に言いたい。イギリス人でコスモポリタンとして生き、相撲が大好きだった海洋科学者、生物科学者、哲学者ライアル・ワトソンの言葉である。
「日本の社会で、相撲界ほどオープン・ソサエティはない。日本では政治家も芸能界も世襲で、企業の組織もお役所組織でも決してオープンな社会ではない。人脈や、社長派や専務派だとか、誰某の引きで出世するとか、逆玉で社長になったとか、決して実力だけのオープン・ソサエティではない。しかし相撲こそ、裸一貫の実力社会なのだ。実力がなければ出世できない社会なのだ。大横綱の弟だろうが、名大関の息子だろうが、裸一貫の真の実力主義のオープン・ソサエティなのである。」
ちなみにオープン・ソサエティは、ヘッジファンドで知られる投機家、哲学者、思想家のジョージ・ソロスの一番大好きなキーワードなのである。彼の財団は「オープン・ソサエティ財団」という。
日本人でさえ相撲社会を封建的な世界と思っていたとき、ライアル・ワトソンは「日本の社会の中で最も実力だけのオープン・ソサエティ」だと言ったのである。ワトソンは海外向けのラジオ放送で相撲の解説をし、BBCでも相撲の解説を務めた。さらにロンドン場所を誘致した。
白鵬に言いたい。相撲社会には人種差別はない。ヘイトスピーチで攻撃する者もない。ハワイ出身の高見山にも小錦にも曙にも武蔵丸にも拍手した。セントルイス出身で父は黒人だった戦闘竜は、いかにも力士らしい姿で激しい突貫と突きは格好よかった。春日王も韓国出身力士だったが、そのいかにも力士らしい気っ風の良い相撲や姿は格好よかった。モンゴル出身の旭天鵬もいいし、旭秀鵬は力士の中でも一番の美男力士で、その着物姿は美しい。
親方衆も相撲ファンも、誰も人種差別はしなかったし、していない。琴欧洲も把瑠都も大きな声援と拍手を受けていた。癌が判明し幕下に陥落して闘病中の時天空に、多くの相撲ファンが胸を痛め、その完治を祈っている。そして白鵬の偉大さには誰もが拍手を送り、応援している。
ただ、横綱として千秋楽の最後の一番で、しかも対横綱戦で、しかも優勝のかかった一番で、変化はないよ。もちろん私は里山や宇良のような小兵力士が「たまに」見せる変化には怒りは湧かない。ただし、身体も大きく前途洋々の大関・照の富士や、逸ノ城の変化は許さん。罵倒するよ。小兵だが横綱の日馬富士の変化も罵倒するよ。横綱や大関はその地位として、また大型力士はその身体が大きいという優位性から、変化をしてはいけない。
もちろん、明らかに土俵を割って力を抜いた相手に、ダメ押しで土俵下に突き倒すのは、危険だし横綱の行為としては最低だ。特に白鵬のダメ押しは故意であろう。彼のここ数場所の取り口に見る荒い相撲と苛立ちは見苦しい。
私は大の白鵬ファンである。三歳の頃からの相撲ファンなのである。