ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
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死線を越える?

2013-12-02 18:37:04 | 癒し
「診断メーカー」という、簡易占いというか、気軽に、気分転換でき、楽しめるサイトがあります。診断結果を、クリック一つで、そのままtwitterやfacebook、その他のSNS上にアップもできるのも楽しいです。

私の場合は、フォローさんがアップされて、タイムラインに流れてくる診断結果を見て、「へぇこれ面白そう」というのをちょいちょいしているだけなのですが、今日なってみたのが、

あなたの今年の【漢字】(2文字)

joyceでやってみましたら「後悔」
本名では「死線」

いずれにしても、何だかおどろしい結果でした(笑)

でも、この診断。中々一笑に伏せられないです。
たまに、ドキ!!っとするくらい核心を付いた答えが返ってくるときがあるのです。


昨日、ふと思ったことがありました。

「自己否定をこんなに続けていたら、そのうち、消えていなくなっちゃうかも」。

消えるのは、自己否定ではなく、私自身のことです。言葉の上でも、自己否定とは、自分の存在を否定しているという意味ですから、自分の存在を消してしまおうとする気持ちに行き着いても不思議ではないと思います。そんな思いがあったことに突然気付いたのです。「何!?この自己否定は」と。

そう・・・それは、文字通り、「死線」を超えたのかもしれません。


思い返せば、私は、自分のしたいことを、自分の思いのままに、したことがなかったと思います。
私の中に大きく占めたいたのは、常に他者に対する責任と義務。それは当然引き受けねばならなかったものもあれば、自分が創り出した幻想もあります。これは、自分で納得して引き受けたものもあれば、逃げるための格好の理由にしたものもある、と言い換えることができるのではないかと思います。

ただ「したことがなかった」とまで、今、そう言い切るのであれば、
それは、逃げに逃げて、言い訳に言い訳を重ねてきた結果に過ぎません。

それが「何!?この自己否定」という形(言葉で、思いで)で、表に現れたのだと思います。


ただ、ここで申し上げておきたいのは、自分への言い訳ではなく、

「どの行動にも、高次で神聖な意図がある」ということです。

この意図の面と、行動の面とで裏表。これで、一枚の紙の形状です。
(一枚の紙は裏と表面があり、それで一枚の紙です。)

これはNLP(神経言語プログラミング)の諸前提をベースとして、現在、私が学習しているプロフェッショナル・コミュニケーターの諸原則の一つでもあります。

私の、この場合ですと、
言い訳を重ね、逃げ続けたこと(行動)にも肯定的な意味(意図)がある、ということです。
言い訳を重ね、逃げ続けることによって満たしたかった意図があると考えるのです。肯定的、美しい、建設的、健全、最善な意図がそこにはあり、どんな行動も、それを満たすが故の手段であったと。

それが何なのかは、今までの私の従来の考え方や価値観を元に探ろうとしても、答えには出会えないものと予想しています。それは、逃げること、言い訳を作ることは「悪」だと、自分の中では完全にそう固定されているからです。

また、バリバリと、一つ、バリアを引き剥がすときがきたのかもしれません。
又、そもそも、それは本当に言い訳だったのか、それは本当に逃げだったのか、それらは果たして、そういう風に解釈されるものであったのか。それさえも、バリアの外に出れば、捉え方は全く違ってくるものなのです。

そして、そのあたりの変化は、想定した範囲内、過去の記憶内で理解できるものではないと断言します。そこを出た、そこを含めた全体への信頼により、「何だか分らないけど」「ぼんやりのまま」、進んでいくものだと私個人的には思っています。だから、心理セラピーやカウンセリングには、ワークのメニューを入れて、身体の感覚を取ることはとても有効です。(身体の感覚は、想定内や過去の記憶に頼りません。信頼していきましょう。またワークは日常的にするものGoodです。)


まだまだ、自分の価値観のバリアの中で正誤や善悪を判じているな・・
それも、それを絶対的な真実として分かったように自己満足しているな・・と思った今日でした。

そして、

「死線を越える」

それこそが、高次の意図だったのかもしれないと思いながら。



今日も最後まで読んで下さって有難うございました。

今日も皆さん一人ひとりの愉しく健やかな一日でありますように。