2011年も、あともう3日と少し。
クリスマスが過ぎて、あっという間に、仕事納め、大晦日、そして新年。2012年。
多くの人々の心に刻み付けられ、焼き付けられ、一方で通り抜けたであろう2011年が、刻一刻と終わろうとしています。「元来、時間はない」。これは私的持論なのですが、でもしかし、こうした区切りの時には、時間の必要性というものをひしひしと感じます。振り返る、想像する、予感する、これをはじめとして、自らを心の底に向かって深く深く落とし込むとき、時間というものがなければ、心の変遷の色を成すことは出来ないのではないでしょうか。
例年であれば、いつものように、一年が終わった安堵感と新しい年への期待感で心が弾む時期なのですが、今年は、正直そうはいきません。お陰様でつつがなく仕事させて頂いておりますし、体調も少し戻ってきましたし、日々元気で過ごしております。しかし、どうしても様々に思いを巡らしてしまうこの年の瀬です。
我が国のことだけでも。
2010年年末からの豪雪。
東日本大震災。
福島第一原子力発電所事故。
台風12号、15号、16号。
こうした自然災害とともに、放射能汚染、円高、首相交代、TPP。
余りにも甚大な被害、大きすぎる犠牲。
時間も、人も、自然も、地球も・・・暴れて叫び続けた一年だったように思います。
そして、2011年が例年と異なる最も大きな点は、
「物事の捉え方、解釈の内容が、人それぞれに全く違うことが白日の下にさらされた」
という事のように思いました。
・・・うーん。
人それぞれに違う、千差万別、百花繚乱というより、いつくかのフィールドとした方がより近いかもしれませんが。。。
捉え方が違うということは、見えているものが違う、聴こえているものが違うと言っても過言ではありません。世界と時間は誰の前にも平等に広がっていますが、180度が視界に入る人と、60度分だけ見る人がいるように。一方360度前方向にオープンな人もいるでしょう。それが明確になっていき、そこから何がどうなっていくか。。そこから形作られていくものが、2012年の特色の一つになるかもしれませんね。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も皆さん一人ひとりが、それぞれの光で照らし照らされてゆきますように。
クリスマスが過ぎて、あっという間に、仕事納め、大晦日、そして新年。2012年。
多くの人々の心に刻み付けられ、焼き付けられ、一方で通り抜けたであろう2011年が、刻一刻と終わろうとしています。「元来、時間はない」。これは私的持論なのですが、でもしかし、こうした区切りの時には、時間の必要性というものをひしひしと感じます。振り返る、想像する、予感する、これをはじめとして、自らを心の底に向かって深く深く落とし込むとき、時間というものがなければ、心の変遷の色を成すことは出来ないのではないでしょうか。
例年であれば、いつものように、一年が終わった安堵感と新しい年への期待感で心が弾む時期なのですが、今年は、正直そうはいきません。お陰様でつつがなく仕事させて頂いておりますし、体調も少し戻ってきましたし、日々元気で過ごしております。しかし、どうしても様々に思いを巡らしてしまうこの年の瀬です。
我が国のことだけでも。
2010年年末からの豪雪。
東日本大震災。
福島第一原子力発電所事故。
台風12号、15号、16号。
こうした自然災害とともに、放射能汚染、円高、首相交代、TPP。
余りにも甚大な被害、大きすぎる犠牲。
時間も、人も、自然も、地球も・・・暴れて叫び続けた一年だったように思います。
そして、2011年が例年と異なる最も大きな点は、
「物事の捉え方、解釈の内容が、人それぞれに全く違うことが白日の下にさらされた」
という事のように思いました。
・・・うーん。
人それぞれに違う、千差万別、百花繚乱というより、いつくかのフィールドとした方がより近いかもしれませんが。。。
捉え方が違うということは、見えているものが違う、聴こえているものが違うと言っても過言ではありません。世界と時間は誰の前にも平等に広がっていますが、180度が視界に入る人と、60度分だけ見る人がいるように。一方360度前方向にオープンな人もいるでしょう。それが明確になっていき、そこから何がどうなっていくか。。そこから形作られていくものが、2012年の特色の一つになるかもしれませんね。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今日も皆さん一人ひとりが、それぞれの光で照らし照らされてゆきますように。