極論を言えば、その願いに執着しないことではないでしょうか。そして叶っていないことにフォーカスしないことです。
私たちが身を置いている状況は様々で、精神的、肉体的、経済的において、非常に深く苦しい時間を過ごされている方も多いことと思います。全ての事象、万人に対する答えは無いに等しく、また今日書くことは私見に過ぎないことでもありますが、私なりに出来るだけロジカルに書き進めてみたいと思います。
執着しない、もしくは普段忘れているとは、そこに絶対的な安心と信頼があるからだと思います。
何に対する安心と信頼なのか。それは「自分自身」に対するものでしょう。
話は前後しますが、例えば「引き寄せ」という言葉は誤解を生んできたかもしれません。
自分に必要なものを「引き寄せる」
=それを自分は所持しておらず、だが必要としている。そしてそれは外部からやって来る・・・
という思い込みを多くの人に増幅させたように私は思います。
そしてそれを引き寄せるために、巷間「法則」と呼ばれているものに自分を沿わせるのです。完全に「叶えたいもの」や「引き寄せること」に力関係の勝利を渡してしまっています。そこに、自分に対する安心や信頼は存在するでしょうか。
力関係の軍配を、自分に上げなくてはなりません。
何故ならば、望んでいたものや叶った事柄を世の中を通し現実に活かしていくのは、他ならぬ私たちだからです。
例えば仕事、恋人、お金、自身の健康、近しい人の健康など願っていたものが手に入ったとします。これらは手に入っただけで「おしまい」なものではない筈です。やっと就けた職業で何に貢献していこう。愛する人との時間をいつまでも大切にするために何をすべきだろうか。大切な人の健康が戻り、これからも元気でいてもらいたい。そして自分にできることは・・・?など、新たな形で現実のステージを活きてもらう=新たな息吹を吹き込むのはあなたであり、私なのです。
自らの欠乏を埋めるために求めるのではなく、世の中に新たな息吹を自ら主体的に送り出そうとするとき、自身の中に願望として存在していたものは具現化するのではないかと思います。願望に選ばれるのではなく、あくまでも主体は私たち。魔法を探すのではなく、マジカルな自分になっていく。これは例外なく誰もがそのような存在であり、そのように力を付けてゆけます。そうしていくと何を望むか、何を手に入れようとしたいか・・・手段を模索するより、渇望するより、まず「何を」「何のために」にを悩むようになるのではないでしょうか。主導権はこちらにあるのですから。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
以上のように限りなく逆説的ではありますが、「活かし」「新たな息吹を与え」ようとしたときに願いは叶っていくように思います。そこには執着がなく、叶っていない事へのフォーカスもありません。不安も恐れも無いことでしょう。
これは、願望に自分を明け渡していないことの証だと思います。ただ自分の可能性を知り、それを信じると同時に自分の可能性に心を開いている状態です。心を開いている以上、自分にとって都合の悪いことも受け取らざるを得ないときもあります。しかしながら、何事も良いとこ取りは出来ません。自分の都合の悪さを受け取らないことは、影が無く身が詰まらない平面の姿を選び、陰影が助ける個性や表現の自由を放棄していることと同じです。
そしてその都合の悪さが、気付きでありの成熟の種なのです。
それが元で挫折という経験があっても、周囲の方々を尊重すること、全てを生かす大いなる存在、自然、芸術など崇高なものへの畏敬の念を深い眠りから呼び覚ましてくれる性質も併せ持っています。謙虚であることは、エネルギーを穏やかにし自分を押し出そうとしません。それがかえって、自分が望むものを呼び寄せる結果となることは想像に難くないのではないでしょうか。
また善行は返ってくるということも、こういうことが一つなのではないでしょうか。
見返りを求めない純粋な行動は、本気で人の心を打ちます。それを受け取った人は同じように誰かの役に立てるようになりたい、と正味から思うものだと思うのです。直接奉仕した人からの「お返し」でなくても、これも心を開いている以上、誰かに返したいと熱望した見ず知らずの方のエネルギーを受け取り、結果として自分の願望と結実し具現化するということではないかと思いました。あくまでも一例としてですが。
昨日は2月3日。2011年旧暦元旦、そして新月でした。
今まで隠れていたもの、表に出ていたもの、真逆とは言い過ぎかもしれませんが、色々な「逆」が見えてくるかもしれません。
それも含めて、一日一日、何でもない日をつつがなく過ごしていければこれが幸せだと思います。
最後にこれは、1月中旬頃に頂いたメッセージです。
「勝て。自らの神聖さに賭けよ。」
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆
今日も皆さんの全てが輝き慈しまれる一日でありますように。
私たちが身を置いている状況は様々で、精神的、肉体的、経済的において、非常に深く苦しい時間を過ごされている方も多いことと思います。全ての事象、万人に対する答えは無いに等しく、また今日書くことは私見に過ぎないことでもありますが、私なりに出来るだけロジカルに書き進めてみたいと思います。
執着しない、もしくは普段忘れているとは、そこに絶対的な安心と信頼があるからだと思います。
何に対する安心と信頼なのか。それは「自分自身」に対するものでしょう。
話は前後しますが、例えば「引き寄せ」という言葉は誤解を生んできたかもしれません。
自分に必要なものを「引き寄せる」
=それを自分は所持しておらず、だが必要としている。そしてそれは外部からやって来る・・・
という思い込みを多くの人に増幅させたように私は思います。
そしてそれを引き寄せるために、巷間「法則」と呼ばれているものに自分を沿わせるのです。完全に「叶えたいもの」や「引き寄せること」に力関係の勝利を渡してしまっています。そこに、自分に対する安心や信頼は存在するでしょうか。
力関係の軍配を、自分に上げなくてはなりません。
何故ならば、望んでいたものや叶った事柄を世の中を通し現実に活かしていくのは、他ならぬ私たちだからです。
例えば仕事、恋人、お金、自身の健康、近しい人の健康など願っていたものが手に入ったとします。これらは手に入っただけで「おしまい」なものではない筈です。やっと就けた職業で何に貢献していこう。愛する人との時間をいつまでも大切にするために何をすべきだろうか。大切な人の健康が戻り、これからも元気でいてもらいたい。そして自分にできることは・・・?など、新たな形で現実のステージを活きてもらう=新たな息吹を吹き込むのはあなたであり、私なのです。
自らの欠乏を埋めるために求めるのではなく、世の中に新たな息吹を自ら主体的に送り出そうとするとき、自身の中に願望として存在していたものは具現化するのではないかと思います。願望に選ばれるのではなく、あくまでも主体は私たち。魔法を探すのではなく、マジカルな自分になっていく。これは例外なく誰もがそのような存在であり、そのように力を付けてゆけます。そうしていくと何を望むか、何を手に入れようとしたいか・・・手段を模索するより、渇望するより、まず「何を」「何のために」にを悩むようになるのではないでしょうか。主導権はこちらにあるのですから。
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・
以上のように限りなく逆説的ではありますが、「活かし」「新たな息吹を与え」ようとしたときに願いは叶っていくように思います。そこには執着がなく、叶っていない事へのフォーカスもありません。不安も恐れも無いことでしょう。
これは、願望に自分を明け渡していないことの証だと思います。ただ自分の可能性を知り、それを信じると同時に自分の可能性に心を開いている状態です。心を開いている以上、自分にとって都合の悪いことも受け取らざるを得ないときもあります。しかしながら、何事も良いとこ取りは出来ません。自分の都合の悪さを受け取らないことは、影が無く身が詰まらない平面の姿を選び、陰影が助ける個性や表現の自由を放棄していることと同じです。
そしてその都合の悪さが、気付きでありの成熟の種なのです。
それが元で挫折という経験があっても、周囲の方々を尊重すること、全てを生かす大いなる存在、自然、芸術など崇高なものへの畏敬の念を深い眠りから呼び覚ましてくれる性質も併せ持っています。謙虚であることは、エネルギーを穏やかにし自分を押し出そうとしません。それがかえって、自分が望むものを呼び寄せる結果となることは想像に難くないのではないでしょうか。
また善行は返ってくるということも、こういうことが一つなのではないでしょうか。
見返りを求めない純粋な行動は、本気で人の心を打ちます。それを受け取った人は同じように誰かの役に立てるようになりたい、と正味から思うものだと思うのです。直接奉仕した人からの「お返し」でなくても、これも心を開いている以上、誰かに返したいと熱望した見ず知らずの方のエネルギーを受け取り、結果として自分の願望と結実し具現化するということではないかと思いました。あくまでも一例としてですが。
昨日は2月3日。2011年旧暦元旦、そして新月でした。
今まで隠れていたもの、表に出ていたもの、真逆とは言い過ぎかもしれませんが、色々な「逆」が見えてくるかもしれません。
それも含めて、一日一日、何でもない日をつつがなく過ごしていければこれが幸せだと思います。
最後にこれは、1月中旬頃に頂いたメッセージです。
「勝て。自らの神聖さに賭けよ。」
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆
今日も皆さんの全てが輝き慈しまれる一日でありますように。